たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『モネ連作の情景』上野の森美術館-睡蓮

2024年04月04日 20時54分58秒 | 美術館めぐり

『モネ連作の情景』上野の森美術館-雨のベリール

絵葉書を購入しました。

『睡蓮』1914-17年、ジヴェルニー、

群馬県立近代美術館(群馬県企業局寄託作品)

「睡蓮を世界の一瞬間、両の眼の朝、夏の夜明けの不意打ちの花と呼んだバシュラール。彼はつぎのように書いている(「睡蓮あるいは夏の夜明けの驚異」。この花を、かつての時、人は「ヴィーナスの紡錘(つむ)」と呼んでいたのではなかったか。万物の生に先立つ神話の生にあって、それはヘラクレスを愛しすぎたあまりに嫉妬で死んでしまったあの烈しい水の精ニンフ、ヘラクリオンではなかったか。けれどもクロード・モネは、忽然として恒久的なものとなってしまったこの花に微笑を浮かべる。モネの画筆が、昨日、永遠性をあたえたのもまさしくこの花だった。だからこそ、画家は水の青春の物語を続けることができるのだ。水辺で夢想するとき、人は反映と深さとの弁証法を作りあげずにはいられない、とパシュラールはいう。何とも知れぬ物質がのぼってきて影を養っているかのようだ。泥は生きて作用している鏡の裏箔である。それは自分に差し出されているすべての影に、物質の闇を結びつける。川底もまた、モネにとっては微妙な驚異なのだ。このように記したパシュラールは、やがてつぎのような言葉を書き綴ったのである。世界は見られることを望んでいる。見るための眼が存在する以前には、水の眼、森閑とした水の巨きな眼が、花々の開くのを見つめていた。そして、世界が自分の美を最初に意識したのはこの水に映った影においてなのだ。同じように、クロード・モネが睡蓮を眺めて以来、イール・ド・フランスの睡蓮は前よりも美しく、大きくなった。水辺にたたずんだモネ、モネが描いた睡蓮についてのみごとな文章だ。セーヌの流れにそぞぐ支流、コブト川のほとり、ジヴェルニーに睡蓮の池をつくり、そこに日本風の橋をかけ渡したモネ。彼が描いた睡蓮を眺めていると、おもわず画面に、水面にひき込まれてしまいそうだ。色彩の交響楽だ。光と色彩の舞踏会だ。印象という言葉はまさしくモネにこそふさわしい。ジンメルの仕事を社会学的印象主義と呼ぶ研究者がいる。」

(山岸健編著『日常生活の舞台と光景《社会学の視点》』)より

 


この記事についてブログを書く
« 裏金、紅麴の裏で売国政策成立 | トップ | 母が亡くなった翌年‐2013年1月 »

美術館めぐり」カテゴリの最新記事