たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

4月はかなり疲れていたみたいで・・・

2020年06月04日 19時36分26秒 | 日記
 郷里近郊は急に真夏日となった木曜日、気力をふりしぼって、コロナ禍で課題は提出するけれど辞退することがその時は最大限だと思った就労先の登録制職員募集に応募するため、また手書きで書類作成。住所と併願の欄をのぞいて4月と同じ内容で記入。これがどうなのか、一年間の実績と4月下旬に送った課題がどう評価されたのかわかりません。何もあてがないのはきついので応募するだけしてみようとしています。ただ住所が郷里というわけにはいかない、具体的に転居予定の住所を書けないと信頼度は落ちるだろうと思います。他にも考えているところはあれどまずは転居先。なので作った書類をもって日曜日、新幹線に乗ろうとしています。帰省してからは日比谷で観劇するとき宿泊していたところは6月1日から営業を再開しているものの宿泊利用は不可。なので日帰り。電化製品みたりもしたいことを考えると一泊はしたいところですが必要なものはインターネットで見つけて転居日にあわせて購入することもできるのでまずは内覧。昨日ネットで細かくみていてだいたいのところはわかりましたがやはり実際にみないとわかりません。カーテンも買わないとだし、郷里から遠いので家から荷物出して到着するまで中一日は必要。そうなると宿泊できないのはやはりきつい、別に宅急便で必需品を送るかとか布団もネットで買い直すかとか考え始めたら頭の中がぱんぱんの飽和状態になり、なにもかも自分がダメに思えてきてまた夜な夜な嗚咽。眠剤のおかげで7時間ほど眠ることができたので今日になって泣いていても仕方ないと気持ちを持つ直すことができました。今月中の締切はきびしいですが、どうせまた離れなければならないのだから一日も早く離れた方が賢明なのかもしれません。火曜日、気力をふりしぼってやっとハロワに行きましたが利用できるセーフティネットはないとわかったのでただ自分を信じるのみ。高い電車代と時間を使って、10カ月間の背筋がこおるようないじわる話をやっと人に聴いてもらってねぎらってもらうことができたのでよしとしましょう。

 4月上旬に作った応募書類を見直してみるとなんと年齢を間違って記入していたことに気づきました。記入したよりも、年金保険料の納付から解放されるまでまだひとつ若かったです。どうしてこんなふうに間違てしまったのか、もはや記憶がさだかではありません。コロナ禍で先が見えない不安も強かったし、背筋がこおりっぱなしの10カ月間にわたし、よほど疲れていたみたいです。


 のどかな宝塚で事件、宝塚インターチェンジから一キロって日帰りバスツアーで通ったことがあるところなのかな、また家族同士。世の中の事件の半分はこうして身内で起きています。コロナのリスクを考えると田舎の方が安全だろうし、隣を気にしなければならない集合住宅は大変ですが大きな家の庭の雑草を電動草刈機で手入れすることも数年先に売却することもわたしには無理なので離れようと思います。家族って何でしょうね。帰省によっててんがいこどくの身だとわかりましたが、最期は生き場のない遺骨を自治体が面倒みるから心配しなくてもいいかな、まだ早いですかね、母が旅立った年齢を考えるとこれから先いっぱい時間があるわけではないので家族の呪縛からはもう逃れて生きていけばいいかなって思います。さらに歳をとってから帰省して無理でしたとなるよりも今わかったよかったと考えることにします。幼いころのアルバム、母に抱かれている自分、もう見ないまま離れるか、スマホで撮ってから離れるか、どうしましょうかね。

 郷里近郊、明日も真夏日の模様、明日は新幹線の予約。行くと決めていくのです。わたしが払える家賃でこんなふうに部屋が空いているのもコロナのおかげ?
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