急に寒さが厳しくなってきた12月、仕事から離れているので年の瀬という実感はほとんどありませんが、今年もたくさんのいい舞台と出会い、心のエネルギーをもらいながらどうにかこうにか生き延びてきた一年だったとしみじみ思います。心の潤いを求めて、ライブビューイングも含めてほんとによく観劇しました。まだまだ終わりません。明日は花組の舞浜アンフィシアター公演ライブビューイング、会場となる映画館がものすごく遠いのに心が折れそうになっていますが、違う会場で申し込まなかったことを後悔していますが、行かなかったら悔いが残るのでがんばっていきます。人のざわめきからすっかり遠ざかっている生活になってしまいました。これからどうしましょうと思いながら、今日もつらつらとも断片的な思い出し日記。
『ファントム』、役替わりをわかっていないまま観劇しました。プログラムをみると12月6日はAパターン最終日。フィリップ:彩凪翔 アラン・ショレ:朝美絢、という配役でした。朝美絢さん、ものすごく美しいお顔をおひげで隠して、オペラ座の新しい支配人の役、がんばっていました。ちょっと苦しいかなとも思いましたが役作りとしては申し分なかったと思います。いい味出ていました。イケメン、フィリップでも観たかったですね。彩凪翔さん、るろ剣では武田観柳を演じていた方なのか。どんなアラン・ショレになっているのか、気になります。
再演ものを観るとき、自分の中でもそれだけの時間が経過したことを感じながらの観劇。その分人として成熟できているのかどうかはわかりませんが、歳をとった分作品のもつ深さがかつてよりは感じとることができるようになったのかなと思います。時代の流れと共に演出も様変わりし、舞台全体が明るくなった印象を受けました。映像を使って一幕はオペラ座のあるパリの街へと、二幕はファントムが暮らす地下の沼へと観客を誘う演出になっていました。一年前、『Pukul』で使われていたプロジェクションマッピングという技術。プログラムを読むとチョン・ジェジンという韓国のメディア制作の方が担当されました。『フランケンシュタイン』『ブラック・メリー・ポピンズ』を生み出した韓国の独特の湿り気感というんでしょうか、欧米では生まれなさそうな世界観が『ファントム』の世界に上手く融合していたと思います。片隅で『フランケンシュタイン』を思い出していました。
「ひとりの男の”生”と”死”に込められた”美”と”醜” チョン・ジェジン
面で醜い顔を隠し、地下で生きる男。優れたい音楽的才能を持つ彼は、純粋で傷だらけの人間ですが、彼を”怪物”に作り上げ、暗闇に追い込んだのは”世の中”です。そして、ストーリィが進むにつれて、本物の怪物は”世の中”であることを示しています。
このようにファントムは、”美”と”醜”の本質を再考させる作品です。美しい都パリ、その絶頂であるオペラハウス、しかしそこは醜悪な裏の世界が渦巻いています。
作品の映像コンセプトは、そのそんな”世の中”の両面性を露わにすることです。オープニングでは、水面に映るパリの景色が最初は美しく見えますが、波が立ち、奇妙に歪んでいきます。この変化はエリックの生きるの世界の本当の正体を暗示しています。ファントムが現れるたびに登場する象徴も、美と醜の両面性を表現しています。揺れる三日月から歪んだ仮面へと変わる映像は、ファントムの神秘的な雰囲気と混乱する感情を、不規則的な線によって形象化したものです。またエリックがいる地下空間も、やはり光と影を活用し、美しくもどこか不安な思いを同時に伝えています。
偽善的な”世の中”とは共存できず、幽霊のように”世の中”に浮遊するエリックは、最後になってようやく安息を得ることができました。遅れで気づいたエリックへの愛をクリスティーヌが唄い揺れる三日月が満月となる場面は、愛と平穏を探し得たエリックを意味します。
しかし、”美”と”醜”の二分法を超えた男の最後の姿は、その場に残った者たちにどこか哀しい印象を残していきます。しかしそれでもファントムの話が魅力的なのは、むしろ死によって完成される”生”の世界観の為です。それは〝善”と”悪”、”美”と”醜”までをも超越する絶対的な境地とも考えられます。それ故、エリックではない”ファントム”は、永遠に死ぬことのない存在でもあります。そんなエリックのドラマティックな”生”を通じて、観客の皆様も本当の”美”の意味を考えてみるのはいかがでしょうか?」
月組の『雨に唄えば』の映像演出もチョンさんでした。
ファントムの従者6人の中で、二人は娘役さんかな。長い髪と手足が長く伸びやかなダンスが印象的でした。トートダンサーのような存在感。純粋に生きたエリックは死によって安らぎを得たのかな、その声と面差しに、自分を愛してくれた母の面影をみたクリスティーヌと出会えたことで、探し求め続けていた面影と巡り会えたことで、エリックの人生は幸せだったのかな。望海風斗さんファントムは限りなく優しかった、痛々しいほどに。それは望海さんがもつ素から醸し出される優しさなのかな。ファントムのダンスシーンもこんなにあったのかと。フィナーレのデュエットダンスは、安らぎを得たファントムと、彼のへの愛に気づいたクリスティーヌとの幸せ感に満たされた表情が嬉しい場面でした。真っ赤な衣装が素敵でした。
パリのオペラ座近く、ものすごい人だかりでした。バスも走っているし、喧噪が半端ではなかった記憶があります。スリがこわくってオペラ座に近づくことはできませんでした。またいつか行けるときがあるのかなあ。木曜日、上京するとこの移動手段を新幹線にするか、高速バスにするかまだ決められず、明日の来年が終わったら決めなければ、その前にハローワークの説明会の場所がまた遠いので電車とバスの時間を調べなければ・・・・、ひとつひとつ・・・。
『ファントム』、役替わりをわかっていないまま観劇しました。プログラムをみると12月6日はAパターン最終日。フィリップ:彩凪翔 アラン・ショレ:朝美絢、という配役でした。朝美絢さん、ものすごく美しいお顔をおひげで隠して、オペラ座の新しい支配人の役、がんばっていました。ちょっと苦しいかなとも思いましたが役作りとしては申し分なかったと思います。いい味出ていました。イケメン、フィリップでも観たかったですね。彩凪翔さん、るろ剣では武田観柳を演じていた方なのか。どんなアラン・ショレになっているのか、気になります。
再演ものを観るとき、自分の中でもそれだけの時間が経過したことを感じながらの観劇。その分人として成熟できているのかどうかはわかりませんが、歳をとった分作品のもつ深さがかつてよりは感じとることができるようになったのかなと思います。時代の流れと共に演出も様変わりし、舞台全体が明るくなった印象を受けました。映像を使って一幕はオペラ座のあるパリの街へと、二幕はファントムが暮らす地下の沼へと観客を誘う演出になっていました。一年前、『Pukul』で使われていたプロジェクションマッピングという技術。プログラムを読むとチョン・ジェジンという韓国のメディア制作の方が担当されました。『フランケンシュタイン』『ブラック・メリー・ポピンズ』を生み出した韓国の独特の湿り気感というんでしょうか、欧米では生まれなさそうな世界観が『ファントム』の世界に上手く融合していたと思います。片隅で『フランケンシュタイン』を思い出していました。
「ひとりの男の”生”と”死”に込められた”美”と”醜” チョン・ジェジン
面で醜い顔を隠し、地下で生きる男。優れたい音楽的才能を持つ彼は、純粋で傷だらけの人間ですが、彼を”怪物”に作り上げ、暗闇に追い込んだのは”世の中”です。そして、ストーリィが進むにつれて、本物の怪物は”世の中”であることを示しています。
このようにファントムは、”美”と”醜”の本質を再考させる作品です。美しい都パリ、その絶頂であるオペラハウス、しかしそこは醜悪な裏の世界が渦巻いています。
作品の映像コンセプトは、そのそんな”世の中”の両面性を露わにすることです。オープニングでは、水面に映るパリの景色が最初は美しく見えますが、波が立ち、奇妙に歪んでいきます。この変化はエリックの生きるの世界の本当の正体を暗示しています。ファントムが現れるたびに登場する象徴も、美と醜の両面性を表現しています。揺れる三日月から歪んだ仮面へと変わる映像は、ファントムの神秘的な雰囲気と混乱する感情を、不規則的な線によって形象化したものです。またエリックがいる地下空間も、やはり光と影を活用し、美しくもどこか不安な思いを同時に伝えています。
偽善的な”世の中”とは共存できず、幽霊のように”世の中”に浮遊するエリックは、最後になってようやく安息を得ることができました。遅れで気づいたエリックへの愛をクリスティーヌが唄い揺れる三日月が満月となる場面は、愛と平穏を探し得たエリックを意味します。
しかし、”美”と”醜”の二分法を超えた男の最後の姿は、その場に残った者たちにどこか哀しい印象を残していきます。しかしそれでもファントムの話が魅力的なのは、むしろ死によって完成される”生”の世界観の為です。それは〝善”と”悪”、”美”と”醜”までをも超越する絶対的な境地とも考えられます。それ故、エリックではない”ファントム”は、永遠に死ぬことのない存在でもあります。そんなエリックのドラマティックな”生”を通じて、観客の皆様も本当の”美”の意味を考えてみるのはいかがでしょうか?」
月組の『雨に唄えば』の映像演出もチョンさんでした。
ファントムの従者6人の中で、二人は娘役さんかな。長い髪と手足が長く伸びやかなダンスが印象的でした。トートダンサーのような存在感。純粋に生きたエリックは死によって安らぎを得たのかな、その声と面差しに、自分を愛してくれた母の面影をみたクリスティーヌと出会えたことで、探し求め続けていた面影と巡り会えたことで、エリックの人生は幸せだったのかな。望海風斗さんファントムは限りなく優しかった、痛々しいほどに。それは望海さんがもつ素から醸し出される優しさなのかな。ファントムのダンスシーンもこんなにあったのかと。フィナーレのデュエットダンスは、安らぎを得たファントムと、彼のへの愛に気づいたクリスティーヌとの幸せ感に満たされた表情が嬉しい場面でした。真っ赤な衣装が素敵でした。
パリのオペラ座近く、ものすごい人だかりでした。バスも走っているし、喧噪が半端ではなかった記憶があります。スリがこわくってオペラ座に近づくことはできませんでした。またいつか行けるときがあるのかなあ。木曜日、上京するとこの移動手段を新幹線にするか、高速バスにするかまだ決められず、明日の来年が終わったら決めなければ、その前にハローワークの説明会の場所がまた遠いので電車とバスの時間を調べなければ・・・・、ひとつひとつ・・・。