たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

秋の始まり_徒然

2013年09月23日 13時16分01秒 | 日記
今日は秋のお彼岸。ここ数日蒸し暑かったのが涼しくなりました。
ベランダの鉢植えの月見草が気がついたら今年もたくましく花を咲かせています。
すごい生命力です。

20年前の今日は告別式だったようが気がします。
写真の前におはぎを供えて合掌、安らかであれと今はただ祈るのみです。
三人で仲良くやっているかな、おばあちゃんも一緒かな。
私と弟が一生懸命生きるから見守っていてね。

昨日整骨院に行ってマッサージをしてもらいながら、宇多田ヒカルさんの話がでた時に思わず気持ちが入りすぎて涙を流してしまいました。大変なことを背負うことになりマスゴミにも傷つけられ辛いだろうと思います。どれほど受け容れていくのが大変か・・・。時間をかけて乗り越えていって、またすばらしい歌声をきかせてくれることを祈りたいと思います。

今少しずつこれまでの時間を振り返りながら古いものを整理する(=捨てる)作業をずっと続けています。休日だけなのでほんとに少しずつです。
振り返ってみると、20年間いろんなことをやってきてよくがんばってきたんだあと思います。
自分をほめてあげてもいいかな。


手帳の記述から、振り返りにしばしおつき合いください。



2012年9月15日(土)夕方の新幹線で帰省、蒸し暑かった。
2012年9月16日(日)父の三回忌法要と三人の納骨、お墓に入ることの意味を始めて知った。
2012年9月17日(月)父と母と妹の遺品整理、衣類を捨てるものとリサイクルに出すものに分けたのみ。疲れるもんだ。
2012年9月23日(日)断捨離継続中。なかなか疲れるがとにかくモノを減らしたいのでがんばっている。でもなかなか減らないな。本もがんばって読む。色々とがんばる。

2011年9月16日(金)休暇取得、夕方の新幹線で帰省。
2011年9月17日(土)父の一周忌。暑い。
2011年9月18日(日)暑い。かなりへばっている。午後早い新幹線で戻る。
2011年9月19日(月)市の自殺対策フォーラム聴講。疲れていて辛かった。Mアナウンサーの話が心に残る。

父の一周忌は終わった。疲労だけがどっと残ってほとんど休みだったという気がしない。
被災地ボランティアで感じた熱い思いも、自分だからできることが、やるべきことがあるんじゃないかという熱い思いもどこにも受け容れられず空回りし続けている。何故なんだろう。そういう集まりに行っても結局誰とも共有できないまま帰ってくる。人の考え方や感じ方って本当にそれぞれなんだ、とあらためて思うこの頃だが、しっくりとくる場に出会うことがないのは何故なんだろう。
それでもMちゃん(妹)が逝ってしまったあと、のたうち回るような思いでたどり着いた今をとめることはできない。どこにもたどり着けないかもしれないが、自分がいるべき場所をさがし続けるしかない。どうやって生きていくのか、これからどうあるべきなのか、”命”を一人一人が考えないと結局日本は変わらないと思う。

2011年10月5日(水)-11月2日(水)毎水曜日18時50分から20時50分、いのちの電話の公開講座出席。

2011年10月5日(水)いのちの電話一回目ー心のケアと傾聴、平日の夜、そこに行くこと自体大変だし、自殺という言葉を繰り返しきくのもきつい。やっぱり働きながらは無理だなあ。

2011年10月11日(水)いのちの電話二回目ーいのちの電話、きつかった。休み明けに早退。早くもへばり。自殺の話を疲れた状態できくのもきついし、気持ちはあっても時間的にとてもやれそうにない。自分の内側にある何か熱いものと現実とのギャップについていくことができない。現実はとてもへんちくりんで不快だ。

2011年10月19日(水)いのちの電話三回目ー自死遺族のケア、前半の終わり頃、苦しくなって動悸がしそうになってきた。でもがんばった。はじめて当事者と一対一で話をした。私は自死遺族なんだ。その立場は永遠に終わることがないんだと思う。

2011年10月21日(金)なんとなくいつも不安で落ち着かない。自分の居場所をどこに求めればいいのかわからない。今はここで辛抱するしかない。でも私は上手く立ち回れるわけではなく、ネガティブな感情が顔に出る。こういう人間は生きづらいよな・・・。

2011年11月6日(日)人は本当に色々だ。思いはあふれているがなかなか上手く表現できず、人に伝えられてもいない。今はじっと辛抱だ。会社にいると爆発しそうになるが、こらえるしかない。『赤毛のアン』とプリンス・エドワード島を心の逃げ場所として進んで行こう。「きつい時はがんばろうね。きっとみえてくるものがある。」カウンセラーのY先生からの励ましだ。



森真一『自己コントロールの檻』-感情マネジメント社会の現実(講談社選書、2000年発行)の161頁より以下引用です。


「さきに、社会全体が一つの大きなマクドナルドの店舗のようになりつつあると述べた。そして今、社会全体が「能力主義」や「雇用流動化」と称して、正社員を非正社員へと置き換えつつある。その典型的存在が、派遣社員である。この派遣社員を中心に、新たな合理化のあり方と感情マネジメントとの関連性、および心理学が「能力主義」への合理を取りつけることで新たな合理化を推進している」


私がずっと感じ続けている違和感の正体のヒントがここにあるかもしれません。卒業論文を書いた際に読み切れなかった一冊です。あらためて読もうと思います。卒業論文のこともまだまだ先になりそうですが、書きたいと思っています。


私が住んでいる地域の駅周辺にはファースト・フードのコーヒーチェーン店がたくさんあって本を読むために利用しますが、マニュアル通りの心のこもっていない言葉かけが多いですね。心がこもっていないことを敏感に感じてしまってすごく違和感があります。


先日はじめてアメリカに行ってみて、日本の「甘え」、わび・さびといった曖昧の文化をもっと考えていこうと思いました。



上の写真は春のオーウエル・コーナー歴史村です。



ケープ・トライオンです。

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ポイントプリムの灯台です。
(以前にも同じ写真を載せているかもしれません。)

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ヴィクトリア村の灯台です。きれいですね。
春の島への旅日記もいずれ載せたいです。

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