たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ちっそくしている水曜日

2018年02月14日 22時26分00秒 | 日記
 昨夜はブログを書き終えて投稿したところ途中でネットがつながらなくなっていたので、途中から書き直し、投稿するまでネットが切れているってわからないので大変。損害は少なくてすみましたが10時半を回ってから書き直すのはこたえました。それでも納得のいくところまで書かないと眠れないのでね、結果、今日もあと10分早く就寝すればよかった、からの朝となりました。この部屋で眠らなければならないプレッシャーとたたかうのもけっこう大変。いついかなるときも引きこもりのオッサンはいる気配の音丸ぎこえ、食い物の匂いが漂ってくるのカンベンしてほしい。お向かいの女性はいつ出かけているのかわかりませんが帰ってくるのは毎晩12時半過ぎ。はあっ、古い建物なのでこういう作りなんだろうなあ、はあっ。

 朝から晴れ渡った、陽射しのまぶしい一日、雨が降りそうにありませんね。落ち着きません。わたしの薄給なんかよりもずっと入ってくるものがたくさんあるはずなのに払うべきものを払えていませんっていう方の心配している場合ではなく、薄給のわたしの方がずっと大変なんですけどっていうこの頃。今日もあれやこれやと想定外の電話がいくつも入ってきて振り回されすっかりいやになっています。基本的なことをほとんど知らないまま、理解していないまま行き当たりばったりでやっているのでなおさらひとつひとつに時間がかかるし、そんなこと知らんがな、っていうことの連続で事務処理は進まないし、わたしの対応能力をこえています。明日も明後日もなんですよね、対応しきれません。ちっそくしています。ほんと標準的なという意味での普通の想像力でいるとそんなところをはるかに超えたことばかりが起こるので、おっといけない、しまったという感じで、わたしの想像力ではとうてい及ばず頭がついていかないことばかりです。普通の感覚で良心的に考えてしまってはほんとにダメで、周囲が心配していることを理解できるだけのスキルがないことを忘れてはダメで、ついつい一般的な感覚で必死になってしまった自分がいるというむなしさ、そんなことが通じる相手ではないことがわかったのでなおさらむなしい。資格を生かせるし妹が与えてくれた役割なら尽力したい、もう少しやってみたいと思い踏み込んだ世界、色々と勉強にはなりますがやってられないよっていうことが多すぎでむなしいです。ほんの一握り希望を感じさせてくれる方があるからやっていられます。全部希望がなかったら気持ちがもたないなあと思います。ほんとにきつい仕事。明日の午後は訪問の約束をしたので行かねばですが、午前中準備が間に合うのか。また次々と電話で遮断されそうです。なんどもなんどもかけてきている人がいて出てしまうと終わらなくなるので出ていませんが出るまでかかってくるんだろうなあ。事務方が最初に出てしまうとうまくいってもらうことができないのでなおさら大変。いやだなあ。胃の痛みはとまりません。

 今日もお花屋さんのDVDをかけ続けています。癒しと潤いのお花屋さん。舞空瞳ちゃんハンナの「自分の心がわからなくなったときは森へ行くの」「心の声に耳をすませるの」に涙。余計なものをすべて取り払ったとき、きっと自分の心と素直に向き合うことができるんでしょう。きっと植田先生の心の底からのメッセージ。

 あと少しだけ、みりらんの映像もみたら休むことにしましょう。明日もなんとか無事に一日が過ぎていきますように・・・。