「ぺピンの町には、ローラ・インガルス・ワイルダー記念公園がある。公園といっても、芝生に、木のテーブルと椅子を置いたシンプルなものだ。ちょうど9月の新学期がはじまったところで、誰もいなかった。
しかし夏休みには、キャンピングカーで旅をしてきた家族づれが集まり、青空のもとで食事をとるのだという。北米の人々は、大きなキャンピングカーに寝泊まりしながら海辺や山を旅する。これはローラの家族が、幌馬車に家財道具を積んで移動しながら、獲物をとり、外で煮炊きしてご飯を食べ、夜はキャンプをしたころからつづくアメリカの伝統的な旅のスタイルだ。
屋根のついた幌馬車が、現代ではキャンピングカーに変わったのだ。
(略)
それから小さな町をぬけ、ぺピン湖へ行った。丘の道をおりていくと、静かな水をたたえた湖面が見えてきた。周囲は、ぐるりと緑の丘陵に囲まれている。大きな湖だ。しかしこれはミシシッピ河の一部が太くなったところで、本当は河なのだ。
ローラが子どものころは、『大きな森の小さな家』に書かれている通り、湖畔に商店があり町があった。しかし今では、町の中心部は、湖から離れた博物館のあたりに移っている。
道路や鉄道の発達していなかった昔は、船で河を行き来して人や荷物を運んだので、湖畔に町があったのだろう。
今では、湖畔には民家が点々とあるだけだ。しかし湖に面した家々は、きれいにペンキで塗られている。二階には遠くのむこう岸まで見晴らせるようなテラスがあり、庭先にはボートが置かれ、水辺の暮らしを愉しんでいる様子が伝わってくる。
作家のマーク・トウェインは、ミシシッピ河を下って行ったミズーリ州ハンニバルに育ったが、ここぺピン湖の美しさ、その夕景の素晴らしさを絶賛している。トウェインはミシシッピ河の船に乗りこみ水先案内人(パイロット)をしていたので、上流のぺピン湖まで来ていたのだろう。ちなみに当時の詩人にとって、この湖は必ず行くべき場所のひとつで、その美しさを讃える数々の作品が書かれたという。」
(松本侑子著『アメリカ・カナダ物語紀行』平成21年幻冬舎文庫、160-164頁より引用しています。)
ぺピン湖畔の街並みからです。
しかし夏休みには、キャンピングカーで旅をしてきた家族づれが集まり、青空のもとで食事をとるのだという。北米の人々は、大きなキャンピングカーに寝泊まりしながら海辺や山を旅する。これはローラの家族が、幌馬車に家財道具を積んで移動しながら、獲物をとり、外で煮炊きしてご飯を食べ、夜はキャンプをしたころからつづくアメリカの伝統的な旅のスタイルだ。
屋根のついた幌馬車が、現代ではキャンピングカーに変わったのだ。
(略)
それから小さな町をぬけ、ぺピン湖へ行った。丘の道をおりていくと、静かな水をたたえた湖面が見えてきた。周囲は、ぐるりと緑の丘陵に囲まれている。大きな湖だ。しかしこれはミシシッピ河の一部が太くなったところで、本当は河なのだ。
ローラが子どものころは、『大きな森の小さな家』に書かれている通り、湖畔に商店があり町があった。しかし今では、町の中心部は、湖から離れた博物館のあたりに移っている。
道路や鉄道の発達していなかった昔は、船で河を行き来して人や荷物を運んだので、湖畔に町があったのだろう。
今では、湖畔には民家が点々とあるだけだ。しかし湖に面した家々は、きれいにペンキで塗られている。二階には遠くのむこう岸まで見晴らせるようなテラスがあり、庭先にはボートが置かれ、水辺の暮らしを愉しんでいる様子が伝わってくる。
作家のマーク・トウェインは、ミシシッピ河を下って行ったミズーリ州ハンニバルに育ったが、ここぺピン湖の美しさ、その夕景の素晴らしさを絶賛している。トウェインはミシシッピ河の船に乗りこみ水先案内人(パイロット)をしていたので、上流のぺピン湖まで来ていたのだろう。ちなみに当時の詩人にとって、この湖は必ず行くべき場所のひとつで、その美しさを讃える数々の作品が書かれたという。」
(松本侑子著『アメリカ・カナダ物語紀行』平成21年幻冬舎文庫、160-164頁より引用しています。)
ぺピン湖畔の街並みからです。