医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

生命の美しさ

2006年01月18日 17時27分14秒 | Weblog
 僕はこういう仕事をしておりますので、生命に対峙する機会があります。

 医学は進歩を遂げ、DNAや遺伝子であるとか、体外受精やクローン技術、臓器移植、テロメア・アポトーシスや細胞寿命、シグナルたんぱくの発見によってわずかながら薬剤のデリバリーのメカニズム、ミトコンドリアを介した電子のやりとりでエネルギーを産生していることがわかってきました。 

 でも、まだまだ分かっていないことも多く、例えば「意識」がどこにあるか、「記憶」のメカニズム、細胞間の「情報」のやりとりなどまだまだ解き明かされていないものがたくさんあります。

 小説、藤崎慎吾の「ハイドゥナン」では鉱物や微生物にも記憶と情報のやり取りがあるという前提だったり、夢野久作のカルト奇作、かの「ドグラマグラ」では確か細胞ひとつひとつ、ミトコンドリアに意識があるという話だったと思います。 

 特に「ハイドゥナン」は、日本人の文壇では珍しく、科学的で大胆な仮説をもとに展開されていきます(ナナさん、「ニライカナイ」がでてきますよ)。

 小松左京以来かな。



 医学はまだまだこれからです。 

 特に日本ではエビデンスのない治療や薬剤が多すぎます。 

 やっと黎明を迎えたと言ってもいいと思います。



 僕は生命が「生きようとする力」、これは「本能」という言葉で説明されることが多いのですが、この力に畏敬の念を感じずにはいられません。

 どんな単細胞の生物でもおよそ生きとし生けるものに共通するこの力にプラスして、さらには意識の彼方にある、見えざるがしかし確固たる力、先祖代々脈々と続く「愛」や「慈しもう」とする意思、「正しく」生きようとする力、そこに神秘的な力を感じるのです。

 
 どうして生命はそこまで種を保存しようとしたがるのでしょうか。(それが淘汰だよ、なんて夢のない話は言わないでね

 その見えざる生命の生きようとする「本能」としての力、

 「正しく」生きようとする「意思」の力、

 に感動し、「美しさ」を感じ、その2つの力にひょっとしたら「神」の介在する余地があるのかな・・・ 


 なんて形而上学的な空想をして楽しんだりしてます。

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