医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

美しき旋律

2006年01月11日 20時59分16秒 | Weblog
 音楽というのもまた、不思議ですよね。 

 他の芸術と違って、メロディにはものとしての存在や実態がありません(まあ、楽譜は別ですが)。

 でも地球上のどこに行っても、「イマジン」を口ずさめば、友達になれそうな気がします。 

 本当に美しいメロディには、やはり心から感動します。


 音楽にも色々ジャンルがありますが、僕は大のロックファン。 

 ロックの中でも、グラムロックとハードロック(決してヘビーメタルではない!)が好きです。

 グラムロックというのは、幻惑的な魅力という意味で、1970年代、今で言うビジュアル系が化粧をして、いっちゃっていた系統・・・ 

 代表的なのが、T-REX、デビッドボウイ、ロキシーミュージックといったところ。

 ハードロックはツェッペリンを代表とする、シンプルで趣味のいいハードなギターを中心とした系統、といえばよいのかなあ・・・。


 エコー&ザ・バニーメンや初期のU2、クラッシュも良かった。

 そして、ボウイにミック=ロンソン、ツェッペリンにジミー=ペイジ、クィーンにはブライアン=メイ、クラッシュにミック=ジョーンズ、U2にエッジ、ストーンズにキース、ザ・スミスにジョニー=マー、エコー&ザバニーメンにウィル=サージェントといった具合に、ギタリストが秀逸でないとだめです。

 ロックは反逆、ギターはこの世の不条理を引き裂くノイズ、これがゴリゴリと固まりになり脳を刺激し、時には繊細にまとわりつき・・ 

 ボーカルはボウイやイアン=マッカロク、ボノのような声が好きです。 ジョン=ライドンよろしく、ちょっとぐらいイっちゃっていた方が良い。

 そして、美しい曲が美しく、これがとっても大事。 

 楽曲としてはクラシックにかないっこありませんし、リズムではブラックにかないません。

 エモーションはジャズ。

 ではロックの魅力は?

 ロックはアジテーション、社会に反逆する心とでも申しましょうか?

 時代がロックスターを求めるものです。


 僕は今では音楽を聴く時間もあまりないし、ロックを求める心も枯渇してきたし、時代もロックを求めていないので、お気に入りの現役のミュージシャンが少なくなってしまいました。

 ボウイはかつて言っていました。

 ロックスターはステージで殺されると。 

 そう、この世の不幸のシンボルが言ってみればスターです。

 自らの代わりにこの世の不条理や不幸を絶叫してくれるのがロックスター。 

 スターを愛すれば愛するほど、自らの不幸も浮き彫りになるし・・・また独占しようとすればするほど・・・そしてスターが落ちていくさまを見たくなければないほど・・・ジョン=レノンを射殺したのはチャプリンというジョンの大ファンでした。

ハワイ島の星の美しさ

2006年01月10日 20時35分35秒 | Weblog
 みなさん、ハワイは好きですよね。

 ハワイには魅力がたくさんありますが、ハワイ島の星を見たことがありますか? 

 ハワイ島のマウナケアは富士山よりも高く、山頂には各国の天体観測所がひしめきます。 

 わが日本の「すばる」も。

 世界で最も星を見るのに適しているのだそうです。

 ツアーでは車で山頂まで行って、ドームの立ち並ぶ異空間の山頂で美しい夕日を見て(これがまた絶品!)、その後中腹に下りて美しい星ぼしを観察するものです。

 天の川を肉眼で見たのは初めて。

 人工衛星や流れ星も見れます。 

 人生観変わります。みなさん、ぜひ体験してみてください。


 そうやって星を眺めていると、僕の中の「不思議君」がまたもやむくむくと・・・ 

 ビッグバン説やら宇宙の膨張論、時間の概念、アインシュタイン、超ひも理論、11次元、天空のメリーゴーランド、ブラフマン、両界曼荼羅・・そういえば、大好きな遺跡も天空の模写だよな・・マチュピチュにテオティワカン、チチェンイッツア、ケツァルコルトル(ビラコチャ)・・・ギザもそうだし、ボロブドゥールにアンコール・・乳海攪拌・・・ 


 そうしていにしえに思いを馳せているうちに、ダーウィンの進化論が頭に連想されてきました。 

 ほら教科書に良く出てきた、魚に足が生えて、サルが人間になるあれです、あれ。

 あれって本当でしょうかね?

 サルが人間になるのでしょうか?

 染色体も違うのに。

 足の生えた魚の化石を見たことがありますか? 

 突然変異っていうものは、通常弱い方向へ変異するのであって、突然変異のスーパーマンを見たことがありません。

 エントロピーは増大するのが法則なのに、減少して進化するのでしょうか?

 まぁ、地球は閉鎖系ではなく、太陽に向かって開放しているからという説明ですが・・・

 かといってキリスト教原理主義者を擁護するわけではありませんが。 

 医者なのにこんなこと言って恥ずかしいのかもしれませんけれど・・・ほんとかなあ・・・?

文学の美しさ

2006年01月09日 11時12分17秒 | Weblog
 僕は昔から本が大好きです。 

 活字中毒のため、食事中でも厠でも何かしら文字を脳に刷り込みたくなります。

 遺跡本、宗教ネタが好きなことは以前お話しました。

 一番ごひいきの作家は「安部公房」です。 

 阿部公房本はたぶん全部読破していると思います。

 今でも繰り返し読みをしております。

 彼の素晴しさは、文章の「キレ」といいますか、とっても理系の文章なところです。

 無駄をそぎ落として、理論的で、無機的で・・氷のように冷たくて美しい。 

 ねちねちからみついてこないんですね。

 その一字一句が「カッコイイ」のです。

 彼の真骨頂は、日常生活が進行方向で、1度だけずれたとして、それが遠くにいけば行くほど大きなずれになるでしょ?

 針穴くらいの落とし穴から、そうやってずるずると「狂気」という名の袋小路に引きずりこまれていくのです。


 勝手に絶対ノーベル賞を取ると信じて疑いませんでしたが、残念なことにお亡くなりになられて。

 東大の医学部卒なんですよ。

 日本共産党を除名されているので、思想的には元々はかなり左よりなのかなと思いますが。

 代表作の「砂の女」はそういう政治的比ゆ本といわれております。

 小説の実験的取り組みや(表現者としてのアバンギャルド性)、文章表現と形容詞のひとつひとつ、日常に潜む狂気のあぶり出しがもうたまりません。


 「他人の顔」「密会」「けものたちは故郷をめざす」「箱男」などが読みやすいと思いますのでぜひ。

尾形光琳の美学

2006年01月08日 18時17分46秒 | Weblog
 お正月ですからね、和的な話題で

 以前、西洋の絵画や彫刻の美に関して書きましたが、日本にもいたんですよね、世界に通用する天才芸術家が。

 その名も尾形光琳

 しかも僕が大好きなバロック時代(元禄文化)の人です。

 国宝「紅白梅図屏風」は有名ですから、みなさんも一度は目にしたことがあると思います。

 金の屏風の中央に模式化された川と渦、そして写実的に左手には下向きの枝だけの白梅、右手には幹のある上向きの紅梅が描かれております。

 白梅が地味な弟の乾山、紅梅が派手で遊び人の光琳自身、などとこの対比が多い絵の解釈に関しては詳しいものが色々ありますから、参照してください。

 僕の勝手な解釈

 それは、両サイドには対照的な自然、中央の川は人間の人生そのもの、そして渦は神、言い換えれば生命を生かそうとする見えない力 

 渦には生命を生み出す根源があるような気がします。

 乳海攪拌も日本の神話の国生み伝説も、鳴門の渦潮にインスパイアされたのではないでしょうか?

 だから渦は模式的なんです。

 そう、日本画には哲学が内在しているのです。

 ここが西洋美術との決定的違いではないでしょうか。

 西洋の絵画や彫刻は人物や神が多く、日本では自然が多いですよね。

 西洋の人間(神)中心主義と、日本の自然共生主義がここでも見て取れます。

 僕たち日本人にとって人間は自然と共生しており、森の中に人間は包まれて内在していることが当たり前だという感覚がありますよね。


 桜前線北上中!なんて言って桜の開花に全国民が一喜一憂するメンタリティ、これは異国の人々に説明したくても、DNAにしみこんでいるので、説明しにくいですねえ。

 桜は散り際が美しいだとか、生け花にしてもつぼみを美しいと感じる心であったり独特の宇宙観があったり、陶器にしてもひびやいびつさまでも愛でる感覚・・・

 それらは華美な装飾や、ただ完成されたものだけにとらわれないという、日本人独特の感性・・・大切にしたいものです


 また、お菓子にまつわる和の心も興味深い 

 さすが虎屋さんでは造詣の深いHPを持っており、

http://www.toraya-group.co.jp/gallery/dat02/dat02_057.html

を覗いてみてください。光琳のお菓子もそこにあります



 それにしても、今の時代であれば、カラバッジョvs光琳、ベルニーニvs乾山のような戦いが見られたかもしれませんね。 

 考えただけでもワクワクしますよね。

レッズ福田の美

2006年01月05日 13時40分29秒 | Weblog
 僕は浦和レッズが大好きです。元旦の天皇杯優勝を祝しまして 

 元浦和レッズの福田正博という方について 

 彼と直接の面識はありませんが、人間は顔や佇まい、立ち振る舞いや言動を通して「人柄」が表れるものですよね。

 僕の「人柄勘」はまた良く当たるんですよ。

 彼の素晴しさは、「人間性」です。

 彼ほどにたったひとりですべてを背負ってしまった運動選手を僕は知りません。

 弱かったレッズが、勝てばすべて福田のおかげ、負ければすべて福田のせい。

 おっ重い・・あまりにも重過ぎます。  

 長島や王でもそこまで巨人を背負ってはいませんでした。

 しかし彼は決して言い訳はしませんでした。

 そこに「美しさ」が際立っていたのです  

 そして彼は不器用なほどレッズを愛し、サポーターを愛し・・・浮かれることもなく純粋に。

 PKを外しまくって罵声を浴びても蹴ることをやめもせず、それを克服しての得点王。

 スランプ、怪我、J2落ち・・・順風満帆ではないけれども、何度も泥だらけになりながら、それでも立ち上がり、時には子供のように泣きじゃくって、必死になってピッチで答えを探し続けたのです。

 悲愴感が漂う「美」はとびきり美しい

 それが伝わるからこそ過激なレッズサポーターは福田に感動し、「ゲットゴール」と声を枯らし、負け続けるレッズを応援し続けたのです。 

 レッズファンで福田を嫌いだという人を見たことがありません。

 ナイーブさと才能を併せ持ち、泣いたり、笑ったり、怒ったり・・感情を隠すことなく、演じることもなく、ありのままに。優勝経験はないけれども(そこも福田らしい)。

 よくスポーツ選手には「ファンに夢や感動を与えたい」などと言う方がいらっしゃいますが、大きなお世話ですよね。

 夢や感動はこちらが判断することです。

 チーム、サポーター、そして悲しみをも背負いながら戦い続けた福田を見て、胸を打たれ「美しい」なと感じました。

 人間、背負っている悲しみが大きいほど「美しく」見えるものなんだ。


 ケンシロウもそうだな・・・