僕のお気に入りに忌野清志郎という人がいます。元RCサクセションのボーカルです。
この人の「美しさ」は、第一に物事の真実を見抜く目と知性と感性の素晴しいところ、それと何といっても歌がうますぎるところ、かつ個性的なところです。
また言動がぶれないところも凄い。
大衆に迎合して売れそうな路線に自分を合わせるのではなく、自分のスタイルや主張したいことをずっと変えておりません。
そのためにとっても「カッコイイ」。
日本人では一番カッコイイのではないでしょうか。
ミュージシャンは芸術家であるから、凡人ではいけません。
詩人でなければいけません。
ロックはNo!と言い続けなければなりません。
すべて合格です。
そしてロックは所詮大人になれない子供の音楽です。
清志郎は自分の仕事を「子供だましのモンキービジネス」だとコンサートの最初に歌ってしまいます。
「まともなヤツは俺しかいねえ」と。
痛快な話です。
ファンを突き放す距離感が気持ちいい。
日本のミュージシャンにありがちですが、僕はコンサートなどでミュージシャンから手拍子を強要され、みんなで同じしぐさをしたり、仲良く手拍子をするのが大嫌いです。
お遊戯会じゃあるまいし。
ましてや隣の人と手をつないでなど言語道断。
またミュージシャンに「夢を失うな」だの、「頑張れ」などと歌で説教されるのはもっといやです。
余計なお世話ですよね。
あなたは表現してくれ、その感性に共感や感動をするかしないかは僕が自分で判断させてくれ、お互い大人なのだから。
ここで泣いてください、驚いてください、笑ってください、ではディズニーランドかハリウッド映画で、あの国のメンタリティです。
また、恋愛ソングにしても「君と出会うために生まれてきた」とか「君こそが人生のすべてだ」とか、大仰過ぎるのは真実味がまったくありません。
人生に大切なものは恋愛だけではあるまい。
清志郎は、「一番大切なものは自分なの、二番目は勉強で、三番目があなたなのお」 と歌っていました。
たい~へん共感しますが、これではしかし売れはしません。
なにせ世間が四畳半フォークだとかいって、不潔な長髪で銭湯の歌なんかをもてはやしていたころに、かの清志郎は髪をつんつん立てて化粧をして、変なひげ生やして、真っ赤なスーツにファー巻いて腰を振りながら「バッテリーはビンビンだぜえっ」って歌を歌っていたんですから。
近年、やっと時代がついてきました。
また、「ただ僕を分かっていてくれればいい、コーヒーを僕に入れてくれ」みたいなラブソングを歌ってました。
最高のラブソングだ。
そして「君は嘘つきだから甘いメロディを知ってる」とも。
実に素晴しい。
「俺はよそものだからそんなに親切にしてくれなくていいんだぜ」と。
その疎外感、孤独感が好きです。
そしてロックで忘れてはいけない、反逆の心、彼だけでしょう、タブーを恐れず原発、オウム、君が代、阪神淡路大震災と、絶対触れちゃいけないテーマなど、世間を震撼させた出来事にきちんと対峙して歌うのは。
先日もあるコンサートで微妙な時期だから「ロック君が代」をやるな、と主催者側に依頼されており、リハーサルではおとなしくしていたようですが、本番ではやっぱり思いっきりやってしまい、その後のコメント。
「だったら俺に出演させるな」。
ごもっとも。ロックミュージシャンのかがみだ。
だから今でも日比谷の野音のチケットは僕たちマニアにとって超激戦なのです。
ダフ屋のおじさんもびっくりしてました。
RC復活時が20万円に跳ね上がっていました。
でもね、清志郎にはやっぱりチャボがお似合いです。
また一緒にやってくださいよ。
それから最近は歌を安売りしすぎています。せっかくの才能なのですから、昔のように1曲1曲に魂をこめてください。
この人の「美しさ」は、第一に物事の真実を見抜く目と知性と感性の素晴しいところ、それと何といっても歌がうますぎるところ、かつ個性的なところです。
また言動がぶれないところも凄い。
大衆に迎合して売れそうな路線に自分を合わせるのではなく、自分のスタイルや主張したいことをずっと変えておりません。
そのためにとっても「カッコイイ」。
日本人では一番カッコイイのではないでしょうか。
ミュージシャンは芸術家であるから、凡人ではいけません。
詩人でなければいけません。
ロックはNo!と言い続けなければなりません。
すべて合格です。
そしてロックは所詮大人になれない子供の音楽です。
清志郎は自分の仕事を「子供だましのモンキービジネス」だとコンサートの最初に歌ってしまいます。
「まともなヤツは俺しかいねえ」と。
痛快な話です。
ファンを突き放す距離感が気持ちいい。
日本のミュージシャンにありがちですが、僕はコンサートなどでミュージシャンから手拍子を強要され、みんなで同じしぐさをしたり、仲良く手拍子をするのが大嫌いです。
お遊戯会じゃあるまいし。
ましてや隣の人と手をつないでなど言語道断。
またミュージシャンに「夢を失うな」だの、「頑張れ」などと歌で説教されるのはもっといやです。
余計なお世話ですよね。
あなたは表現してくれ、その感性に共感や感動をするかしないかは僕が自分で判断させてくれ、お互い大人なのだから。
ここで泣いてください、驚いてください、笑ってください、ではディズニーランドかハリウッド映画で、あの国のメンタリティです。
また、恋愛ソングにしても「君と出会うために生まれてきた」とか「君こそが人生のすべてだ」とか、大仰過ぎるのは真実味がまったくありません。
人生に大切なものは恋愛だけではあるまい。
清志郎は、「一番大切なものは自分なの、二番目は勉強で、三番目があなたなのお」 と歌っていました。
たい~へん共感しますが、これではしかし売れはしません。
なにせ世間が四畳半フォークだとかいって、不潔な長髪で銭湯の歌なんかをもてはやしていたころに、かの清志郎は髪をつんつん立てて化粧をして、変なひげ生やして、真っ赤なスーツにファー巻いて腰を振りながら「バッテリーはビンビンだぜえっ」って歌を歌っていたんですから。
近年、やっと時代がついてきました。
また、「ただ僕を分かっていてくれればいい、コーヒーを僕に入れてくれ」みたいなラブソングを歌ってました。
最高のラブソングだ。
そして「君は嘘つきだから甘いメロディを知ってる」とも。
実に素晴しい。
「俺はよそものだからそんなに親切にしてくれなくていいんだぜ」と。
その疎外感、孤独感が好きです。
そしてロックで忘れてはいけない、反逆の心、彼だけでしょう、タブーを恐れず原発、オウム、君が代、阪神淡路大震災と、絶対触れちゃいけないテーマなど、世間を震撼させた出来事にきちんと対峙して歌うのは。
先日もあるコンサートで微妙な時期だから「ロック君が代」をやるな、と主催者側に依頼されており、リハーサルではおとなしくしていたようですが、本番ではやっぱり思いっきりやってしまい、その後のコメント。
「だったら俺に出演させるな」。
ごもっとも。ロックミュージシャンのかがみだ。
だから今でも日比谷の野音のチケットは僕たちマニアにとって超激戦なのです。
ダフ屋のおじさんもびっくりしてました。
RC復活時が20万円に跳ね上がっていました。
でもね、清志郎にはやっぱりチャボがお似合いです。
また一緒にやってくださいよ。
それから最近は歌を安売りしすぎています。せっかくの才能なのですから、昔のように1曲1曲に魂をこめてください。