《社説①・08.15》:戦後80年 終戦の日 平和つくる行動を今こそ
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《社説①・08.15》:戦後80年 終戦の日 平和つくる行動を今こそ
日本を存亡の危機に陥れ、侵略したアジア諸国でおびただしい人命を奪った戦争の終結から80年を迎えた。大きな犠牲の上に築かれた平和の重みを再確認する時だ。
不戦の誓いを胸に、復興と経済成長を遂げた戦後日本の歩みは誇るべきものだ。その前提となったのは、法の支配と自由貿易を両輪とする戦後国際秩序である。
核兵器が使用されるリスクが高まり、気候変動に起因する自然災害は後を絶たない。「人類最後の日」までの残り時間を警告する「終末時計」は、過去最も短い「89秒」にセットされている。
◆まかり通る強者の論理
乱世に大手を振るのは大国、強者の横暴だ。イスラエル軍がパレスチナ自治区ガザ地区を破壊し、ロシアはかつて「小ロシア」と呼んだウクライナに降伏を迫る。弱者が抑圧される構図である。
ナチス・ドイツはユダヤ人への敵意をあおり、国民を第二次世界大戦に駆り立てた。戦争体験者が減り、記憶の継承が難しくなる中、ゆがんだナショナリズムや排外主義の台頭が懸念される。
日本も例外ではない。沖縄戦や南京大虐殺の史実に反する発言を政治家が口にし、参院選時には「外国人は優遇されている」「犯罪率が高い」との流言が飛び交った。
「日本の便利な生活を支えているのは私たちなのに苦しかった」。在日ベトナム人を支援するNPO「日越ともいき支援会」の代表理事、吉水慈豊(じほう)さんに届いた声だ。
少数者を排斥する不寛容さは、弱肉強食の論理と地続きである。「戦争の時代」に時計の針を巻き戻すことがあってはならない。
日本は戦後、憲法9条を堅持しつつ日米同盟を基軸に据え、戦争の直接当事者になることはなかった。安全保障を米軍に依存することで高度成長も可能になった。
だが、戦後日本の社会風潮に「『二度と戦争に巻き込まれたくない』という一国平和主義の発想が強かった」(苅部直・東京大教授)面は否めないだろう。
トランプ政権が世界の安定に背を向ける今、問われているのは、戦後日本の歩みを踏まえ、自ら平和を創出する構想力である。
焦眉(しょうび)の急は秩序の立て直しだ。グローバルサウスに耳を傾け、公正な国際ルールを作る。日本の国力低下を嘆くのでなく、「中堅国が小国と手を携えて存在感を発揮できる国連」(中満泉・国連事務次長)の機能を強化すべきだ。
自由貿易体制を守らなければならない。東南アジア諸国や欧州連合(EU)と対話を深め、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)を拡大するのは理にかなう。
東アジアに安定をもたらす環境整備も急がれる。日本は信頼の醸成に向け、地域対話の枠組み創設を提唱すべき立場にある。
肝要なのは、戦前に見られたような「日本中心のアジア主義」の押しつけでなく、対等なパートナーとして協働する姿勢だ。
◆「自国第一」から決別を
日本赤十字社の国民意識調査によると、回答者の過半数が「日本は平和」と思う一方、「世界は平和」は2割に満たなかった。
どうすればギャップを埋められるか。昭和史に詳しい井上寿一・学習院大教授は「日本は、世界平和の構築に応分の責任を果たさなければいけない」と指摘する。
注目したい市民の取り組みがある。京都市のNPO「テラ・ルネッサンス」は東アフリカ・ウガンダなどにスタッフを派遣し、反政府勢力に拉致され、兵士にされた子どもの故郷帰還と社会復帰を進める。創設者の鬼丸昌也さんは「子ども兵を取り戻し、反政府勢力を解体したい。必要なのは紛争を暴力以外で終わらせること」と語る。
歴史の反省に立ち、「戦争のない世界」へのビジョンを国政の最高責任者が示すべき局面だ。終戦記念日にあたり石破茂首相が談話の発表を見送るのは理解に苦しむ。
「日本には自分の立場しかない」。戦中、「反戦主義」と批判された外交評論家の清沢洌(きよし)は「暗黒日記」で、偏狭な自国中心主義を嘆いた。その箴言(しんげん)は80年を経ても核心を突いている。
自国の殻に閉じこもり、他者の窮状を傍観することは許されない。戦後80年の節目に、平和の実践を世界に波及させる行動こそが日本に求められている。
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