Activated Sludge ブログ ~日々読学~

資料保存用書庫の状況やその他の情報を提供します。

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(3/9)

2009年04月07日 07時57分54秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』

「Ⅱ 送る言葉」
 「私が上野英信門下であることは自他共に認めることであるが、しかし私の記録文学第一作になる『風成の女たち ―ある漁村の闘い』執筆中には、私はまだ氏に出会っていなかったし、・・・/・・・、氏の『追われゆく坑夫たち』すらまだ読んでいなくて・・・/・・・私が『風成の女たち』出版後の〈事件〉で追いつめられて・・・のちに彼等の方から誤解を詫びてきた。・・・/とはいえ、私が不肖の門下であることは紛れもないことで、「君は本を出し過ぎるよ」という氏の小言一つにも、ただただ小さくなって首をすくめざるをえない」(pp.163-167)
 上野さんに関する印象に残る一篇「原石貴重の剛直な意志」(pp.168-195)。もう一度読み直したい一篇。師としての上野さんとの触れ合いと別れ。魚住昭さんに通づる、ジャーナリスト、ノンフィクションライターとしての「」。「少数の同志の中からは逮捕者」得さん。しかし、師曰「君ねえ、ほんとうに苦しい闘いというのはだね、自殺者が何人も出るものなんだよ。君らの闘いに、もう自殺者は出たのかね」!!、「一瞬にして口を緘 (かん) せられたように、私の嘆きは封じられることになった」。筑豊の泥くさき「ドロキツイスト」上野英信。『暗闇の思想を』は僭称であり、「・・・筑豊の地の底の闇を知らぬ私に「暗闇の思想」を名乗る資格は、もとよりないのであった」。晴子さんやさんのことも。町立病院での最後のやり取り。また、センセの書いた書評に対して、上野さんは「・・・いま、ぼくは泣いていました」。このエピソードは「筑豊を掘り進む 上野英信著『出ニッポン記』解説」(pp.199-204) にも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(4/9)

2009年04月07日 07時57分21秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』
 「ツワブキの庭 筑豊の記録者上野英信氏逝きて五年」(pp.196-198)。晴子さんの優しさ。「あるとき、筑豊文庫を辞去する暗い前庭で、晴子夫人がそっと私の手中に一万円札を一枚押し付けたことがある。今も忘れていはいない」。また、英信さんの五年目の命日の数日前、「この日、いとま乞いする私とに、晴子夫人は「おじいちゃんに何か使って」と言って、私の老父にことよせて見舞金を下さるのだ」。「上野晴子さんをしのんで」(pp.208-211) では、「私は晴子夫人に、かなりひいきにしてもらっていたように思いこんでいる。私が筑豊文庫の門をくぐり始めたのは英信氏の方から声を掛けられてのことで、そのことが不思議だったが、よく考えてみると晴子夫人のさしがねだったのではあるまいか。・・・『豆腐屋の四季』を読んで、英信さんに話したと考えると納得がいくようだ」。前節同様、「・・・私と妻にことのほか思いやりを示して下さった。・・・そっと一万円札を握らせて呉れたことがある。火の車の台所を預かる人からの恩情を忘れられるものではない」。センセの晴子さんへの最後の手紙に対して、朱さんからの返事。最後の入院前、センセの夢を見たそう。「・・・お金が全然なかったからなぜか竜一さんのところへ二十五円ほど借りに行ったのよ。そしたら洋子さんがどうぞいくらでもって言って抽出しを開けてくださって、見たら五円玉や十円玉がたくさん入ってて、あたしはとっても嬉しかった。――という夢だったそうです」。センセの本追悼文での最後の結び、「――晴子さん。短編のネタにはしませんでしたが、追悼文で披露してしまいました。ああ、やっぱりひいきしてくれてたんだと、とてもうれしかったんですもの」。
 「伊藤ルイさんを悼む」(pp.222-224)、 「生きる勇気を伝えた晩年 伊藤ルイさんを悼む」(pp.225-226)、「〈力〉に抗して、真剣に生きて 追悼・伊藤ルイさん」(pp.227-231)大道寺将司益永利明さんに関連するTシャツ訴訟の原告団長がルイさん。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(5/9)

2009年04月07日 07時56分32秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』

「Ⅲ 少しビンボーになって競争社会から降りようよ」
 「名を秘し続けた一市井人の反骨精神 田中伸尚著『反忠――神坂哲72万字』書評」(pp.244-247)。「女たちの裁判」である神坂玲子さんや古川佳子さんらの箕面忠魂碑違憲訴訟を「陰で裁判を牽引した強力な黒子」。「「立て、日本のランソのヘイ!」などという戯文を草して、人民はすべからく訴訟を起こすべしと呼号してみせた」センセ、「私の戯文がいささか後押ししたと聞いている」。結びは、「はたして彼の死後、・・・原告の逆転敗訴とする。/そして最高裁は、哲の長男神坂直樹君の任官を拒否して恥じないのだ。 (ああ)!
 「書評の喜び、胸の疼き・・・」(pp.248251)。上述の田中伸尚さんの書。草伏村生著『生きぬいて愛したい』。センセ自身が「・・・日本赤軍がらみの容疑だが、いいがかりとしかいいようのない不当捜査・・・(『週刊朝日』編集部注: 東京地裁は松下さんら六人については捜索を違法と認めた)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(6/9)

2009年04月07日 07時55分50秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』
 本章のタイトルに採られた同名の節「少しビンボーになって競争社会から降りようよ」 (pp.256-267)。センセと『草の根通信』、「弁護士さえ、ついてくれなかった」「環境権を掲げての七人の市民」による本人訴訟。「・・・私のつくるミニコミは運動体の機関誌としては破格であったらしい。/あまりにもあけすけに内情をさらけ出しすぎるというのである」。「・・・うかうかと三人目の子を生んでしまい、・・・「わが家ではカンキョウケンが確立したのだ!」とうそぶいている」。「・・・このとき裁判所の玄関で掲げた垂れ幕アハハハ・・・・・・敗けた、敗けた」は、大いに物議をかもしたものだ。・・・これほど松下センセとその同志の心意気を表現した言葉はない。不真面目をいうなら、裁判所こそが不真面目だったのだ」。「その結果またしても発電所が必要となり、環境を汚染し資源を濫費してのこの悪循環はとめどなくなる」。「・・・原発の罪業は火電の比ではない」。「〈暗闇の思想〉などとたいそうな銘を打っているが、ようするにこの限りある環境と資源を濫費することなく、ほどほどに生きようよといっているにすぎない。/いっこうに変わることのないビンボー暮らしを綴ってきた三冊の本がひっそりと消えたというのに、いま四冊目の『底ぬけビンボー暮らし』に至って予想外に静かな反響を呼んでいる背後には、時代をおおう不安がより色濃く影を落としていると見ていいだろう」。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(7/9)

2009年04月07日 07時55分04秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』
 「松下竜一の眼」シリーズ (pp.268-274)。前述の書評に対して、『反忠――神坂哲72万字』の田中伸尚さんから「実はもう著述業をやめようと思いつめていたのですが、この評をいただいて、もう少しやってみる勇気が湧いてきました」との礼状。田中さんや、「筑豊の地に蟠踞 (ばんきょ) して〈地の底の人々〉を記録しつづけた上野英信」に見られるように、「どんなに赤字であれ書かずにおれぬ (ごう) を負っている者が、ノンフィクションライターとして生き残っていくのだろう」。
 本書のタイトルに採られた同名の節「出会いの風」 (pp.287-305)。もう一度読みたい、重要な節。「私を救いあげた人」洋子さんのお母さん「三原の奥さん」。石牟礼道子さんの『苦界浄土』も出版した講談社きっての名編集者、『豆腐屋の四季』により「私を世に出した人」加藤勝久さんは、「八十二年、私は『ルイズ ――父に貰いし名は』によって第四回講談社ノンフィクション賞を受賞したが、・・・しきりに「これでぼくもほっとしたよ」という言葉がくり返された。/・・・多くの新人の本を世に送り出したが、・・・そのほとんどはつぶれていったという。そういう悲劇を見るたびに・・・、にがい悔いを抱いたのだ。/・・・「ああ、またしても・・・」と、悲劇を予感してくやんだという。/「もう心配ない。あなたは立派な作家になった」と繰り返して、氏はその夜遅くまでグラスを傾けていた」。「私を引き出した人」向井武子さんは仁保事件の救援運動にかかわり、また、ある死刑囚の養母にもなった方。センセの『汝を子に迎えん ――人を殺めし汝なれど』に詳しい。つづく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(8/9)

2009年04月07日 07時53分49秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』
つづき。「「この人と出会ったばかりに、私の人生は狂ってしまいました」/小さなつどいでの自己紹介で、彼がそういって爆笑を誘ったことがある。この人というとき」に「私と出会った人」こと梶原得三郎さんの手はセンセを指していた。「・・・逮捕され起訴される。その獄中で職も喪ったのだから、私との出会いでまさに人生を狂わされたことになる。/大損をしたのは彼であり、一方私はこの弾圧をテーマにして『明神の小さな海岸にて』というドキュメントを発表しているのだから、彼を踏み台にしたという辛辣な見方をされてもしかたないのだが、二人の間にいささかのひびも入らずにきているのは、ひとえに彼の希有な人格によっているのだろう」。今宿在住の、野枝の母 (つまり祖母) ウメに育てられた「大きな瞳を輝かせた人」伊藤ルイさん。被告席の本人の「胸に刻み込む〝友情の言葉〟として語」らせ「私に証言させた人」鎌田俊彦さん、そして「あの証言の日の私の友情は、今も変わらないことを」。最後に、講演依頼に「はがきいっぱいに豪快な筆致で「快諾」とあった。千言にもまさるこの簡潔豪毅な返事に」センセを唸らせた「私を演じた人」緒形拳さん。「緒形拳さんから突然電話をもらった・・・。/「君の『怒りていう、逃亡には非ず』を読んだら、興奮してしまって一睡もできなかったよ」という。/・・・泉水博の、数奇な運命をたどったノンフィクションである。「これを映画にできたら」という熱い思いを、拳さんは電話で伝えた。/「君はいい仕事をしているねえ」といわれて、・・・拳さんがこうして遠くから見ていてくれたことを知って嬉しさもこみあげていた」。室原翁の役とともに、実現してほしかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(9/9)

2009年04月07日 07時51分04秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』
 拳さんの話は「私空間」(pp.306-311) でもつづく。19696月のある日、「・・・『豆腐屋の四季』で主役を演じると決まった直後に、拳さんは単身で大分県中津市の私を訪ねてくれたのだ。/・・・原作を読んで無性に作者に会いたくなったから来たのだ、と告げられた。/・・・九年ぶりの対面・・・会うなりいきなり拳さんから「よお、作家らしい顔になったなあ」という第一声・・・」。「・・・第四回講談社ノンフィクション賞・・・授賞式に出席すると、待っていたのは拳さんからの祝電だった。/アナタノトウフヤノシキハワスレルコトノデキナイホンデアリドラマデス。ウレシクテウレシクテコンヤハヒトリデトウフクイナガラカンパイシマス/こんな心のこもったエールを贈られ・・・」。特別友情出演に「快諾」した拳さんの便りには、「・・・撮影中『砦に拠る』を再読。感銘! 映画化は至難。日本の映画文化のお粗末さ痛感。・・・」。拳さんが室原翁を演じるそんな「幻の名場面」・・・。

 「美しき豆腐」(pp.312-313) では、センセの独特の〝悪筆〟原稿がそのままに。

 解説は「ビンボーの系譜」(pp.387-393) と題して上野朱さんの筆による。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集1/かもめ来るころ』読了(1/8)

2009年01月13日 07時52分38秒 | Weblog


松下竜一 未刊行著作集1/かもめ来るころ』、12月に読了。梶原得三郎新木安利編。海鳥社。20089月刊。

冒頭の写真4枚が印象的。『豆腐屋の四季』のロケで緒形拳と川口晶さん。カン・キョウ・ケン [1] の家庭。北門の河口でカモメにパンを。室原翁らの蜂ノ巣城跡にて。

I 歌との出遭い、そして別れ」、「II かもめ来るころ」、「III 闘いの哀しみ」、「IV カン・キョウ・ケンの家庭」、「V 土曜童話」の5章から。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集1/かもめ来るころ』読了(2/8)

2009年01月13日 07時45分21秒 | Weblog

【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集1/かもめ来るころ』

『歌との出会い、そして別れ』(p.18) が随所に語られる。「表現を求めて喘いでいた」(p.19)。鳥肌が立つ。『『豆腐屋の四季』決算の記』(p.27)。「・・・主人公緒形拳さんと、現実の私とを混同して思い描いている・・・」(p.27)。当然未見なのだが、松下センセの歌人としての繊細さはドラマでは再現されていないだろう。センセも拳さんも望んでいたであろうが、拳さんには蜂ノ巣〝城城主〟の役が似合うはず。『私に転身を迫った〝衝撃〟』(p.34)。石牟礼道子さんの『苦海浄土 ――わが水俣病』がもたらした松下センセと水俣との出遭い、因縁。翌年夏、センセはペン一本の生活へと転身。

長い病臥の読者からの『書きかけの手紙』(p.43)。朝日歌壇の詠み人でもあった。めい御さんから、読者である叔母の死を知らされる・・・。「・・・叔母はベッドで・・・『吾子の四季』を読んでいました。・・・疲れが激しく、ほんの少しずつ読んで・・・。・・・手術中に亡くなりました。戻ってきてまた読み続けるつもりだったのでしょう、本は三分の一程の頁を残してベッドに伏せられていました。・・・その本を、形見としていただきました。・・・松下さんに宛てて書きかけた手紙が出てきました」(p.44)

『足かけ三年』(p.65)。「・・・まるでろうあ児童の実態を知らなかった・・・その不幸は、はかりしれない。・・・私には強烈なショックであった。・・・この難しい作品をおクラにしてしまった」(p.66)。一方で、臼杵市風成の漁民闘争の記録小説に没頭し始める。「・・・自分が大分県の作家であることの意識が芽生え始めていた。郷土に根をおろしていた作家として、郷土の問題を追及し記録していくことを自分の責務として考えはじめていた。・・・連日徹夜を重ねて『風成の女たち――ある漁村の闘い』を書きあげ、出版社に送稿した」(p.67)。報道までされ、出版が内定していた講談社からボツにされ、毎日新聞の記者からの誘いをヒントに、朝日新聞からようやく出版にこぎつける (pp.78-79)

『拳さんの手紙』(p.76)。「・・・テレビのドラマはもう貴兄の手をはなれて独自に走り出してしまったのです。・・・でも私は俳優として、この仕事が出来たことを誇りに思っております」(p.76)。「俳優緒形拳の手紙文は中々いい。字も太くて、いかにも彼らしい。・・・私と拳さんは、共に昭和十二年の生まれである」(p.77)。拳さんもこの夏に亡くなってしまった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集1/かもめ来るころ』読了(3/8)

2009年01月13日 07時44分31秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集1/かもめ来るころ』
『自費出版作家』(p.92)。「・・・自費出版した時、理論社社長小宮山量平氏が、「このようなお仕事こそ本当の意味での出版文化でしょう。自費出版などといわずに、自出版だと胸を張ってください」と励ましてくださった」(p.92)

『親友』(p.94)。山口県仁保事件救援運動支援、岡部保さんとの出遭い。「二千署名と二十万円を一カ月で達成してほしいという要請」(p.95) が・・・。「私は悩み抜いた果てに、全国の読者に訴えるしかないと決断・・・もう辛くてならなかった。・・・私は、その行為に作家生命をかけていた・・・。私の手元には、実に三千の署名と三十万円のカンパが集まった」(p.95)。この話にはオチがある。「・・・救援本部に届けた時、本部の人たちは唖然としていた。「松下さん。あなたに割りあてたのは二万円でしたよ!」 私は単位を読み違えていたのである。あわて者も、時には役に立つ。・・・思いつめて、最後の手段として作家生命をかける悲愴さで全国の読者に訴え、思いもかけぬ三十万円のカンパを達成できたのである。・・・「よくもこんな大金を短期間に集めたものですね。どんな方法でした?」という問いに、私は誇らかに答えた。「親友からですよ。私は全国に沢山の親友を持っていますからね」」(pp.95-96)。『勝利』(p.142)。「広島高裁は、・・・仁保事件被告岡部保さんに、無罪の判決を出した」(p.142)。死刑台からの生還。「いち早くラジオ速報で無罪判決を知った各地の読者から、次々と私の留守宅に電話がとどいているというのだ」(p.143)。「・・・非力な私もまた、真の連帯の中のひとつの力となれば、ついに官権の不正暴戻 (ぼうれい) を糾弾させることができるという、その確かな証明を必ず最終回で書ける・・・私は、そこまで自分を賭けて・・・書き続けました。・・・夜汽車の窓辺でこれを書いている私を、誰だと知る人もいません。私は無名な作家です。しかし今日、しあわせな作家です」(p.144)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集1/かもめ来るころ』読了(4/8)

2009年01月13日 07時42分12秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集1/かもめ来るころ』
『タツノオトシゴ』(p.96)上野英信さん、前田俊彦さんらによる「松下竜一氏を励ます会」。「・・・その席で上野さんが巧みなことをいわれた。「・・・まるでこわれてしまいそうなほどひ弱で、とても龍どころか、むしろタツノオトシゴという感じ・・・。水底で子を愛し妻を恋い、『人魚通信』などという本を嫋嫋 (じょうじょう) と書いているタツノオトシゴであります」」(p.97)。『師と決める』(p.129)。「次に私に言葉をかけてくれた作家が、上野英信さんだった。・・・下界に降りてきて、一番先に君の家に寄ったよといわれて私はおろおろと感動していた。・・・わざわざ立ち寄ってくれたのである。「どうかね、食っていけそうかね。食えなくなったらぼくにいいたまえ。なあに、僕も金はないが、借金の名人だから」といってくれたのである。・・・入門式は数日後のことであった。・・・作家たるもの「文闘」、「武闘」、「闘」の徒であらねばならぬという英信先生に入門するには・・・筑豊文庫で、私は真剣に酒を飲んで酔っ払った。・・・吐き続ける私の背を、ほとんど眠らずにさすらせることになってしまった」(pp.130-131)。テキーラの経緯は朱さんの書に

『氷砂糖』(p.106)。「「お前、本当に作家でやっていけるんか」とも、父は問わない。・・・私の不在中に嫌がらせ電話がかかってきた。周防灘開発反対の私に、・・・たまたま電話をとった父が、「わしん息子は、正しいことをしちょります」といって、ガチャリと切ったと、あとで妻に告げられた時、私にはこみあげるものがあった」(p.106)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集1/かもめ来るころ』読了(5/8)

2009年01月13日 07時30分48秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集1/かもめ来るころ』
『生存権の変質』(p.147)。「国立岡山療養所の重症結核患者朝日茂氏・・・厚生大臣を相手取って訴えた〈朝日訴訟〉・・・」(p.147)

『タタカイは一篇の笑い物』(p.160)。「荒野の七人」による訴訟ものの一編。「「あんた〈笑い物〉を書くんが似おうちょるごたる」。笑い物! ああ、その一語こそ啓示となった。ユーモア物などと上品ぶらぬ、何やらナマナマしき語感が滅法私の気を引いた・・・豊前火力建設反対運動の中に、この笑い物の精神が馥郁 (ふくいく) と醸成されはじめていた・・・原告わずかに七名、弁護士からも見放されて本人訴訟で建設阻止請求という至難な裁判に取り組む我らの姿は、外見上いたく悲愴とみえるらしいのだが、どっこい、この七原告の楽天ぶりときたら呆れるほどである。」(p.160)。「法第何条という文言は一行も出てこぬ」すごい準備書面。裁判長に「適当な法律をみはからって適用」してもらおうという前代未聞のもの。裁判所書記官は、呆れて絶句したらしい。「あはは、負けた、負けた」の一審判決時の旗へ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集1/かもめ来るころ』読了(6/8)

2009年01月13日 07時29分24秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集1/かもめ来るころ』
蜂ノ巣砦に起つ室原知幸 昭和の阿蘇山中に咲いた大正デモクラシーの花(p.166)。「人の一言が人を烈しく動かすほどに〈言葉が力を持っていた〉時代を」(p.166)過ぎる老人、蜂ノ巣城主の物語が簡潔に25頁程にまとめられている。必読である。「だが彼を訴訟狂の如く呼んではなるまい。彼は国家の権力行為に抗する武器として法を最大限に活用した最初の国民であったのではないか。・・・国とはなんと便利なものであろうか。この老人に弱点を衝かれて困り果てる度に、法を好都合に改「正」していけばよかった。土地収用法が改「正」され、河川法が改「正」されていった」(p.176)。「・・・この両ダムが公共性をいうに足らずと見抜いた・・・電力資本はしばしばダムを国に造らせて、不当に安い分担金でそれに水力発電所を附設していくのであり・・・九州電力の不当利益の莫大さを、知幸は計算してみせる。元来、治水の為であればダムは常時空・・・発電の為には満湛がのぞましいという相反する機能を両立させうるのかという技術的疑問もある」(p.178)。「――室原さん、あなたは敗れた。・・・あなたが負けながら残したものははかり知れず大きい。・・・川辺川ダムが十年を超えてなお着手出来ない程に・・・慎重であるのも、あなたが残した教訓の重さゆえでしょう。・・・三里塚空港での一坪地主、鉄塔共有運動も、あれは室原さんが編み出した闘争記念樹林の共有運動の巧みな伝承だと聞いています。・・・なによりもあなたのような人が居たということを想うだけで、いかに多くの人々が励まされ続けることでしょうか。あなたを想う時、私はかろうじて今の敗北に耐えられるのです。・・・私は周囲から、売名の徒だとか社会の敵だとか罵られています。ともするとくずれおれそうな時、私は、あなたの孤影を想うことで立ち直ります」(pp.182-183)。「維新後、人民が築いた抵抗の砦としてこれほど壮大なものは無かったはずである。・・・デモクラシーの花・・・蜂ノ巣城はその象徴的具現であったろう。・・・国の公共事業とは、理に叶い法に叶い情に叶うものでなければならぬと」(p.187)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集1/かもめ来るころ』読了(7/8)

2009年01月13日 07時27分41秒 | Weblog

【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集1/かもめ来るころ』
さらに、『闘いの哀しみ 蜂の巣城主の妻の視線(p.190)。「私の『砦に拠る』が完結した時、ヨシさんは告げるのだった。「・・・初めて・・・ひとつひとつ、ああ、あれはこういうことだったのかと納得できました」と。その一言が、筆者への何よりのねぎらいとなった」(p.197)

『優しさということ』(p.250)。「豆腐を土間にぶちまけ・・・一人で地団太踏んで暴れ狂う。・・・絶望と、疲労と、倦怠で始まる毎日」から、「三十一字の表現形式」に目覚め、「百八十度の転回・・・感動に出会う」毎日へと (pp. 257-258)。「それが私には耐えられなくなってきた。・・・なぜ自分はこんなに模範青年として頭を撫でられるのか。・・・「・・・世の中にどんな不満があろうと黙々と耐え忍んで、豆腐屋の分際を守って・・・これこそが美しい庶民の姿じゃありませんか」という言われ方であった・・・そのようにしか生きられなかった・・・連帯のしようもなかった。また、私に声を掛けてくれる人もいなかった」(pp.161-162)。「・・・優しさの世界を守ろうとして、ある時は激しく闘わなければならん、という時が現実にあるんです」(p.267)。「・・・「瞳の星」という文章を・・・悪童たちになぶられて泣いてばかりおりました。・・・母親は、私に強くなれとは少しも言いませんでした。瞳の星は優しさの印なんだと。・・・そういう優しさに徹していくことで、遂にある時気が付いたら、それが勁さであっということになれたらな、ということを思い続けております」(pp.272-273)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●『松下竜一未刊行著作集1/かもめ来るころ』読了(8/8)

2009年01月13日 07時25分03秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集1/かもめ来るころ』
『いのちきセンセ奮戦の半生記抄』(p.274)。「・・・豊前火力反対運動をネタに、何冊の本を書いたろうか。『暗闇の思想を』、『明神の小さな海岸にて』、『環境権ってなんだ』、『五分の虫、一寸の魂』・・・松下センセは、はっきりと運動を喰い物にすることを公言してはばからなかった。・・・松下センセが住民運動をネタにしてしぶとくいのちきして・・・かつがつながらいのちきしてきたからこそ、豊前火力反対運動は十年を超えて続いてきたのである。・・・反対運動の同志たち・・・いずれ劣らぬいのちき下手という点では、みごとに似たもの同志なのだ」(pp.284-285)。「・・・研究室という、本来造る側の学問に身を置きながら、造らせまいとする住民運動に深くかかわってしまった彼は、そこから巧みに身をかわすという器用さをもたなかった」(p.286)。「しかし、松下センセの周辺でいのちき下手ということでは、梶原得三郎さん以上の者はいないだろう。いのちきオンチを自認している松下センセですら、彼のいのちきぶり(『小さな魚や奮戦記』)にはらはらさせられ続けてきたのだから」(p.286)

解説の山田泉さん『天国からの手紙』(p.371)。「いのちの授業」で有名な山田さん。この解説は20084月に書かれたもの。『草の根通信』にも寄稿しておられた山ちゃん、残念ながら11月に亡くなりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする