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●《…歴史が凝縮されたような公園内には「眉屋私記」の文学碑が建つ。地域住民は…か弱き人々に光を当て続けた功績を大切に語り継いでいる》

2023年08月29日 00時00分59秒 | Weblog

[↑ ※上野英信さん【眉屋私記文学碑を除幕する屋部中学校生徒会の生徒=19日、名護市の屋部親水公園】(琉球新報、2021年5月21日)]


(20230808[])
苦難の近代沖縄民衆の歩みを描いている》、上野英信さんの『眉屋私記』。《日本が近代化を進める中、社会福祉は後回しにされた。苦難の道を歩まざるを得なかった沖縄の民衆の姿が丹念に描かれている》、《眉屋私記の時代から1世紀過ぎた沖縄では今も貧困が残る》。
 キシダメ政権は軍事費倍増し、軍事国家に。新軍事基地のために、辺野古や大浦湾に大量の土砂をぶちまけ、出来もしないのに血税という大金をドブガネ。普天間は返還されることも無く、辺野古は破壊「損」。一体何のための「血税」なのか。《標的の島》々となり、踏んだり蹴ったりではないか…。

   『●県内初の記録文学碑『眉屋私記』、上野朱さん「屋部の人の誇りや民衆史を
         後世に残すためのもの。英信も心から感謝し、喜んでいるだろう」
    《屋部支所に隣接する屋部親水公園で19日、「眉屋私記」の
     文学碑除幕式が開かれた。記録作家・上野英信さんが名護市屋部の
     山入端一族(屋号・眉屋)の歴史を記した代表作。
     県内初の記録文学の碑だ…▼「屋部の人の誇りや民衆史を後世に
     残すためのもの。英信も心から感謝し、喜んでいるだろう」。
     碑の前で上野さんの長男の(あかし)さんが語った》

   『●<金口木舌>《眉屋私記の時代から1世紀過ぎた沖縄では今も貧困が
     残る。聖人を待たずとも安心して暮らせるよう福祉の充実が必要だ》
    「琉球新報のコラム【<金口木舌>「眉屋私記」とサンタクロース】」

    《名護市屋部が舞台の上野英信の「眉屋私記」。1908年に
     炭鉱移民でメキシコに渡り、その後キューバに移った山入端萬栄
     妹のツルは、貧しさから辻に身売りされた ▼日本が近代化を
     進める中、社会福祉は後回しにされた。苦難の道を歩まざるを
     得なかった沖縄の民衆の姿が丹念に描かれている…
     眉屋私記の時代から1世紀過ぎた沖縄では今も貧困が残る

 琉球新報のコラム【<金口木舌>上野英信さんの功績語り継ぐ】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1761918.html)によると、《▼屋部地域の歴史が凝縮されたような公園内には「眉屋私記」の文学碑が建つ。地域住民は87年に亡くなるまで、か弱き人々に光を当て続けた功績を大切に語り継いでいる》。

   『●「「慰安婦」問題と言論弾圧」
     『週刊金曜日』(2014年11月14日、1016号)について
    「三木健氏【本 推理小説さながら心の闇に挑んだ労作/
     『上野英信・萬人一人坑 筑豊のかたほとりから』河内美穂=著
     現代書館】…《「筑豊の炭住長屋を改造して施設の「筑豊文庫」を設立
     …「英信は過去を忘れた訳ではない。…葬り去ったわけでもない。
     …過去を背負ったまま、天皇制のゴウカキ(業担き)として生きる。
     …その罪業を担い続けていく覚悟だったのだ」と》。上野英信さんは
     「「侵略する側」にいた過去に戦後、どう向き合った」のか?」

   『●『キジバトの記』読了(1/3)
   『●『追われゆく坑夫たち』読了(1/3)
   『●『追われゆく坑夫たち』読了(2/3)
   『●『追われゆく坑夫たち』読了(3/3)
   『●上野英信さんは「「侵略する側」に
       いた過去に戦後、どう向き合った」のか?

   『●《エネルギーのルツボ》《火床》の《暗い地の底》にて…
     【セレクション (3)「地の底の声筑豊・炭鉱に生きた女たち」】
    「上野英信さんと筑豊文庫。《筑豊よ 日本を根底から変革する
     エネルギーの ルツボであれ 火床であれ 上野英信》…
     「暗い地の底」で。…そして、やはり、山本作兵衛さん。」

   『●《内閣官房は文化審議会とは別の有識者会議を設けて「明治日本の
     産業革命遺産を推薦する」と…。最後は官邸主導の政治決断となり…》
   『●軍艦島を始めとする「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に
     …ユネスコでの日本側のアノ「約束」から履行してみては如何だろうか?
   『●〝宿題〟も提出せずに、佐渡島金山を持ち出す…《「約束破りな上、
     二枚舌を使う」という国際社会からの信頼を失墜させる自殺行為》…
    「上野英信さん『追われゆく坑夫たち』には、《Yさん…「…」と
     鉄棒をさすりながら勤労係が言いました。こうして私は海のなかの
     恐ろしい監獄島――三菱端島炭鉱で働くことになりました》」

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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1761918.html

<金口木舌>上野英信さんの功績語り継ぐ
2023年8月8日 05:00
金口木舌 上野英信 渡波屋 眉屋私記 出ニッポン記

 名護市屋部の海岸沿いの公園に小さな岩座がたたずむ。「渡波屋(とわや)」と呼ばれ、地域の拝所であり、移民や出稼ぎで、屋部の地を離れる人々を見送る別れの場所でもあった


▼遠く海外を夢見て、旅立つ若者らを乗せた汽船が名護湾の沖を通ると、岩座の頂点で親族らが松の枯れ葉をたいた。別れの白い煙が立ち上り、航海の無事を祈ったという

屋部地域山入端一族の歴史をたどった「眉屋私記」の書き出しもここから。丹念な取材で近代沖縄の歩みを記した著者は記録文学作家の故・上野英信さん。7日で生誕100年を迎えた

炭坑労働の闇を数々の作品で描いた。「出ニッポン記」は沖縄民謡になぞらえ、南米に移住した炭坑離職者を「石炭ぬ喰ぇーぬくさー」と表現。沖縄移民と炭坑労働を日本移民史を血に染める、もっとも象徴的な二つの大集団と、その苦難を記した

屋部地域の歴史が凝縮されたような公園内には「眉屋私記」の文学碑が建つ。地域住民は87年に亡くなるまで、か弱き人々に光を当て続けた功績を大切に語り継いでいる。
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●《エネルギーのルツボ》《火床》の《暗い地の底》にて…【セレクション (3)「地の底の声筑豊・炭鉱に生きた女たち」】

2020年05月30日 00時00分58秒 | Weblog


2020年5月21日放送。NHK【セレクション (3)「地の底の声筑豊・炭鉱に生きた女たち」】(https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/episode/te/Q615RY32YK/)。

 炭鉱王一族の末裔ウルトラ差別主義者麻生財閥もその一つ。

   『●炭坑王一族の末裔による凄まじいまでの暴言・差別意識

 上野英信さんと筑豊文庫。《筑豊よ 日本を根底から変革するエネルギーの ルツボであれ 火床であれ 上野英信》。

   『●「「慰安婦」問題と言論弾圧」
     『週刊金曜日』(2014年11月14日、1016号)について
    「三木健氏【本 推理小説さながら心の闇に挑んだ労作/
     『上野英信・萬人一人坑 筑豊のかたほとりから』河内美穂=著
     現代書館】…《「筑豊の炭住長屋を改造して施設の「筑豊文庫」を設立
     …「英信は過去を忘れた訳ではない。…葬り去ったわけでもない。
     …過去を背負ったまま、天皇制のゴウカキ(業担き)として生きる。
     …その罪業を担い続けていく覚悟だったのだ」と》。上野英信さんは
     「「侵略する側」にいた過去に戦後、どう向き合った」のか?」

   『●『キジバトの記』読了(1/3)
   『●『追われゆく坑夫たち』読了(1/3)
   『●『追われゆく坑夫たち』読了(2/3)
   『●『追われゆく坑夫たち』読了(3/3)

 「暗い地の底」で。

   『●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(7/9)
    「田中さんや、「筑豊の地に蟠踞 (ばんきょ) して〈地の底の人々〉を
     記録しつづけた上野英信」に見られるように、「どんなに赤字であれ
     書かずにおれぬ (ごう) を負っている者が、
     ノンフィクションライターとして生き残っていくのだろう」」

   『●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(3/9)
    「筑豊の泥くさき「ドロキツイスト」上野英信。『暗闇の思想を
     は僭称であり、「…筑豊の地の底の闇を知らぬ私に「暗闇の思想」を
     名乗る資格は、もとよりないのであった」。晴子さんやさんのことも。
     町立病院での最後のやり取り。また、センセの書いた書評に対して、
     上野さんは「…いま、ぼくは泣いていました」。このエピソードは
     「筑豊を掘り進む 上野英信著『出ニッポン記』解説」(pp.199-204) にも」

   『●記憶遺産その後 ~山本作兵衛翁のスケッチブック見つかる~
    《▼筑豊地方などに数多くあったボタ山は、炭鉱の閉山とともに姿を
     消した。明治から戦後にかけての日本のエネルギーを支えた労働の
     記憶は、六十六歳でツルハシを絵筆に持ち替えた作兵衛の存在
     よって、後世に伝わった▼出水やガス爆発、逃亡者へのリンチ、
     米騒動を鎮圧する軍隊…。その絵はまるで人間扱いされなかった
     地の底での過酷な労働の実態を詳細に描き出す。それだけではない。
     ヤマで暮らしていた労働者たちのたくましさも同時に伝えているのだ》

   『●追われゆく坑夫と脇に追いやられた原発人災
    《まだ貧しかった戦後の時代、這(は)い上がる日本を地の底から支えた
     のがヤマの人たちだった▼国が豊かになるのと入れ違いに炭鉱はさびれていく》

   『●『坑道の記憶~炭坑絵師・山本作兵衛~』:
      「歴史はあらゆる側面から語られる必要がある」
    《熱く暗い地の底で石炭を掘る男と女の姿、道具、共同風呂、
     子どもたちの遊び、縁起や迷信》

 そして、やはり、山本作兵衛さん。

   『●山本作兵衛翁の作品がユネスコ世界記憶遺産に!!
   『●記憶遺産その後 ~山本作兵衛翁のスケッチブック見つかる~
   『●「筑豊よ 日本を根底から
      変革するエネルギーの ルツボであれ 火床であれ 上野英信」

   『●筑豊の炭鉱記録画家山本作兵衛翁の記憶遺産、ユネスコが展示打診
   『●上野英信さんは「「侵略する側」に
       いた過去に戦後、どう向き合った」のか?

   『●山本作兵衛翁のヤマの「記憶の記録」と
        アベ様の「アメリカのために戦争できる国」へ

   『●『坑道の記憶~炭坑絵師・山本作兵衛~』:
        「歴史はあらゆる側面から語られる必要がある」

    「「一国の首相が歴史修正主義者なんて恥ずかしいし、…
     …羞恥心の無さと自覚の無さという救いの無さ」なニッポン国。
     教科書に載っている歴史さえも矮小化させようといつも画策。ましてや、
     歴史をあらゆる側面から考える頭も無しなアベ様達。
     歴史から教訓を得ることもない」

   『●熊谷博子監督《当時の炭鉱の姿ではあるが、私には、そのまま
         現代に思えた…労働、貧困、差別…戦争…今と同じだ》

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https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/episode/te/Q615RY32YK/

セレクション (3)「地の底の声筑豊・炭鉱に生きた女たち

コロナ禍で生活や社会に脅威や制限が加わる中、今こそ見つめ直したい問題を過去の番組から厳選して届けるシリーズ。第3回は、筑豊の炭鉱で命がけで働いた女性たちの記録。

【「地方の時代」映像祭2017選奨】井手川泰子さんの手元に残る100本に上るカセットテープ。そこには大正から昭和、炭鉱で働いた女性たちの声が記録されている。暗い地の底で腰巻き一つの姿で石炭を掘った女性たち死と隣り合わせの肉体労働炭鉱住宅での共助、女ならではの所帯の苦労と喜びが、泣いたり、笑ったり、ときには歌ったりしながら語られる。働くこと、生きること、女であることの真実をつく言葉に耳を傾ける
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●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(3/9)

2009年04月07日 07時57分54秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』

「Ⅱ 送る言葉」
 「私が上野英信門下であることは自他共に認めることであるが、しかし私の記録文学第一作になる『風成の女たち ―ある漁村の闘い』執筆中には、私はまだ氏に出会っていなかったし、・・・/・・・、氏の『追われゆく坑夫たち』すらまだ読んでいなくて・・・/・・・私が『風成の女たち』出版後の〈事件〉で追いつめられて・・・のちに彼等の方から誤解を詫びてきた。・・・/とはいえ、私が不肖の門下であることは紛れもないことで、「君は本を出し過ぎるよ」という氏の小言一つにも、ただただ小さくなって首をすくめざるをえない」(pp.163-167)
 上野さんに関する印象に残る一篇「原石貴重の剛直な意志」(pp.168-195)。もう一度読み直したい一篇。師としての上野さんとの触れ合いと別れ。魚住昭さんに通づる、ジャーナリスト、ノンフィクションライターとしての「」。「少数の同志の中からは逮捕者」得さん。しかし、師曰「君ねえ、ほんとうに苦しい闘いというのはだね、自殺者が何人も出るものなんだよ。君らの闘いに、もう自殺者は出たのかね」!!、「一瞬にして口を緘 (かん) せられたように、私の嘆きは封じられることになった」。筑豊の泥くさき「ドロキツイスト」上野英信。『暗闇の思想を』は僭称であり、「・・・筑豊の地の底の闇を知らぬ私に「暗闇の思想」を名乗る資格は、もとよりないのであった」。晴子さんやさんのことも。町立病院での最後のやり取り。また、センセの書いた書評に対して、上野さんは「・・・いま、ぼくは泣いていました」。このエピソードは「筑豊を掘り進む 上野英信著『出ニッポン記』解説」(pp.199-204) にも。
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