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●記憶遺産その後 ~山本作兵衛翁のスケッチブック見つかる~

2011年09月20日 00時32分44秒 | Weblog


asahi.comから(http://www.asahi.com/national/update/0914/SEB201109140062.html)。

 地元以外では、山本作兵衛翁の世界記憶遺産の記憶は既になくなりつつあるのでしょうかね。上野英信さんの筑豊文庫も記憶の果てになって久しい。炭鉱の記憶は失われていく。

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http://www.asahi.com/national/update/0914/SEB201109140062.html

201191534
作兵衛「超一級」の17枚 1冊目のスケッチブック発見

 ユネスコの世界記憶遺産に登録された炭鉱記録画を描いた山本作兵衛(1892~1984)が、本格的に絵筆を握った1958年当時に描きためたスケッチブックが、福岡県田川市の民家から見つかった。作兵衛の1冊目の作品と見られ、関係者は「作兵衛研究のうえで超一級の資料」と話している。

 水彩と墨絵で、画用紙に1千点以上の作品を残した作兵衛は57年に日記の余白や広告の裏に絵を描き始め、58(昭和33)年から本格的にスケッチブックに多くの絵を描いた。1冊目と見られるスケッチブックは縦24センチ、横30センチで計17枚。表紙左上に「NO1 位登炭坑」、表紙の裏には「33年秋」と記されている。

 すべて墨絵で、うち8枚は仲間が犠牲になった1940年の炭鉱水没事故の様子だ。10日目に奇跡的に生還した仲間との再会や、遺体の搬送などが時系列で描かれている。
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 もう一つ関連した記事(http://www.asahi.com/national/update/0917/SEB201109170014.html)。

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http://www.asahi.com/national/update/0917/SEB201109170014.html

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山本作兵衛展、同時開催 ユネスコ遺産の過酷な炭鉱記録

 ユネスコの世界記憶遺産に登録された炭鉱記録画や文書を集めた「山本作兵衛コレクション展」が17日、福岡県田川市の市石炭・歴史博物館で始まった。墨絵10点、水彩画20点のほか、日記や写真、ユネスコの認定証など約90点を展示する。

 開館の前、作兵衛の遺族や小川洋・福岡県知事らがテープカットをした。伊藤信勝市長は「貴重な未来への遺産として、後世に残していきたい」とあいさつした。訪れた福岡県水巻町の男性(78)は「炭鉱労働の過酷さがよくわかる貴重な記録だ」と話した。

 同じ田川市内の中村美術館でもサテライト展示「山本作兵衛原画特別展」が17日から始まった。作兵衛が生前友人らに贈った原画約30点を展示し、絵筆を本格的に握ったとされる1958年に描きためたスケッチブックも公開されている。

 開催期間は市石炭・歴史博物館が来年1月9日まで、中村美術館は来年1月10日まで。(小川裕介)
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 お~、なんと東京新聞の「筆洗」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011091802000029.html)にも取り上げられている!

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011091802000029.html

筆洗
2011918

 国内で初めてユネスコの「記憶遺産」に登録された山本作兵衛の炭鉱画五百八十四点を収蔵している福岡県田川市の石炭・歴史博物館を先日訪ねてきた▼♪あんまり煙突が、高いので、さぞやお月さん、煙たかろの「炭坑節」の歌詞で有名な二本の巨大な煙突が往時の面影を残している。展示室に作兵衛の言葉が飾ってあった。<ボタ山よ汝人生の如し 盛んなるときは肥えふとり ヤマ止んで日日痩せほそり 或いは姿を消すもあり あゝ哀れ悲しきかぎりなり筑豊地方などに数多くあったボタ山は、炭鉱の閉山とともに姿を消した。明治から戦後にかけての日本のエネルギーを支えた労働の記憶は、六十六歳でツルハシを絵筆に持ち替えた作兵衛の存在によって、後世に伝わった出水やガス爆発、逃亡者へのリンチ、米騒動を鎮圧する軍隊。その絵はまるで人間扱いされなかった地の底での過酷な労働の実態を詳細に描き出す。それだけではない。ヤマで暮らしていた労働者たちのたくましさも同時に伝えているのだ戦後、原子力発電の時代が到来すると、かつて全国各地の炭鉱を放浪したように、多くの下請け労働者が原発を渡り歩くようになる。福島第一原発の事故の収束を支えているのもこの人たち炭鉱は負の遺産を残しながらも、炭坑節や作兵衛の絵を生んだ。原発はなにを残したのだろうか
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