【上野英信著、『追われゆく坑夫たち』】
「・・・一番ちかい八幡市・・・約十粁(キロ)、・・・田川市までなら約三十粁、福岡市までなら約六十粁という距離・・・ほとんどみな徒歩でそれらの都市の血液銀行や大病院に出かけて血を売っている」(p.14)。「・・・一晩中ふらふらと歩き・・・香椎という町に付いたのが朝四時ごろ・・・不審尋問を受けた。・・・炭鉱の生活事情を語って・・・親切な巡査さんでしたなあ。・・・頼んでくれました。・・・若い運転手もまた・・・四百円ほど出して彼の手ににぎらせた。・・・子供さんに牛肉でも買ってやって・・・Aさんはただ男泣きに泣いて・・・」、家出した母子も「若い親切な駅員がこっそり乗せてくれた・・・それにしてもようまあ新宮まで子供たちが歩いたもんですたい」(p.17、18)。「・・・家財道具だけではない・・・常時血を売って飢えをしのいでいる・・・今はもう血さえも売れなくなってしまった・・・。薄うて粘りがないとたい。・・・一年の間にちょうど三升六合ほど売ったわけたい」(p.29)。
上野英信年譜 (pp.217-226)。「筑豊文庫」、石牟礼道子 (※4)『苦海浄土』、町立病院に入院。病床で最後のメッセージを書き残し、64年の生涯を閉じた (p.226)。
『筑豊よ
日本を根底から
変革するエネルギーの
ルツボであれ
火床であれ 上野英信』
「・・・一番ちかい八幡市・・・約十粁(キロ)、・・・田川市までなら約三十粁、福岡市までなら約六十粁という距離・・・ほとんどみな徒歩でそれらの都市の血液銀行や大病院に出かけて血を売っている」(p.14)。「・・・一晩中ふらふらと歩き・・・香椎という町に付いたのが朝四時ごろ・・・不審尋問を受けた。・・・炭鉱の生活事情を語って・・・親切な巡査さんでしたなあ。・・・頼んでくれました。・・・若い運転手もまた・・・四百円ほど出して彼の手ににぎらせた。・・・子供さんに牛肉でも買ってやって・・・Aさんはただ男泣きに泣いて・・・」、家出した母子も「若い親切な駅員がこっそり乗せてくれた・・・それにしてもようまあ新宮まで子供たちが歩いたもんですたい」(p.17、18)。「・・・家財道具だけではない・・・常時血を売って飢えをしのいでいる・・・今はもう血さえも売れなくなってしまった・・・。薄うて粘りがないとたい。・・・一年の間にちょうど三升六合ほど売ったわけたい」(p.29)。
上野英信年譜 (pp.217-226)。「筑豊文庫」、石牟礼道子 (※4)『苦海浄土』、町立病院に入院。病床で最後のメッセージを書き残し、64年の生涯を閉じた (p.226)。
『筑豊よ
日本を根底から
変革するエネルギーの
ルツボであれ
火床であれ 上野英信』