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●「何が起きたのか、可能な限り説明することが私の責任」…その責任を果たしつつある安田純平さん

2019年08月16日 00時00分23秒 | Weblog


本年2月の日刊ゲンダイのインタビュー記事【注目の人 直撃インタビュー/安田純平氏が独白「“無謀”に突っ込む人間が社会には必要」】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/247106)。

 《日本での会見では「自業自得」とも語り、またぞろ「自己責任論」バッシングも生じたものの、ほどなく鎮火。その後は雑誌で手記を発表し、今年1月にはメールマガジンを始めて希少な経験を語るなどジャーナリストとして事実を伝える活動をずぶとく続けている。帰国後の日本を見て、いま何を感じ、何をやろうとしているのか》。

   『●『ルポ戦場出稼ぎ労働者』読了
    「帯より、「世界中から集められる、貧しい派遣労働者たち! 
     自ら出稼ぎ労働者となり、単独潜入取材した記録!
     民営化の果て、その現場とは?」
       ファルージャ 日本人人質拘束事件

   『●「自己責任などと声高に言わずに出掛けていくのは、
        使命感からだ。…安田純平の解放を心から喜びたい」
   『●《「ひどい環境から解放されて良かったね」とねぎらわれ》ても、
                      帰国しても《ひどい環境》が待っている
   『●無事帰国した安田純平さんに、是非、現地の様子や
        拉致事件の全貌、生還できた教訓等々を聞いてみたい
   『●「紛争地での取材やメディア、ジャーナリズムの原則論」…
               「政府高官が建前でも原則論を口にできぬ国」
    「『久田将義責任編集TABLO』…の青木理さんの記事
     【安田純平さん帰国について想うこと 「アメリカ政府がジャーナリズム
     原則論をコメントした意義」|青木理】…《安田純平さんが解放され、
     無事帰国した。なによりもそれを喜びたい。一部ではいまだに
     「自己責任論」などを振りかざし、安田さんに罵声を浴びせる連中も
     いるらしいが、世界でも珍しいほど馬鹿げた議論
     これ以上、私はつきあいたくもない》」

   『●自己責任論な人々…斎藤貴男さん「いざ自分の命が絶たれる時に、
                        己がどういう人間だったかを理解できる」
    《▼内戦下のシリアで武装勢力に3年4カ月も拘束され、生還した
     ジャーナリストの安田純平さん(44)が2日に開いた記者会見…
     ▼会見は「何が起きたのか、可能な限り説明することが私の責任」と
     2時間近く。…世界の実情を私たちに伝えようとして40カ月も
     虐げられた人を、さらに痛めつける社会は異常だ》。
    《堂々たる心情を聞いてなお小ざかしい自己責任論を振りかざし
     誹謗中傷を浴びせ続けている人々に言おう。いいかげんにしろ
     少しは恥というものを知れ

 「何が起きたのか、可能な限り説明することが私の責任」と語っていた安田純平さん。その責任を果たしつつあり、何が起こったのか、その貴重な体験や反省点が明らかになりつつある。
 《一般論ですが、“無謀”に突っ込んでいく人間がいるから波紋が生まれ、何かが浮かび上がってきます。…日本も“無謀”に突っ込んでいく人の存在を保障できる社会にならないと。もっと紛争地を取材するべきです。それが社会をより強くするのですから》。

 長倉洋海さんは《現場で経験し、たくさんの出会いがあって、「伝える人」として鍛え上げられていく現場でこそ、ジャーナリストは磨かれ、育っていくはずだ》と言います。さらに、《世界は広く、深く、驚きに満ちている。自分の狭い先入観や思い込みではなく、驚きや偏見を打ち破るものを見つけ伝えてほしい。そんな写真や文章はさまざまな形で発表することができる。…私はペンとカメラさえあれば、人の心を打つことはできると信じている》。
 パスポートが発給されないというイジメが続いている模様。

   『●長倉洋海さん《フォトジャーナリズムの世界に不信感……
              道を閉ざしてしまうことのないように念じている》

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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/247106

注目の人 直撃インタビュー
安田純平氏が独白「“無謀”に突っ込む人間が社会には必要」
2019/02/12 06:00

     (ジャーナリストの安田純平平氏(C)日刊ゲンダイ)

 2015年6月にシリアで武装組織に拘束され、昨年10月23日、3年4カ月ぶりに解放された。日本での会見では「自業自得」とも語り、またぞろ「自己責任論」バッシングも生じたものの、ほどなく鎮火。その後は雑誌で手記を発表し、今年1月にはメールマガジンを始めて希少な経験を語るなどジャーナリストとして事実を伝える活動をずぶとく続けている。帰国後の日本を見て、いま何を感じ、何をやろうとしているのか。

 ――3年ぶりの日本で、帰国後どのように過ごされましたか。

 年末は妻の実家がある鹿児島に墓参りをして、正月は私の実家のある埼玉に行っていました。お世話になった方が何人か亡くなられていました。もっと早く帰れればと悔いています。早く帰れる可能性はなくはなかったので私のミスです。


 ――機内で取材を受ける様子がまず日本では報じられましたが、解放直後とは思えないくらい落ち着いていました。

 機内では入れ代わり立ち代わりでさまざまな人に取材されました。トルコで解放後、最初にお酒を飲んだのはその機内なんです。ワインのミニボトル1本とビール1缶だけだったのですが、おそろしく酔っぱらって。そのせいで冗舌だったのかもしれません(笑い)。


 ――「安田純平の死んでも書きたい話」という有料メルマガを1月から「まぐまぐ!」で配信されています。配信直後は購読増加ランキングで1位でした。

 まずは自分にできる仕事として、幽閉されているときにつけていた日記や時事的な話題などを書いていこうと思っています。


 ――カメラや取材ノートは武装勢力に没収されたそうですが、日記は大丈夫だったのですか。

 私を解放するということは拘束時の様子が話されることを意味しますから日記は大丈夫でした。彼らも見られて困るものは私に見せませんから。もちろん当時の日記はそのままではとても読める文章にはなっていないし、人前に出せない類いのメモもありますから、手を入れてメルマガに少しずつ出していきます。日記は書籍化する予定です。


 ――3年前と日本が変わったと思うことは。安倍政権が今も続いていると思いましたか。

 
「モリカケ」問題は帰国後に知りましたが、あれだけのことが明らかになっているのに首相が辞任に至らないのは驚きです。メディアは首相の地元もあまり取材してないようで不思議です。あとはテレビ番組がずいぶん変化した印象です。今回、私はワイドショー系にはほとんど出ていなくて、ニュース番組か報道番組の取材しか受けていないんです。以前もありましたけど、タレントのみなさんがニュースや時事モノについてもかなり自由に意見を言う番組が増えています。話はプロですから上手ですけど、事実関係を説明するべきものも省いてあちらのペースで進めてしまうから、今は出演しないほうがいいと周りから言われました。


 ――情報発信のハードルは下がっていますからね。

 ツイッターでは私がパスポートを偽造してシリアに入国したと本気で書いている人がいました。その人たちは愛国者のつもりで書いているのかもしれませんが、それでは日本政府や入国管理局を無能だと言っていることになるのに。ツールに罪があるわけではないので、こちらの発信をよくよく考えてうまく使っていかないといけないなと思いました。これは2015年とは全然違います。


フェイクニュースによって日本人が狙われる

 ――トランプ大統領が言い出した「フェイクニュース」という言葉も日常的に使われるようになりました。

 私がイスラム国から解放されたという間違ったフェイクニュースもクルド系メディアが流して、今も掲載されています。2004年にイラクでスパイ容疑で拘束された時も、当初は「人質」と報道され、その後は「拘束」とメディアが修正していったのですが、インターネット上では当時のフェイクニュースがそのまま残っています。私が人質にされたのは今回が初めてです。フェイクしか見ない人もいますし、フェイクに反論するだけでは対処しきれない。私が人質だったというフェイクニュースが残り続けることには問題があります。今回、私の解放に際して身代金が支払われたという真偽不明の情報が報じられましたが、身代金が支払われて日本人の人質が解放されたという情報が世界中に出回ると、日本人を誘拐すれば金になると思われてしまいます。


 ――紛争地に行くジャーナリストが狙われやすくなってしまう。

 ジャーナリストだけではありません。すべての日本人がターゲットになってしまいます。実際にシリアの武装勢力も日本のメディアをインターネットでチェックしていました。


■自己責任論者の思い込み

 ――今回も自己責任論が議論されましたが、以前と違って「危険な取材をするジャーナリストを批判するのはおかしい」と多くのジャーナリストやメディアが擁護に回った印象です。

 政府が自己責任論を言いませんでしたから。イラク人質事件のときは自衛隊のイラク撤退が人質解放の条件であり、政治問題でした。政府に助けてもらうのかと、自己責任論を掲げて批判してくる人は日本政府がなんでもできると思い込んでいるのでしょう。しかし、日本政府に本当に救出ができたのか。交渉はしていたのか。身代金を払うためには人質が生きていることを確認する生存証明を取る必要がありますが、拘束中、日本政府は一度も取っていません。紛争地に行く自由は、死んでしまうことも含めた自由です。政府がほとんど何もできない場所ですから、自分の身で責任を取るしかない究極の自由とも言えます


■もっと紛争地を取材するべきです

 ――お連れ合いに「いざという場合には一切放っておけ」と伝えていたとか。

 日本政府にしろ、トルコまで行ってくれたフリージャーナリストにしろ、いろいろな方が動いてくれましたが、こちらからは何もしないようにと以前から妻には言っていました。妻が記者会見を開けば、何を言っても言葉尻をとらえられてしまうでしょう。後藤健二さん(シリアで拘束されて殺害されたジャーナリスト)のときも、メディアは後藤さんの家族のマンションを連日取り囲んだ。捕まっている主体は本人なのに、それが広がってしまうんです。でも妻は本当によくがんばってくれました。次に海外に行くなら南の島にしてくれと言われていますが。


 ――3年4カ月の間、ほぼ独居で拘束されていたのに、よく拘禁症になりませんでしたね。

 何度も正気を失いそうになって壁を蹴りつけたり暴れたりもしました。ただ、中国から来ていたウイグル人の施設では私に気を使ってか、部屋の窓から見えるように馬とかアヒルとかを移動動物園のように広場に連れてきたりしていました。


 ――安田さんにとって、日本人が海外を直接取材をする意味は。

 一般論ですが、“無謀”に突っ込んでいく人間がいるから波紋が生まれ、何かが浮かび上がってきます。これは紛争地に限らない話だし、ジャーナリストに限る話でもありません。たとえば、かつてアフガニスタンを取材したとき、たまたまカブールの日本大使館の職員と話をしました。彼らからはアフガニスタンの道路について聞かれました。日本のODAで道路建設が必要かどうかを判断する情報が欲しいのですが、彼らは現場には行けないからです。日本が独自の道を進むには独自の情報は有益です。それを国が規制して、他国が集めた情報に頼っていればいいのでしょうか。


 ――今後の予定は。

 また紛争地に行きます、とは今は言えませんね(笑い)。ただ、スペインではシリアで解放されたジャーナリストが再びシリアやイラクに取材に行っています。フリーランスはどうしても大手メディアが入ることができない場所やテーマを取材するようになります。日本も“無謀”に突っ込んでいく人の存在を保障できる社会にならないと。もっと紛争地を取材するべきです。それが社会をより強くするのですから。

 (聞き手=平井康嗣/日刊ゲンダイ)


▽やすだ・じゅんぺい 1974年、埼玉県出身。地方紙を経てフリー。イラクやアフガニスタン、シリアを取材。イラクで料理人として働き、民間人が戦争を支える実態を「ルポ 戦場出稼ぎ労働者」(集英社新書)で執筆。 
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