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●長倉洋海さん《フォトジャーナリズムの世界に不信感……道を閉ざしてしまうことのないように念じている》

2019年02月17日 00時00分55秒 | Weblog

アサヒカメラの長倉洋海さんによる記事【広河隆一氏“性暴力”に写真家が直言 「カメラの前に立った人々の思いを踏みにじった」~フォトジャーナリストを目指す人へ~】(https://dot.asahi.com/dot/2019020800082.html)。

 《世界の紛争地で写真を撮り続けた写真家の長倉洋海氏が、同じフォトジャーナリストとしての立場でこの問題について提言する》。

 被害にあわれた皆さんに、雑誌を購読者として支えた責任があるとするならば、大変に申し訳ないと思います。

 最近の最もショッキングで、腸の煮えくり返る思いの大事件でした。大変に悍ましい事件です。雑誌について、何度も、本ブログでも取り上げてきました。3.11直後の報道など、多くの情報を得ていただけに、一人でも多くの人に知ってもらいたいという思いで、ブログで取り上げてきましたが、非常に大きな失望に変わりました。

 被害者の皆さんのサイドに立とうとしているようにはとても見えない週刊誌などの〝妙なハシャギぶり〟が、怒りにさらに輪をかけます。チェルノブイリやパレスティナ、福島などで活躍する国際的人権派とされていたジャーナリストの卑劣な犯罪がそんなに〝嬉しい〟のだろうか? そういった週刊誌の編集部や筆者達は、悪罵を投げつけることが出来るほどの、常に人権に配慮した、真剣な記事をこれまで書いてきたのか?

 『DAYS JAPAN』最終号の発行が延期になる、ということで編集部より書状を頂きました。発刊から年間契約をしていました。非常に大きな期待をしていただけに、休刊については大変に残念で仕方がありません。この事件が休刊のきっかけで無かったとしても、廃刊にせざるを得ないでしょう。編集部による最終号の発行を見守りたいです。
 日本では写真報道雑誌は、今後、出てくるのか…。スチルカメラよりも、動画による報道が主流になる中、『DAYS JAPAN』の写真とペンにはとても大きな期待をしていただけに、この国のフォトジャーナリズムの衰退が心配です。

 長倉洋海さん、《ただ、この事件によって、「フォトジャーナリストを目指したい、そのような仕事をしたい」と願っている人たちがフォトジャーナリズムの世界に不信感を持ったり、将来への不安を覚え、道を閉ざしてしまうことのないように念じている》。

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https://dot.asahi.com/dot/2019020800082.html

広河隆一氏“性暴力”に写真家が直言 「カメラの前に立った人々の思いを踏みにじった」
~フォトジャーナリストを目指す人へ~
長倉洋海 
2019.2.12 16:00 dot.#アサヒカメラ

     (広河隆一氏(c)朝日新聞社)
     (長倉洋海氏(写真/本人提供))

 フォトジャーナリストの広河隆一氏が月刊誌「DAYS JAPAN」編集部の女性スタッフに性的関係を強要したとされる問題。世界の紛争地で写真を撮り続けた写真家の長倉洋海氏が、同じフォトジャーナリストとしての立場でこの問題について提言する。

     【写真】フォトジャーナリスト・長倉洋海氏

*  *  *

 今回、広河隆一氏が引き起こした一連の問題について、写真で伝えることを仕事としている者として感じたことを記したい。

 昨年末に週刊誌「週刊文春」で7人の女性が広河氏を告発した。その記事内容に「そんなひどいことをしていたのか」と驚愕した。ただ、そのことについてコメントを求められることもなかったし、自分からしようとも思わなかった。その、ほぼ1カ月後の1月末、同じ週刊誌で別の女性からの告発記事が発表された。広河氏が海外取材に女性を連れていき2週間にわたる性的虐待を加えていたという内容だった。そのあまりのおぞましい内容がにわかには信じがたかったが、広河氏と彼の弁護士からいまだに反論がないということは、内容がほぼ真実だと判断していいだろう。


■自らのゆがんだ欲望に負けたのか

 当初は氏の資質の問題と考えていたが、事件は広がりを見せ、ジャーナリストとは何なのか、雑誌編集部や編集長はどうあるべきなのかということも含めて、私たちも問いを突きつけられている。世間では、フォトジャーナリスト、あるいはジャーナリストは表では正義を叫びながら、その裏で何をやっているかわからないという目も向けられているように感じる

 ただ、この事件によって、「フォトジャーナリストを目指したい、そのような仕事をしたい」と願っている人たちがフォトジャーナリズムの世界に不信感を持ったり、将来への不安を覚え、道を閉ざしてしまうことのないように念じている

 最初に言いたいのは、氏の行為は多くの人を傷つけたが、そればかりか、パレスチナやチェルノブイリ、福島などの地で、「この地の問題に光を当ててほしい」と願い、彼のカメラの前に立った人々の思いを踏みにじってもいる。さらには、「大手メディアが伝えない真実を伝える」という姿勢に共鳴し「DAYS JAPAN」の購読・寄付を続けた人々、そして、実際にフォトジャーナリズムに触れてみたいと集ってきた人々の思いをも裏切った

 今回の事件で、パレスチナ難民や被災者の人々へ、「その窮状は本当なのか」と疑いの目を向けられるかもしれないし、それまでの支援や関心が薄れていく可能性があることも考えれば、現地の人、取材に協力してくれた人に迷惑をかけてはいけないというジャーナリストの鉄則を自ら破ったことになる。経験が豊富にあるはずの氏がそこまで思いが至らなかったのだろうか。あるいは自らのゆがんだ欲望に負けてしまったのだろうか。

 そう言うと私が潔癖で正義感にあふれるジャーナリストに聞こえるかもしれないが、私はジャーナリストは普通の人間だと思っている。なかには犯罪に手を染める人がいても不思議ではないと思う。それなのに、ジャーナリストを正義の人に祭り上げるような傾向がある。


■取り返しのつかない地点まで…

 例えば、日本人フリージャーナリストの拉致と釈放の事件。広河氏は他のジャーナリストと「伝えるべきために行ったのだから自己責任とかのバッシングをするべきではない」と弁護する論陣を張り、記者会見も開いた。その行為に問題はなかったか、その行為は正当化されるのかと検証することなく、ジャーナリストをひとくくりにする姿勢に違和感を覚えた。弁護士や医師が犯罪を起こした時、「この人は人を守るべき職業の人だから」と医師会や弁護士会がかばうだろうか。ジャーナリストは名刺さえ作れば簡単になれる職業だ。資格審査も国家試験もない。だからこそ、一人一人の活動が是か非か見極める目も私たちには問われる

 2000年だったと思うが、東京都写真美術館で「写真」について語る講演会を行った。「いい写真を撮りたいという野心こそが、私を現場に向かわせる大きな力になる」と話すと、会場から手が挙がった。そちらを見ると後部座席に座った広河氏だった。「現地で起きていることを広く世界に伝えるために私は現場に向かっている」と言うのだった。私は先輩の言葉に恐縮し、「全ての写真家がそういうわけでなく、崇高な理念を持つ方もおられると思います」と釈明したのを覚えている。

 当然だが、ジャーナリストも時には過ちを犯す場合もある。そう言う私も、いや今に至るまで、失敗や反省の連続だ。しかし、愚かなりに、同じ間違いを繰り返さないようにと心に誓って前を向いて進んできた。しかし、氏が犯した行為は「失敗やミス」というレベルをはるかに超えて、取り返しのつかない地点まで行ってしまったように思える。


■世界最大のフォトジャーナリズム祭にて

 私が「世界の第一線で活躍できる報道カメラマン」を目指していた頃、中東問題について書かれた氏の書作に触れ、敬意をいだき尊敬もした。彼のもとを訪れ、話を聞かせてもらったこともある。

 通信社を辞めフリーランスになって2年目の1982年、レバノンの取材中だった私は虐殺から逃れてきたパレスチナ難民から事件のことを知り、現場に入った。氏より1日遅れの取材だった。帰国後、氏から写真展の話を持ちかけられ、渋谷や早稲田で写真展をしたり、雑誌のグラビアで一緒に虐殺報告をしたりしたこともある。現場を見た者として、これは伝えなければならないことだと強く思っていたからだ。ただ、広河氏の撮る記録写真と、私の目指す写真は違っていたから、それ以上、関係が深まることはなく時は流れた。

 時をおいて再会したのは2006年の南仏ペルピニャンでの国際フォトジャーナリズム祭でだった。21もの写真展が市内で開かれ、撮影者を招いてさまざまなイベントが行われる。ヨーロッパ各地から数十万の見学者、3千人ものカメラマンが集まる世界最大のフォトジャーナリズム祭だ。私は招待され、写真展「マスード 敗れざる魂」を開催した。17年、追い続けたアフガニスタン抵抗運動の指導者のストーリーだった。その機会を与えてくれた主催者のジャンフランソワ・ルロワ氏は、あちこちの会場に「DAYS JAPAN」を置き、ゲスト写真家に声をかけ、掲載の依頼をする広河氏を快く思っていないようだった。そう思われていた広河氏が数年後、写真祭の賞の審査員をしていることを知って驚いた。ルロワ氏は「資金難で来年からの開催が難しい」と話していたから、イベントスポンサーになることで発言力を強めていったのだろうかと思った。「DAYS JAPAN」の知名度を高めたり、誌面のために、作品を集めることは悪いことではない。ただ、そうして集めた作品の中に、氏は自らの作品をも同列に並べて発表することで自らの権威づけを行っていたように思う。

 もちろんそれも非難するに当たらないことだと思う。が、先週、毎日新聞に掲載された元「DAYS JAPAN」編集部に在籍した女性の手記を読んで、複雑な思いに駆られた。そこには編集部の壮絶で過酷な労働条件が記されており、そうしたスタッフの犠牲の上に南仏の写真祭へのイベントスポンサー費用や彼の写真集の費用が捻出されていたのかと思ったからだ。さらに、手記には、広河氏がスタッフを罵倒することで精神的に追い込み、意のままに操ろうとする情景も描かれている。悲しかったのは、彼女は肉体的にも精神的にも病んで、結局はジャーナリストになる夢を捨てざるを得なかったことだ。

 広河氏はフォトジャーナリズム講座を主催していた。その宣伝文の中に、「志を学ぶ」という科目があって不思議に思った。「志」は自らの内に湧き出るもの人から教えられるものではないと私は思っているからだ自分のさまざまな経験からジャーナリストとしての骨格が作られるはずで、その道を誰かに指し示してもらうことも指し示すこともできないはずだ。もし、人の指示で動くなら、その人のコピーになってしまうではないか。

 しかし、そういう私もそう気付くまでには随分と時間がかかったたくさんの失敗と経験を重ね、やっと自分の写真の道が見えてくるようになった。世の矛盾に怒りを感じ、それを正したいと願う若者。まだ経験が少なく見える世界が限られた若者たちは、正義を実践する広河氏に自らのヒーロー像を重ね合わせたのかもしれない。そのように集まってきた聴講生やボランティアに対し、羽ばたく手助けをするよりも、氏は自らの欲望の対象と見てきたのだろうか。雑誌と自らを権威づけることで人を集め、自分の欲望を満たそうとしてきたのかもしれない。 


■現場でこそ、磨かれる

 ャーナリストは自らが権威を作り上げたり、その中で独裁を敷くのではなく権力者が唱える口触りのいい正義や民主主義の裏にあるものを暴くことこそ、その真骨頂なのではないだろうか。そして、作り上げた権威に寄りかかるのではなく、伝えたい本当のことを世に問い、それで評価されるべきものだと思う。

 いま起きていることを伝えるのも大切だが、大手メディアではなくフリーだからこそできることを考えなければ、発表の場は狭まっていく。ジャーナリストの道を歩んでいる人には、たくさんの情報やニュースの中に紛れ込んでしまうものではない写真や文章を目指してほしい。群れるのではなく、時には孤高を恐れず、自らの道を進んでほしいと願うメディアや権威を一方的に信じるのでなく、自らの目と自らが磨いた感性で確かめながら歩んでほしいと願う

 私は最初から正義感や自らを犠牲にして報道に殉じる覚悟を持っている人は少ないと思う、いやほとんどいないと言っていいかもしれない。が、現場で経験し、たくさんの出会いがあって、「伝える人」として鍛え上げられていく現場でこそ、ジャーナリストは磨かれ、育っていくはずだ

 世界は広く、深く、驚きに満ちている。自分の狭い先入観や思い込みではなく、驚きや偏見を打ち破るものを見つけ伝えてほしい。そんな写真や文章はさまざまな形で発表することができる。一権力者が扉を閉ざそうと、写真が人の心を打つものであれば、道は必ず開ける私はペンとカメラさえあれば、人の心を打つことはできると信じている見た人が感動で身が震えるような、心の深いところがじんわりと満たされていくような素晴らしい写真を世界は待っている

(文/長倉洋海

※「アサヒカメラ」オンライン限定記事
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■【シリーズ【#911から20年】特別インタビュー Vol.1 写真家・長倉洋海】 (A.S.)
2021-09-15 14:34:52
■(https://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/f543054fd3faeeb9dbdef8268dbd0f90) 

▶【シリーズ【#911から20年】特別インタビュー Vol.1 写真家・長倉洋海】(https://www.youtube.com/watch?v=gzO1-YSXDnQ
《Choose Life Project 9.11前々日に暗殺されたアフガン"抵抗の指導者"マスードを17年にわたって撮り続けた写真家・長倉洋海氏を迎え、”20年前の起源”に迫ります。今を生きる私たちのとるべき道とは。シリーズ【#911から20年】。9月から11月にかけて、数本の特別インタビューと座談会をお送りします。》
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