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●《読者はこうした報道を何日もシャワーのように浴びた。…裁判官たちも例外では》ない…袴田事件の《冤罪に加担したメディアの責任》

2021年02月12日 00時00分32秒 | Weblog

(2021年01月24日[日])
山口正紀さんの、レイバーネットのコラム【冤罪に加担したメディアの責任も問い直したい〜「袴田事件」再審、高裁に審理差し戻し】(http://www.labornetjp.org/news/2021/0111yama)。

 《新型コロナの感染爆発、緊急事態・再宣言と気の重い年末年始、うれしい報せが12月23日に飛び込んできた。袴田事件再審の高裁決定取り消しだ。1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)の一家4人殺害事件で死刑が確定した袴田巖さん(84歳)が再審を求める袴田事件。その第2次再審請求審で、最高裁第三小法廷(林道晴裁判長)は再審開始を認めなかった東京高裁決定を取り消し、審理を高裁に差し戻す決定(12月22日付)を出した。事件発生から半世紀を超え、死刑確定から40年、「これ以上、拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する」と述べた静岡地裁の再審開始決定(2014年3月)からも6年9か月、東京高裁は審理を引き延ばすことなく、1日も早く再審開始を決断すべきだ。《袴田さん再審開始へ光/喜ぶ姉「何よりうれしい」》 ―24日付『朝日新聞』社会面トップの見出しだ。(山口正紀)》。

 検察という《狼は本音を明かす。「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》…《いまも、死刑囚のまま》な袴田巖さん。すぐさま、袴田巌さんに無罪を! 《死と隣り合わせの生活が心にもたらした影響…暗黒の日々の長さを思わざるをえない…夜は終わったわけではない》。
 《読者はこうした報道を何日もシャワーのように浴びた。静岡地裁の裁判官たちも例外ではなかっただろう。タテマエは「起訴状一本主義」で裁判開始まで予断を持たないとされているが、実際には裁判官の多くが事件記事をよく読んでいるという》…山口正紀さんの仰るように《冤罪に加担したメディアの責任》も重大。そして、山口さんが以前仰っていた様に、《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》。

   『●『美談の男』読了
   『●袴田事件: いい加減に誤まりを認めるべき
   『●作られた袴田冤罪事件、理不尽極まる漸くの初の証拠開示
   『●袴田事件、48年間のそれぞれの苦難……
      袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん
   『●袴田事件: 静岡地裁は「疑わしきは被告人の利益に」を
   『●袴田事件、そして死刑執行後の『飯塚事件』再審:
                   司法の良心を示せるか?
   『●袴田事件・釈放!: 「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑い」
               「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」

   『●映画「ザ・ハリケーン」と袴田事件:「冤罪事件を「絶対に忘れるな」」
    《ルビン・カーターさんが二十日亡くなった。七十六歳…
     デンゼル・ワシントン主演の映画「ザ・ハリケーン」のモデル
     といえば、思い出すだろうか▼一九六六年六月、
     米ニュージャージー州のバーで三人が殺された。現場近くを車で
     走っていたカーターさんが逮捕された。無実を訴えたが、
     有罪の評決が下り、八五年に釈放されるまで十九年間服役した。
     冤罪事件の背景には人種差別もあった袴田事件も同じ年同じ六月
     だった。同じ元ボクサー。獄中にあった袴田巌さん(78)は
     境遇の似たカーターさんが釈放された時、手紙を書いたという。
     「万歳万歳と叫びたい」。カーターさんの返事は
     「決してあきらめてはならない」だった》

   『●袴田事件…検察=《狼は本音を明かす。
      「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》
    《狼は本音を明かす。「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけには
     いかないのだ」▼袴田さんの無実を信じる人にとってはどうあっても狼に
     許されぬイソップ寓話(ぐうわ)の羊を思い出すかもしれない…
     検察と裁判所を納得させる羊の反論の旅はなおも続くのか
     ▼事件から五十二年長すぎる旅である

   『●《袴田巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ…
       政権や検察に忖度した東京高裁、そして、絶望的な最「低」裁
    「NTVの【NNNドキュメント’18我、生還す -神となった死刑囚・
     袴田巖の52年-】…《今年6月、東京高裁が再審開始を取り消した
     「袴田事件」。前代未聞の釈放から4年半、袴田巖さんは死刑囚のまま
     姉と二人故郷浜松で暮らす》」
    「三権分立からほど遠く、法治国家として公正に法に照らした
     「司法判断」ができず、アベ様ら政権に忖度した「政治判断」乱発な、
     ニッポン国の最「低」裁に何を期待できようか…。
     《巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ」

   『●冤罪は晴れず…「自白を偏重する捜査の危うさ…
       証拠開示の在り方…検察が常に抗告する姿勢の問題」
   『●袴田秀子さん《ボクシングに対する偏見…
      チンピラだっていうイメージ…その印象以外に何の証拠もなかった》
   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
           耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
    「週刊朝日の記事【袴田事件で「捜査機関が証拠を”捏造”」 
     弁護団が新証拠の補充書を最高裁に提出 】」
    《静岡地裁の再審開始決定を取り消した東京高裁決定から、
     1年余りが経過した。死刑が確定した元プロボクサーの
     袴田巌さん(83)は最高裁に特別抗告中だが、弁護団はこのほど
     “新証拠”を提出した》

   『●《死刑を忠実に実行している》のはニッポンだけ…
       飯塚事件でも、《十三人の死刑執行》でも揺るがず…
   『●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は
     《鼻には詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》
   『● CD『Free Hakamada』の《ジャケットには、元プロボクサーの
          袴田さんが…名誉チャンピオンベルトを持った写真》
   『●《「袴田事件」で死刑判決を書きながら、後に「無罪の心証だった」
        と明かした元裁判官熊本典道さん》がお亡くなりになりました
    「袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん」

   『●映画『BOX 袴田事件 命とは』で熊本典道さん役…《「法廷では
     裁判官自身も裁かれている」。自分で自分を裁こうとした日々…》
   『●袴田巌さんに無罪を…《死と隣り合わせの生活が心にもたらした影響
     …暗黒の日々の長さを思わざるをえない…夜は終わったわけではない》

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http://www.labornetjp.org/news/2021/0111yama

山口正紀のコラム : 冤罪に加担したメディアの責任も問い直したい/「袴田事件」再審、高裁に審理差し戻し

山口正紀の「言いたいことは山ほどある」第9回(2021/1/11 不定期コラム)
冤罪に加担したメディアの責任も問い直したい〜「袴田事件」再審、高裁に審理差し戻し


     (*袴田巖さん(YouTubeより))

 新型コロナの感染爆発、緊急事態・再宣言と気の重い年末年始、うれしい報せが12月23日に飛び込んできた。袴田事件再審の高裁決定取り消しだ。1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)の一家4人殺害事件で死刑が確定した袴田巖さん(84歳)が再審を求める袴田事件。その第2次再審請求審で、最高裁第三小法廷(林道晴裁判長)は再審開始を認めなかった東京高裁決定を取り消し、審理を高裁に差し戻す決定(12月22日付)を出した。事件発生から半世紀を超え、死刑確定から40年、「これ以上、拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する」と述べた静岡地裁の再審開始決定(2014年3月)からも6年9か月、東京高裁は審理を引き延ばすことなく、1日も早く再審開始を決断すべきだ

 《袴田さん再審開始へ光/喜ぶ姉「何よりうれしい」》

――24日付『朝日新聞』社会面トップの見出しだ。紙面の中央に「記者会見で笑顔を見せる袴田秀子さん」の写真が大きく掲載され、「年なんて全然気にしていない。(来年)わたしは88歳、巖は85歳ですか。確かに高齢者ですが、がんばって参ります」と秀子さん。弟の無実を信じ、その冤罪を晴らす闘いに人生を捧げて半世紀余、まさに「不屈の高齢者」のまぶしい笑顔だ

 事件は1966年6月30日未明に発生、みそ会社専務宅が全焼し、一家4人の他殺体が見つかった。静岡県警は8月、住み込み従業員の元プロボクサー袴田巖さんを逮捕。袴田さんは連日10数時間に及ぶ苛酷な取調べで「犯行を自白させられた。公判では無実を主張したが、静岡地裁は68年に死刑判決を言い渡し、80年に最高裁で死刑が確定した。

 袴田さんは81年に第1次再審請求を申し立てたが、94年に静岡地裁が請求棄却、2008年3月に最高裁が弁護側の特別抗告を棄却した。翌4月、直ちに第2次再審請求を申し立て、14年3月に静岡地裁がようやく再審開始を決定。袴田さんは48年ぶりに釈放され、「死刑の恐怖」から解放された。しかし、検察が決定に即時抗告したため再審は開始されなかった。東京高裁は即時抗告審に4年もかけた末に18年6月、再審開始決定を取り消し、弁護側が特別抗告して最高裁で審理が続いていた。

 この第2次再審請求審の争点は、事件の1年2か月後、みそ会社のタンクから見つかったとされる「5点の衣類」の血痕。検察は「5点の衣類」を袴田さんの「犯行時の着衣」と主張してきたが、静岡地裁は衣類に付着した血痕のDNA型鑑定の結果から、「血痕は袴田さんや被害者のものではない可能性がある」として14年、再審開始を決定した。ところが東京高裁は、このDNA型鑑定を「確立した手法と言えず、信用性は乏しい」と否定し、地裁決定を取り消した。

 今回の最高裁決定も、DNA型鑑定の証拠価値を否定した。しかし、最高裁は問題の衣類がみそに1年以上も漬かっていたとされながら血痕に赤みがあったこと、弁護団の実験では、みそ漬けにすると血痕は約1か月後に黒褐色になり、赤みが消えたこと(メイラード反応の影響)に注目、「高裁決定は血痕の変色に関する専門的知見について、審理が尽くされていない」として、審理を高裁に差し戻した。

 この決定で注目すべきは、裁判官5人が全員一致で高裁決定の取り消しに賛成し、しかもそのうちの2人が「検察の即時抗告を棄却して直ちに再審開始すべきだ」として、審理の差し戻しには反対、「直ちに再審開始をすべき」との意見を述べたことだ。

 「確定判決は衣類が1年以上タンクに漬けられたことが前提になっており、実験の報告書は確定判決に合理的な疑いを生じさせる新証拠と考えられる。メイラード反応の審理のためだけに差し戻す多数意見には反対せざるを得ない」(林景一宇賀克也裁判官)

 再審に関する最高裁決定で、反対意見がついたのは極めて異例だ。袴田さんが今年3月で85歳を迎えることを思うと、これ以上審理を引き延ばすことは許されない、との思いも伝わってくる。東京高裁は、直ちに審理を始め、再審開始決定を確定させるべきだ。

 それ以上に、もっと早く再審を開始する方法がある。検察が地裁決定に対する即時抗告を取り下げることだ。そうすれば、再審開始決定は直ちに確定する。最高裁決定、とりわけ2人の裁判官の「即時再審開始」意見を踏まえれば、それが本来「公益の代表者」である検察当局の取るべき、まっとうな対応ではないか。

 にもかかわらず、最高検は最高裁決定について「主張が認められず誠に遺憾」との刑事部長コメントを発表した。安倍晋三・前首相のさまざまな疑惑(モリ・カケ・サクラ)には平気でふたをする一方、警察・検察が延々と繰り返してきた冤罪=権力犯罪にはシラを切り続ける。この国の検察には、「正義」どころか「公益」の概念すら存在しない


●無罪心証で死刑判決を書いた熊本典道さんの無念

 もし2014年の地裁決定で再審が始まり、再審無罪が出ていたら、どれほど喜んだだろうか、と思う人がいる。袴田事件の裁判で1968年、一審・静岡地裁の裁判官として意に反する死刑判決を書いた熊本典道さんだ。それがきっかけで裁判官を辞めた熊本さんは約40年後の2007年、「無罪心証で書いた死刑判決について告白し、袴田さんに謝罪した

 1日も早い再審開始を待ち望んでいた熊本さんだが、今回の最高裁決定が出る約6週間前(11月11日)、福岡市内の病院で亡くなられた。83歳だった。

 熊本さんは07年1月、袴田さんの支援団体宛てに「無罪判決を起案したが、他の2人の裁判官の反対で死刑判決を書かざるを得なかった」旨の手紙を書き、袴田さんを支援する集会などで苦しい思いを訴えた。私はそんな集会で熊本さんのお話をうかがった。

 熊本さんは事件発生から5か月後の1966年11月、静岡地裁に赴任し、12月の第2回公判から事件を担当した。供述調書などの記録を読むと、袴田さんの取調べは1日平均12時間、長い日は16時間にも及んでおり、まず自白の任意性に疑問を持ったそうだ。そうして証拠を分析すればするほど、検察側の主張について疑問が増えて行ったという。

 ①小さなクリ小刀1本で4人を殺害できるか②逃走経路とされた裏木戸は留め金がかかっていた③盗んだとされる金額より現場に残った金額の方が多く、犯行動機があいまい④犯行着衣が「パジャマ」から1年後、「5点の衣類」に変更されたのも不自然……。

 判決文の起案を担当した熊本さんは無罪判決を書いた。だが、裁判長ら他の2人は有罪を主張した。「合議」の結果、2対1の多数決で有罪。熊本さんは無罪の判決文を捨て、有罪、しかも死刑判決に書き直すことを余儀なくされた

 それでも熊本さんは出来得る限りの抵抗を試みた。袴田さんの45通の供述調書は1通を除き、証拠採用しなかった。そのうえで、「捜査官は被告人から自白を得ようと、極めて長時間にわたり被告人を取調べ、自白の獲得に汲々として、物的証拠に関する捜査を怠った」「このような捜査は、真実の発見はむろん、適正手続きの保障の見地からも厳しく批判されるべき」と判決文に「付言」した。高裁の裁判官が一審判決の矛盾に気づき、判決を見直してほしい、との思いからだったという。

 「無罪心証の死刑判決」(1969年9月)から半年後、熊本さんは裁判官を辞し、弁護士になった。だが、高裁、最高裁に託した熊本さんの思いは届かなかった。上級審の裁判官たちは熊本さんが「付言」に託した思い気づくことはなく、死刑判決は覆らなかった

 やがて熊本さんは自責の念から自暴自棄となった。酒浸りの生活で家族も離散、弁護士活動もままならなくなり、遂には自殺を考えるほど追いつめられていった……。

 07年、元担当裁判官として再審を求めた「熊本告白」は大きな反響を呼んだ。熊本さんの話で、特に私が心を動かされたのが、袴田事件におけるメディアの役割だ。熊本さんは、他の2人の裁判官が有罪心証を変えようとしなかった原因の一つとしてマスコミの犯人視報道の影響」を挙げた。その話を聞いた後、私は袴田事件支援者の協力を得て、当時の新聞報道(全国紙3紙の静岡県版と静岡新聞)を詳細にチェックした。

 事件発生から数日の間、各紙の報道は「複数犯・外部犯行・怨恨説」だった。例えば、1人で小刀だけで短時間に4人を制圧し、殺害できるのか、との疑問。裏木戸には留め金がかかっている一方、玄関のガラス戸は開いていたこと。遺体は最大15カ所も刺されるなどの惨殺。その一方、現金、宝石などは手つかずのままだったこと――。

 それが、袴田さんの事情聴取と家宅捜索が行われた7月4日以降、「単独犯・内部犯行・物盗り説」に一変する。警察が袴田さんの部屋から小さな血痕らしきもののついたパジャマを押収すると、4日付『毎日新聞』夕刊は、《従業員H浮かぶ/血染めのシャツを発見》という記事を掲載、「右手に切り傷」「アリバイなし」「金に困っていた元プロボクサー」などと報道した。以後、各紙が袴田さんを標的にした犯人視報道合戦に転じた。

 8月18日の逮捕後は、袴田さんを犯人と決めつけた報道が繰り広げられた。『毎日』は、《袴田を連行、本格取り調べ/不敵な薄笑い》《ジキルとハイドの袴田》《袴田ついに自供/ねばりの捜査/69日ぶり解決》などと連日、犯人断定報道を展開し、各紙が追随した。

 読者はこうした報道を何日もシャワーのように浴びた静岡地裁の裁判官たちも例外ではなかっただろう。タテマエは「起訴状一本主義」で裁判開始まで予断を持たないとされているが、実際には裁判官の多くが事件記事をよく読んでいるいう。

 ただ、熊本さんは例外だった。熊本さんが静岡地裁に赴任したのは、事件発生から約5か月後の66年11月。第2回公判から裁判に加わった袴田さんは、犯人視報道に汚染されず、虚心坦懐に調書を読み、証拠を調べて無罪の心証を形成したのだ。

 袴田事件は、代用監獄長期勾留死刑制度、再審制度など日本の刑事司法が抱える重大な問題の全てを孕んだ事件だが、マスメディアの報道のあり方についても大きな課題を突きつけている今なお続く犯人視報道、人権侵害報道――この事件で、袴田さんと同じく、人生を大きく狂わされた熊本さんが私たちに遺した大きな宿題だ。(了)
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