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白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・名前と「思い出共同体」

2024年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム

法要で訪れた墓地は山形の市街地が見渡せる。帰りに祖父の車椅子を押すことになった「私」(スズキナオ)は下り坂だからか取り扱いに慣れていなかったからか緊張気味になったらしい。

 

「慎重に進む私に向かって『重いべぇ。手、離した方が早くうちさ着くんねが?』と誰かが言い、みんなが笑う。『あー?なんだずー』と祖父もまんざら嫌でもない様子。父方の実家はそういうシニカルな冗談が好きだから、誰かが重ねて『ばあちゃんの墓さ一緒に埋めて来たら一番早かったんだず』とまで言い、私もそういうギャグが好きだけど、どんな顔をして聞いていいのかわからない」(スズキナオ「名前のない坂」『群像・12・P.175』講談社 二〇二四年)

 

読んでいて思い返される。祖父や祖母が生きていた頃、この手のギャグは当たり前にあった。近い親戚数人だけなので陽気に笑い合っていて、今年の三月に八〇歳で亡くなった母がまだ四〇歳代くらいの時は「ちょっとやめてー」と言う役柄を引き受けていた。

 

それはそうと「私」はその坂の名前を覚えていない。名前があったかどうかも知らない。名前があったとしても絶対的にこれでないといけない名前というのは多分ないだろう。もっと古い時代にはいろんな人が何かのきっかけで覚えた全然別々の思いも寄らない名前で呼んでいたかもしれない。また違う時代や集合の場合はこれまた異なる名前を付け換え取り換えしていたかもしれない。

 

もしプルーストに言わせてみたとしよう。ごく当然のように名前は置き換えることができると言うに違いない。日本では夫婦別姓か同姓かという二元論的な恐ろしく黴臭い議論が続いている。日本は世界の中でもはや確実に調子が悪いというほかない。


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