白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/天狗から見た現代日本の黒い霧

2021年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。

醍醐天皇の時代(八九七年〜九三〇年)。「五条の道祖神(さえのかみ)の在(まし)ます所」=「今の京都市下京区松原通と西洞院通との交差点付近薮下町・道祖神社」の辺りに「大きなる不成(ならぬ)柿の木」があった。「不成(ならぬ)柿の木」は此方(こなた)と彼方(かなた)との境界線の標(しるし)として考えられていた。だから他にもある。「巻第二十八・第四十話・以外術被盗食瓜語(ぐゑずつをもつてうりをぬすみくはるること)」を見ると「不成(ならぬ)柿の木」が京都府宇治市六地蔵付近にあった。奈良街道を北上するとそのまま平安京への入口となる場所であり、そこで起きた怪異譚が載っている。それはまたの機会に述べよう。

「五条の道祖神(さえのかみ)」の「不成(ならぬ)柿の木」では、或る日、この柿の木の上に忽然と「仏(ほとけ)」が出現する。この世のものとも思われない妙なる光を放ち、とんでもなく貴いものに見えるため、身分の上中下を問わず京のあちこちから参詣に訪れる人々でごったがえした。身分の高い人々は車でやって来るわけだが混んでいるため車の駐車スペースがままならない。ましてや徒歩の人々はなおさら大量で数えきれないほどの群衆ができた。それを見た人々は仏に向かって礼拝し、口々に手前勝手な自分の意見を言い立てて周囲は騒然と喧しい。そのうち六、七日が経過した。

「微妙(めでた)き光を放ち、様々(さまざま)の花などを令降(ふらし)めなどして、極(きわめ)て貴(とうと)かりければ、京中の上中下(かみなかしも)の人詣集(もうであつま)る事無限(かぎりな)し。車も不立敢(たてあえ)ず、歩人(かちびと)はたら云ひ不可尽(つくすべから)ず。如此(かくのごと)き礼(おが)みののしる間、既に六、七日に成ぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第三・P.144~145」岩波文庫)

以前、「巻第二十七・第四話・冷泉院東洞院僧都殿霊語(れいぜんゐんひむがしのとうゐんのそうづどののりやうのこと)」を取り上げたが、こうあった。

「向(むかひ)ノ僧都殿ノ戌亥(いぬゐ)ノ角(すみ)ニハ大(おほ)キニ高キ榎(え)ノ木有ケリ、彼(あ)レハ誰(た)ソ時(どき)ニ成レバ、寝殿(しんでん)ノ前ヨリ赤キ単衣(ひとへぎぬ)ノ飛テ、彼(か)ノ戌亥ノ榎ノ木ノ方様(かたざま)ニ飛テ行テ、木ノ末ニナム登(のぼり)ケル」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第四・P.97」岩波書店)

平安時代、「木ノ末」=「梢(こずえ)」は鬼の定位置。本(もと)に対する末(すえ)として位置付けられていた。

噂を聞きつけた人々の中に「光(ひかる)の大臣(おとど)」=「仁明天皇の皇子」がいた。秀才で論理的思考の持ち主として知られていた。噂を聞いて腑に落ちないものを感じる。「本物の仏だというのなら忽然と木の末に出現なされることなどないはず。おそらく天狗どもの仕業に違いない」。と考え、私が見に行ってみようと言った。

「実(まこと)の仏の此(か)く俄(にわか)に木の末に可出給(いでたまうべ)き様(よう)無し。此(こ)は天狗などの所為(しよい)にこそ有めれ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第三・P.145」岩波文庫)

「日(ひ)の装束(しようぞく)」=「晴れの日の衣裳」を折り目正しくきれいに身に着け、「檳榔毛(びんろうげ)の車」=「檳榔の葉を裂いて屋形に組んだ乗り物」に乗車して現場へ到着する。車の簾(すだれ)を巻き上げて様子を見ると、噂通り「実(まこと)に木の末に仏在(まし)ます」。そして金色の光を放ちながら空から様々な花を雨霰のようにどんどん降らしている。周囲に集った群衆はその奇跡的光景を見上げつつ、何と貴いことだろうと心打たれたように木の末の仏に向けて拝みに拝み倒している。光の大臣は逆にますます不審感を覚えた。そこで妖怪〔鬼・ものの怪〕の正体を曝露する時の手段として、まばたき一つせず相手の目をじっと見詰めることにした。

二時間ほど経っただろうか。いつものように始めこそ光を放ち花を降らし一身に群衆の注目を集めていたその仏は、自分をじっと見詰めて微動だにしない視線に耐えきれず、とうとう疲れ果てたのか、たちまち大型の「屎鵄(くそとび)」=「のすり」姿に変じた。その姿は既に翼が折れており、木から転落してあたふたしている。ごったがえしていた群衆はそれを見て「何これ?」と考え込んでしまった。

「而(しか)るに、大臣頗(すこぶ)る怪(あやし)く思(おぼ)え給ひければ、仏に向(むかい)て、目をも不瞬(まじろか)ずして、一時許(ひとときばかり)守り給ひければ、此仏暫(しばら)くこそ光を放ち花を降しなど有けれ、強(あながち)に守る時に、侘(わび)て、忽(たちまち)に大きなる屎鵄(くそとび)の翼(つばさ)折(おれ)たるに成て、木の上より土に落てふためくを、多(おおく)の人此れを見て、『奇異(きい)也』と思けり」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第三・P.145~146」岩波文庫)

正体を曝露された天狗は元の屎鵄姿のまま地面に打ち付けられて逃げることができない。不可解に思い呆然としている大人たちをよそ目に、そこらへんの「小童部(こわらわべ)」が寄り集まってきて踏みつけ殺してしまった。

「小童部(こわらわべ)寄(より)て、彼(か)の屎鵄をば打殺してけり」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第三・P.146」岩波文庫)

相手が偽物だとわかれば容赦のない童子性(「裸の王様」参照)が共に描き込まれている点で貴重な箇所でもある。

さて。宮中の貴人層から名もない群衆まで一度に騙された一方、光(ひかる)の大臣(おとど)は毫も騙されていない。なぜだろう。基本的原則として(1)「不成(ならぬ)柿の木」は異界の標(しるし)とされていたこと。(2)「木の末」=「梢」は本来、鬼の定位置とされていたこと。(3)本当の仏だというのならそのような出現の仕方を取るのは余りにも不自然だという点。これら基本原則に従って忠実に行動した結果に過ぎない。置き換えられたものは第一に「天狗」から「仏」への転化。第二に「仏」から「翼の折れた屎鵄」への再転化である。

またここには、諸商品の無限の系列を渡り歩くばかりで、いつまで経っても本物の貨幣になれない物たちの苦悩がもう一つのテーマとして横たわっている。その意味では働いても働いても報われず、逆に過労死や自殺者ばかり出し続けている今の日本人の生活様式に限りなく近いテーマだと言える。数えきれないほど集まった大群衆の目に映った金色の光は、当時の人々の暮らしの過酷さを照らし上げて見せた。ゆえに、騙されて拝んでしまう「徒歩(かちびと)はたら云ひ不可尽(つくすべから)ず」=「ましてや徒歩の人々はなおさら大量で数えきれない」という事態が生じた。人々の日々の暮らしにもう少し余裕があればそう簡単に大量の群衆を一気に騙しきれるものではない。

ところでこのケースは、基礎をないがしろにしたか、それともしなかったかという違いがまともに出た説話である。試されているのは身分の上中下にかかわらず、根拠のはっきりしない噂話や周囲の安っぽい空気に短絡的に押し流されてしまう群衆の側であって、天狗のいたずらが悪い悪くないは問題外だという点に注目したいと思う。なお、「道祖神(どうそじん)」について柳田國男から。

「障神はもと定めてサヘノカミと訓(よ)みしこと 道祖神又は塞神と同様なるべく候」(柳田國男「石神問答・三二・柳田より山中氏へ」『柳田國男全集15・P.170』ちくま文庫)

そこはかつて或る村落共同体と他の村落共同体との境界線であると同時に両者の接点だった。共同体の重要な祝祭・儀式が執り行われるのもまたそこでだった。さらにこの地点はありとあらゆる物流・交易上、大変重要な場所として機能していた。

「商品交換は、共同体の果てるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・P.161」国民文庫)

それなしにどんな商業も工業も始まらないし始めることはできない。

BGM1

BGM2

BGM3