行くぞ!グラベル

オフロードバイク&釣り好きのイケイケブログ

ジョニーのアルバム2

2006-09-12 23:26:14 | Weblog
以前にフランさんからリクエスト頂いていた
オリジナルカラーのヘルメットの写真をアップします。

時代は私が高校生の頃。
黄色のラインにオレンジのグラデーションのカラーリングは
もちろん缶スプレーでしこしこ塗ったもの。
デザインは当時の高校生ライダーのバイブルだった
「バリバリ伝説」の影響を強く受けてますね、こりや(笑)
ほっぺたのところで、シールドをホックで留めるタイプの
古いヘルメットが泣かせます。

チラッと写っているバイクは、一時代を築いた
ヤマハのRZ250。
このバイクは、バイトして初めて買った中古のバイクで
確か二十歳になるまで乗ってました。
このRZ250は私にバイクのイロハと沢山の思い出を
くれたバイクです。

この頃のバイクにまつわる話は沢山ありますから
またの機会に書きますね。




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走ってきました。

2006-09-12 01:15:50 | Weblog
9月に入ってから中断していたジョギングを再開しました。

実は最近、お腹まわりが少々気になりだしたので
ジョギングを始めていました。
始めておよそ一ヶ月、ほぼ毎日、真面目にキッチリ一時間の
ジョギングをしていると…
なんと体重が少しずつ減り始めたのです!

これに気をよくした私は、更に気合を入れて走り回っていました。
すると、やはりきましたね、膝が…膝が壊れてしまいました。

正直、もともと走るのは得意ではありませんでした。
小学生の時、滑り台から飛び降りて右足二ヶ所を骨折、
高校生のときにはバイクでひっくり返って、
右膝を壊す…等々
それ以来、走ること自体やめていたのです。
まぁ膝は、高校当時、キチンと治さなかったのがいけないんですけどね…
水がたまり一年ほど普通に膝がつけないままほったらかしてました。
(特に右膝周辺は今でも冬になると少し痛みます)

そして昨日、新たに壊した膝の痛みが何とか取れたので
ジョギングを再開、来年には昔のスレンダーバディを
手に入れるぞっ!(予定)

写真は、膝を気遣い買った
かなりまともなジョギングシューズです、はい。


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テレビみました?

2006-09-11 23:09:25 | Weblog
みなさんは、筑紫哲也氏がリポーターとなって
ワールドトレードセンターのテロを取り上げた番組みました?
「あれから5年かぁ…あの時は…」
私も、そしてみなさんも、誰もが番組を見たとき
そうおもいましたよね…

「会社でテレビを見ていたなぁ…」

私がそう考えた時、ちょうど筑紫氏が
「世界中の人々がこのテロが起きた瞬間、
 自分たちが何をしていたか覚えています」と話されました。

まさにその通り、それほどまでに世界中に衝撃と忘れられない
記憶が焼きつきました。

あれから5年、2時間の特別番組を組んで放送を行ったのは
TBS系列だけですねぇ…
(正直、私も忘れていたのですから偉そうなことはいえませんが…)

事件に直接かかわらなかった私たちの記憶は薄れても、
振り上げられた復讐の拳は、今も突き上げられたままです。


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昨日みた映画。

2006-09-10 20:14:00 | Weblog
昨日みた映画の話。
マイナーながら久しぶりにみたいと思う映画があったので
行ってきました。

(注:ちょっと長いですよ)

「シネ・リーブル」で昨日から公開されている
ドキュメンタリー映画「ダスト・トゥ・グローリー」。
内容は、大雑把にいうと1967年からメキシコで毎年行われている
「スコアー バハ1000マイル」というノンストップの
クロスカントリーレースに密着した映画なのだ。
(また、バイクの話かって?…)

なんせこの「バハ1000」というレースがすごいんですよ。
1000マイル(およそ1600キロ)をピットインの作業時間以外
ノンストップで一気に走りきる!というものです。
しかもほとんどオフロードをです。
並みのボコボコ道ではありません、砂漠あり、岩だらけの道ありと
過酷な未舗装路を、なんとバイクのトップチームは14時間弱で走りきります。
14時間ですよ14時間!
1600キロのオフロードを14時間!
東京→大阪→東京を走るくらいですかね…しかもノンストップで。
(ちなみに大阪→東京をアスファルトの名神・東名と高速道路をぶっちぎっても
 速い人で5時間ってとこ。普通の人間はムリです。)

レースは、この山あり谷あり溝あり岩ありのオフロードを
平均時速100キロ以上でぶっちぎるというモノです。
(バイクのほかクルマのクラスもあります)

通常、3人程のライダーやドライバーが
交代で乗りますが、映画の中で紹介されているメインの人物は、
無謀にも、なんと1人で過酷なレースに挑みます。
映画は、このライダーの挑戦をメインに
「神様」と呼ばれる往年のライダーや
レース関係者のインタビューをおりまぜながら進みます。
中には、十年以上もボランティアで通信係を担う
老人の姿が紹介されたりもします。

この通信係の老人のシーンは私の中でも非常に印象に残っています。
バハ1000は、あまりに距離が長く、スタートとゴールが
離れているため、いざという時(事故など)は、各地で待機した
ヘリコプターが出動しますが、
無線が一度で届かないので、中継基地を作り伝達するのです。
老人は寒い山のてっぺんにアンテナを立て、黙々と無線の伝達を行います。
あるシーンでは、命が危ないという無線を伝達、
しかし、帰って来た返事は、「今から医者を乗せてヘリを
飛ばすが、20分くらいかかる」というもの。
その老人は、絶望的な顔と深いため息を付いたあと、
「とにかく急いでくれ」と一言。
私には、危険なこのレースを象徴しているシーンのように思えました。

なぜ多くの人が毎年この危険なレースのために世界中から集まるのか?
なぜ20万人もの観客を集めるのか?
なぜ参加するバイクやクルマの値段より、はるかに安い優勝賞金しか
出ないこのレースに熱くなれるのか?

監督は50台ものカメラを投入して、映画を観る人に
このレースの魅力、スピード感をスクリーン一杯に伝えてくれます。

長くなりましたが、オフロード好きは必見!
そうでない人も美しいバハカリフォルニアの自然と
こんなレースの世界があるのか…と、かなり楽しめると思います。

ちなみにレースが怖いという人も大丈夫。
監督の意図なのか、これほどのレースなのに、バイクの派手な
転倒シーンは、ほとんどありませんから。
(印象的な転倒シーンが一度だけありますけどね、
「あーっ」って声が出そうになりました、私。それほどのめり込みました)

中心人物のライダーは、270台1200人の参加者の中、
なんと6位でフィニッシュ!

間違いなく名誉と誇りを埃の中で手に入れました。

「ダスト・トゥ・グローリー」


コピペしてくださいね。

http://www.glassymovie.jp/d2g/index.html




















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映画みてきました。

2006-09-10 02:04:06 | Weblog
久々に映画をみてきました。
マイナーなドキュメンタリー映画なんですが
前評判が高かったので行ってきました。
オーソドックスな作りながら非常によかったです。

今日はもう寝ないと明日の仕事の支障が
でそうなので詳しくは明日書きますね。

みなさま沢山の書き込みありがとうございます。

おやすみなさい…


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はまるねこりゃ

2006-09-09 00:26:57 | Weblog
昨日からDSにハマリまくりです。
良くできてるなぁ~これ。

私が若い頃は、それこそゲーセンか深夜営業のサ店へ行かないと
ゲーム機には触れんかったのに、今やこんなに小さくなっちゃって。
そう言えば、高校生の頃は中央環状線沿いにあった
24時間営業のサ店、その名も「ポップコーン」に
よく入り浸っていたものです。

(く~っ!店の名前が時代を感じさせます)

そこはカウンター以外の机が全てゲーム機で、
店の前には、いつもの連中のバイクがきれいに並んで
停まっていたものです。

私はバイト帰りにそのバイクの列に加わり、
朝方まで「ギャラクシアン」や「スパルタンX]などの
ゲームに没頭していました。
店で注文するのは、もちろん「レスカ」!
私と当時の友達は「ギャラクシアン」の裏業を会得しており
100円で朝まで遊んでいたものです。

ゲームはソフトもハードも、ものすごく進歩したのに
当の本人だけは、進化していないような気がする。




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やってきました。

2006-09-07 23:00:35 | Weblog
知り合いに前からお願いしていたDSがやってきた。
とりあえず、自分のまわりの人らで流行っている「どうぶつの森」を購入。
まぁ私、独り者なんで暇な時間に少しずつ世界を広げてみます。

脳みそ鍛えるやつも買お。
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お蔵入りになった昔の仕事の話

2006-09-07 01:53:19 | Weblog
今回はお蔵入りになった昔の仕事の話。

今から10年以上前のお話。
取材で東北地方のとある場所へ茶道具を作る
一人のご老人を訪ねました。
この老人は、茶道具の「棗(なつめ)」を作ることを
生業とした人で、その世界ではそれなりに知られた人でした。
しかし、その人には後継者もなく、すでに高齢ということもあって
元気で働けるうちに匠の業を記録、映像に収めておくことが我々の目的でした。
確か、少し雪の残る寒い季節だったとおもいます。

初めて自宅に伺ったとき、老人は奥様と二人、
夫婦でスタッフらを暖かく迎えてくれました。
東北地方独特の野沢菜の漬物と、少しでも減ると間髪入れず継ぎ足されるお茶で
遠くから来た我々を労う老夫婦の姿が印象的でした。
挨拶をしながらも、その棗作りの老人は、子供のように落ち着かず
すぐにでも撮影を始めてほしそうなくらい嬉しそうでした。

次の日から我々は、朝に仕事場へお邪魔し、
仕事の様子を撮影、夕方には旅館へ引き上げるという
取材を何日間か行いました。


ひとつの木の塊から作り出される美しい工芸品。
蓋を合わせる瞬間、かすかにもれる空気の音。
硬くしわ枯れた匠の手からは、正反対のツルツルで
手に吸い付くような艶を持った棗が次々と生み出されました。

私はもともと絵を描いたり、モノを作ったりすることが好きなので
撮影をしながらも、匠の作業を見るのが本当に
楽しかったのを覚えています。
よく家屋の玄関前に観賞用として植えられる節のある植物が
「トクサ(砥草)」と呼ばれる植物で、その名の通り
ものを磨くのに使われる草、ということも
このときはじめて知りました。

見るもの全てが新鮮でした。


そんなある日、匠がスタッフ一人ひとりに
自ら作り上げた棗をくれました。
私は本当に嬉しくて、ピタリと合わさる木目や、
かすかにもれる空気の音を聞くために
頂いた棗の蓋を匠の前で何度も開けたり閉めたりしていました。
「棗には使わない時でも、茶の葉を入れておくんだよ」
そう教えてくれました。

取材は無事に終わり、3ヶ月後にまた来ることを
約束し、私たちは大阪へと引き上げました。
私はお茶をたてることなどできないから、この棗をどうやって保管しようかと
あれこれ考えながら、嬉しいお土産を大切に持って帰ったのです。


確か、私たちが大阪に戻って3日後ぐらいだったと
思います。
匠が亡くなったという訃報が届きました。

「頑張りすぎちゃったみたいでねぇ…」

奥様は我々を責めることなく話したそうです。


どうせなら、その姿全てを残してあげたかったのですが、
作業の全工程を追えなかった映像素材は、お蔵入りとなりました。











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晩御飯

2006-09-06 20:24:02 | Weblog
今日は会社で晩御飯。
最近は毎日のように「うどん」です。
手軽だし、近頃体重が少し気になっていたので
ダイエットをかねて積極的に食べてます。
(うどんでダイエットできるんかな?)
写真は「冷やしうどんとミニカルビ丼」のセット、530円也。

今日は朝から天気が悪かったせいか、少し寒く感じられました。
冷やしうどんの季節もそろそろ終わりかもしれませんね。

あれ、昼も冷やしうどんやったよな…
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ジョニーのアルバム

2006-09-06 01:48:36 | Weblog
バイクや仕事に関する昔の写真を紹介、
時代を想い、共に懐かしむという新コーナー開設。
その名も「ジョニーのアルバム」。
(昔の写真を携帯でそのまま撮っただけやけど)

記念すべき第1回目は高校生の時の私。

当時高校生だった私は、ガソリンスタンドで
毎日アルバイトをしていて
学校が終わればスタンドの制服に着替え、
箕面のサル天※を走り回ってから深夜まで働きに
行っていました。
このバイトは真面目にしていたため、高校生のくせに
裕福で、当時から原チャリと中型バイク2台を所有。
おかげでこのバイトは長く続き、
二十歳前までのほぼ4年間もお世話になりました。

ある日、日航機の墜落事故※のニュースをスタンド内で流れる
ラジオニュースで知り、当時付き合っていた彼女がその時間に
(のちに知ったが正確には後に)東京から飛行機に乗る予定だったため、
バイトそっちのけでラジオから流れる
搭乗者名簿を読み上げるアナウンスに聴き入っていたのを
よく覚えています。

ちなみにこのガソリンスタンドは、私が二十歳のときに
所長が借金をこさえて逃げたため今はもうありません。


※=箕面山を走るドライブウェイで
  「サルの天国」、サル天と呼ばれていた。
  当時は六甲山に次ぐ走り屋のメッカでした。

※=日航機墜落事故。1985年8月、御巣鷹山に
  羽田発大阪行きの日航機が墜落して500人以上が
  亡くなった史上最悪の航空機事故のこと。
  当時私は本当に必死になってラジオを聴いていました。

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