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NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02009年003月005日(木)気持ちの悪いオタク

2009-03-05 | 休み
夢うつつな状態だった先週のラストはやはり夢落ち扱いになっていて、いつもは大人な竜児が今回に限っては青春爆発の行動で新鮮でした。ホームルームそっちのけで思い出し照れからの大河の名前叫び。授業中の教室の中で、意中の人が自分の友達の名前を突然叫びだしたらどう思うんだろう。

大河は雪山で助け出したのは竜児だと気付いていたのか、いなかったのか。「馬鹿なこと」を言ったのは夢だったのか、現だったのかの確認は夢と言って欲しかったんじゃなくて現だったと言って欲しかったのかとか。意志が強くなったという設定の後からはほぼほぼ表情で簡単に分かるようには描かなくなってるのが、また。特に大河。


ただ竜児は女子として大河のことが好きなのか。見始めたときからうっすらと疑問に思っていたことが明確な形で疑問に思えてくる。漫画版だと早々に大河に対して性的な目を向けていたりするが(こういうところがやっぱり嫌いだ)、アニメ版は溺れた大河の水着に外れた胸パッドを入れるシークエンスの後くらいでしか大河を性的に意識していない。少なくとも表面的には。

大河に付き添うために学園祭では福男を目指したり、大河と北村が取り持たれている風景に些かならぬ感情を覚えたり、先週の雪山救助では「もう絶対離してなんかやんねーからな」とモノローグの中で吐露していたり、大河を憎からず大切に思っているという描写は数多くあるのですが恋愛対象と見ているのかはやはり疑問です。


(6日追記)浮かれてみていたので気付かなかったけど、もう一度見返したらやっちゃんがバイトを始めた日の夜、思い出ダンボールの中に入れた櫛枝のために買ったオレンジの髪留めを見ながら凄いことを言ってる。

(第1話の大河に対しての竜児の恋愛自己開示のシークエンスを回想して)
「そうだ、恥じゃねえ、好きだって気持ちは」とモノローグを挟みつつ、
「って言えねえ、俺を好きだってやつにそんなこと!つーか言いたくても言えねえ!あいつ携帯もでねぇし」ととのトンでもない独り言を爆発させてる。

女子として大河のこと好きということで完全に深読みの読み間違い。じゃぁ、夢にしてやんなよと。夢じゃないと言えよと。ただそうはやっぱり言えない訳で。どうなるんだろホント。大河はラストまで基本ポーカーフェースを貫くような気もするけど。


一方の相手である大河の描写を振り返ってみると、北村という意中の人間がある時でさえ例えば高洲争奪のエピソードでは、竜司が溺れた後のシークエンスで気を失った竜司を馬乗りにして名前を叫んで感情を爆発させていましたし、別荘への旅行のエピソードでは旅行前に竜児と大河がそろって見た夢(2人が結ばれる内容)について肯定的な言葉を残していました。



竜児の(一応)意中の人である櫛枝はと言えば、見えてるものは中途半端にしたくないと言い、幽霊は見て欲しい人の前にしか現れないと言い、これからは見えるものに突進してゆくと宣言し、櫛枝にとって未だ現実ではない恋愛ではなく、櫛枝にとって現実である部活やバイト(或いは学業)に専念することが明確にされました。多分このラインでの波乱は無いように思う。

一方で3人の中では早々に竜児との距離を置いて、ことあるごとに罵倒していた川嶋はその実はやはり吹っ切れていないという描写がなされていました、殊に櫛枝とのかみ合わない対話の中でその感情が明示的です。櫛枝が自身のことを語った「幽霊は見て欲しい人の前にしか現れない」との言外には、このシークエンスで川嶋の前に現れたのが竜児ではなく櫛枝であったことの必然が見える、気がします。

深読みのしすぎだとは思いますが、それでもこの自販機コーナーでの櫛枝と川嶋のダイアローグが非常に秀逸だったと思います。




それにしても何で北区だか板橋区あたりの公立高校に通う高校生を描くラブコメがこんなに面白いんだろうか。謎の悪の組織も、秘密の計画も、謎の巨大ロボットも壮大なSF設定も何も無いのに何でこれほどスリリングで強度があるんだろうか。


いや、もうなんか『エヴァ』みたく終わって終わってくんないかなぁとか思います。もう最終回とかは描線だけとかコンテだけで、「幽霊が見えたっ!やったねっ!おめでとうっ!」くらいでいいと思います。もう。でもそうも行かないのでラストもきっちり描くだろうなぁ。



02009年003月003日(火)民放ラジオの日の悲しさ

2009-03-03 | 休み
TBSラジオ「ストリーム」



朝「ストリーム」のポッドキャストのページに行くと、TBSラジオの「ストリーム」が終わっちゃうというお知らせが…火曜日以外は3時まで聴かないのでその告知の部分を聞いてなかったから。ラジオ欄も見ないし。昨日の「馬鹿力」で伊集院さんが「ストリームが終わるって…」みたいなことを言っていて、てっきりそれは、何故か、「バックグラウンドミュージック」のことかと思ってたけれど…


ショック過ぎます。ニートになった昨夏から毎日聴いてたのに…「日曜日の秘密基地」が終わったときもすんごいショックでしたが(深夜の伊集院さんも面白いですが、昼間の絶対失言しない安定感も好きでした)、ただアレは伊集院さん自体の意思というか自分探しのための終了と発表されているのでまだ納得できるけれど、今回のはスポンサーとか編成の都合のような。



確かにジャパネットたかたラジオショッピング時のお2人は、荒川強啓さんの見事な食いつきと比較してしまうと義務感漂う感じが否めませんでしたが。聴取率何十何週V達成とか言ってるのに、スポンサーが取れない営業やら事業部の人たちは責任を取らないのか、つまるところ辞めないのか、と至極当然な批判を真夜中にしている人が居ましたが、我に返って鞘に収めてしまいました。

当然といえば当然の批判で出演者や番組制作の方々は聴取率という形で結果を残しているのに、スポンサーを取ってこられない方の責任はどうなるのか。番組を終了させられる方の悔しさは想像に難くないというか、リスナーとして悔しい。

でも「広告費 メディア別」とグーグルで検索して出てきた電通の資料を見てみると、日本全体の広告出稿が6兆6926億円(前年比4.7%減)に比して、ラジオは1549億円と全体で見ると2.3%しかありません。しかもこれがずーっと減少傾向で、減ることはあっても多分決して増えることは無いでしょう。不況不況と言われ、ばたばたと休刊、廃刊の山になっている雑誌よりも少ない。(雑誌は4078億円で全体の6.1%)

もう衰退のメディアであるので、実感としてもまわりにほとんどラジオを聴いている人が居ない、営業の人をそこで攻めるのは酷過ぎるのかもしれません。今年のTBSラジオの就活エントリーサイトにTBSラジオの営業の方のエッセイが載っていたのですが、「TBSラジオです、といってもすぐに断られることもしばしば」みたいなことが書いてあったのが印象的です。聴取率1位なのに。

一方でネットへの出稿は増え続けていて今年は6983億円で全体の10.4パーセントに達しています。ラジオ自体の広告出稿への減少とネットへの増加があって(実際に2005年でラジオがネットに追い抜かれています)、2000年代ぐらいからずっとネットとの融合を模索していたように思います。『オールナイトニッポン』にしても以前はストリーミング放送を試みたりしてました。

その流れの中で「ストリーム」もポッドキャストを始めたんだと思いますが、『ストリーム』の凄いところは番組ほとんど全てをポッドキャストで配信してしまったことだと思います。今年に入ってからは終にOPまでポッドキャストで配信し始めてましたし、「サウンドパティスリー」以外生で聴くメリットがほぼなくなりました。今考えれば終わるからということだったのかもしれません。

このポッドキャストにしてもやはりリスナーとしては大歓迎では在るけれども、商売としてみると素人目に見ても収益に結びついているかどうかは疑問です。特に「ストリーム」みたいなほぼ全てをアップしてしまうと、高音質で番組がいつでもどこでも聴けるばかりか、CMすら入ってません。一時「HONNIN」なんかのCMが入っていた時もありましたが些細なものだと思います。

ある種の呼び水で、本放送への誘導が目的だったのかもしれませんが、これだと聴取率減ったんじゃなかろうか。ライムスター宇多丸さんが「聴取率は良くないけど、アクセス数はダントツ」と以前仰っていたのを思い出しますが、いくらアクセス数を稼げてもそれが幾ら影響力を持とうとも、直接に収益性が無ければ多分意味が無いと思います。

「ストリーム」のポッドキャストにしても、ブックレビューの回に取り上げた本のアマゾンへのリンクを載せているだけで、それじゃ有名ブログのアフェリエイトにも劣るくらいの微々たるモノしか稼げないです。広告費増を続けるネットも、モバゲーに始まる無料ゲームサイトは1強皆弱で死屍累々という現状です。もう無料でコンテンツを享受するという考え方は改めないといけないと思います。


リスナーとして番組に協力したかといわれればしていなく、ジャパネットたかたラジオショッピングで何か買うわけでもなく、聖教新聞を購読するわけでもなく、番組本も去年出版されましたが、買ってもいなくて。ただラジオを聴いて、ポッドキャストを漁ってタダ乗りしていただけです。何か自分が良いと思うものには直接的に協力できる方法は無いんでしょうか。「ジャンク」なんかはオリジナル番組を作って有料配信したりして模索を続けていますが。



ラジオばかりが苦しいのかの言えば、未だ広告費全体の3割弱を占めるテレビを見てみても、今回で終了するTBS昼ドラ枠の新番組、『おちゃべり』などは衝撃的です。公式サイトではゲスト俳優さんなどが「舞台みたい」と評してはいますが、結局はワンセット長回しという形式です。演出・作劇の必要から選択したと言うよりも、コスト削減の究極策の必要からワンセット長回しという方法に落ち着いたように思えます。



ただ今の構造のままで番組を打ち切っても、このままの状態だと全く打ち切った意味が無いと思うのですが。どこからか大口出稿が継続的にあるか、広告収入に依存しない新しい収益構造が確立できなければ、多分無理で今までの方がおかしかったのやも知れません。



4月からちゃんと働けってことなんだと噛み締めて、この悲しい感じをやり過ごさないといけないです。小学生の時は「斉藤 一美のとんかつラジオ」とか「さだまさしのセイヤング」を、中学生になって「アニメスクランブル」とかのアニメ系ラジオに向かい、高校時代は「ナイナイのオールナイトニッポン」、「ラジオ深夜便」とラジオを散発的には在るけれど聴き続けてきた人間からすると本当に悲しい3月3日、民放ラジオの日です。