NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

逃げたシンジと逃げなかった竜児と大河

2009-03-26 | 休み
運命の相手同士


大河のモノローグ。

「ずっとずっと自分なんかが誰かに愛されるはずがないと思っていた」
「でもそれは逃げていただけなのかもしれない」
「自信が持てないのを親のせいに、まわりのせいにして」
「でも竜児は私をそのまま愛してくれた」
「だからこそ 私はもう逃げない 私は変わる すべてを受け入れて」

『とらドラ!』はこの言葉の群れに尽きるというか。



初めのころは『とらドラ!』は竜児を主人公とした良くあるボーイミーツガールモノとして理解していました。しかもハーレム型の。現に基本的に竜児の視点で語られることの多い物語であったので、視聴者は竜児の気持ちは直接に理解できる一方で、まわりの気持ちは間接にしか得られなかったし。でも後半になるにしたがってヒロインであるはずの大河たちの精神のほうが前面に出てきていて、物語で解決されるべきは竜児の問題ではなく、大河や櫛枝、川嶋の問題になってくる。

竜児にも問題はあるけれどささやかな、むしろ人として当然くらいの問題しかない。ぼくが男だからボーイミーツガールは男が主人公だと勘違いしていただけということかも知れませんが、これは自己肯定感が満たされない女版シンジであるところの大河たちの物語だったんだなぁと思い至りました。よく考えれば作者は女性なので、けど男性読者が主たるラノベなのでその構造を隠蔽して、真の物語の主役を大河たちに据えたのかなと想像します。

これって少年漫画では良く出てくるご都合主義的ヒロインのラブコメ造詣だなぁと今にして思う。平凡で何一つ取り柄の無い主人公(男)の元に可愛くて無条件に主人公を好きになってくれるヒロイン(女)がある日突然現れる。『とらドラ!』ではとびきり可愛いけれど加害で問題の多い大河の元に無条件で暴力も無茶もドジも全てを受け入れてくれる(おまけに家事まで得意で身の回りの世話も焼いてくれる!!)竜児が現れる、てか出会う。恋人じゃなくて、仲間?だけれど。初めは。

けれどもどこかに転がっていそうな浅薄なご都合主義なラブコメ作品に終わらなかったのは各キャラクターに対して、竹宮先生がきちんと向かい合っていたからだと思います。底抜けに明るいけれど、女であることや恋愛にコンプレックスを持つ櫛枝に周囲からモデルとして?大人であることを望まれそれに答え続け自分を隠し続ける川嶋、そして周囲から理解されえないという諦念で周囲を遠ざける大河の3人、皆が皆どこかに居そうなリアリティで造詣されてる。

基本的に『エヴァ』の人たちみたいに重大な問題意識を抱えていたのは『とらドラ!』では大河。良好とはいえない親子関係の中で育てられた大河は自己肯定感を得られずに育ち、人の顔色を伺い傷付く前にいつも関係性を壊したり、逃げ出してしまうようになってしまっていて。そんなところに自分を畏怖したり、見た目に惹かれるわけでもない(小説版はそこが違うけど)竜児が現れ、大河がどんなに無茶をしようと誤解を受けそうなことをしても竜児だけが全てを受け入れてくれて、分かってくれる。櫛枝や川嶋にとっても竜児は同様の存在で。

「分かってくれる人が一人でもいたら 大丈夫なんだよね 例えそれが恋じゃなくたって」という川嶋の台詞が『とらドラ!』的な良心だったと言うか、『ハチクロ』的に言えば「うまく行かなかった 恋に意味はあるのかって」とでも言うべき(ちょっと違うか)モノかもとちょっと思えたり。運命の相手同士の恋愛が一番純粋な形に思えるけれど、別に恋愛の形式で無くたって理解は得られるじゃんかということなんじゃなかろうか。例え好きだった相手からだとしても、別に良いじゃんて。


『エヴァ』であったら、今ままで親戚に預けられ父親から遠ざけられていたシンジ、母親の利己的な自己目的のためのみに人工的に作られたアスカ、そしてそもそもがオリジナルの人間のいないクローン?人間かすらよく分からない綾波が登場。この3人が自己肯定の得られない人たちとして関係しあいながら、シンジが中心となって物語が進みましたが、アスカの精神は病み、綾波は死んで代わりのクローンが来たり、主人公のシンジは「嫌なことから逃げて何が悪いんだよ」とのたまわって結局逃げてしまい自己崩壊に陥ってしまいます。そもそも『エヴァ』は受け止めるべき人たち自体の土台が無いから受け止められない、寄りかかりあうことすら出来ないし。

やたらと小難しい風を装っていた『エヴァ』とは違って自己肯定の手っ取り早い方法は誰かに受け入れてもらえば良いという至極簡単(結構難しいことではあるけれど)なことを『とらドラ!』は言ってる気がします。大河にとってその方法が竜児との関係性であって。シンジと違って竜児と大河は立ちはだかる問題から逃げずに立ち向かって、全てを受け入れようとする。他者からの肯定、自己肯定感を得るには基本的にそれしかないと思います。『とらドラ!』はとても素敵な方法でそれを伝えてくれていると思います。しかも皆が一応しあわっせ。ナイス!竹宮先生、長井監督、岡田さんetcって感じです。綺麗過ぎる気もしないではないですが。

運命の相手同士

ドラマ的には予想していたラストが半分当たっていたような、当たっていなかったような、非常に現実的で順当なラスト。竜児でやっとの高須家で大河まで養うのは非現実的だし、2人で駆け落ちして結婚というのも足立区なリアリティしか待ち受けていないし。やっぱりあそこは別れしかなかったのだと。でも2人の関係性が強固に成ったので、それが一時的でしかないということだったんだと思う。そして何と言っても2人だけの結婚式での竜児と大河のキスシーン。リアリティのあるそれと流れ。アニメなんかでキスシーンとかでリアリティを押すと大抵現実の生々しい嫌なノイズ部分だけが強調されるのに、見事に初々しくて愛情に満ち溢れたそれで、死語ですが”キュン”です。驚きは無いけれど、2人とも凄い可愛くて素敵なシーンです。




ラブコメとして面白く、ラブコメとして観始めましたが、それも10話まで。そこからの大河を中心に展開されるシリアス展開は面白いながらも少し消耗してしまうくらいの濃密さと重さでした。恋愛というよりも大河の自己肯定の物語が面白かったです。淡い淡い恋愛や櫛枝のメタファー、川嶋の報われなさなど恋愛まわりの淡さがまた良かったです。HDDレコーダーを買った甲斐がありました。これで終わってしまうのは非常に残念ですが、『とらドラ!・ポータブル』がその寂しさを埋め合わせてくれると思うので。とっても良いラストでした。