NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

2006年03月26日(日)

2006-03-26 | 休み

 三浦さんが大きく提示した「格差社会」が扱われる機械が多くなってきているように感じるが、どうも言葉が独り歩きをしてしまい、本来の問題の範囲まで超えてしまっているようなものが見受けられたりもしているなぁ


 中学3年の頃、クラスにとってもかわいい子が居た。綺麗じゃなくて、かわいい。もうオーラがかわいいかった。性格まで良かったので、男女問わず、クラスを超えて、人気者だった。だけれど少しも尊大な感じもうるさい感じも無く、僕はその子が好きだったというよりも、ファンだったとでも言うのだろうか。
 加えてその子は頭も良かった。たぶんクラスでも3本の指に入るほど、勉強が出来た。その気になれば、周辺で一番の進学校に確実に進学が出来たはずだった。でも彼女は進学校へは進学しなかった。彼女は商業高校へ進んだ。

 田舎だったから仕方が無いといえば、仕方が無いのかもしれないが、彼女の両親は彼女が女の子であったために、彼女が進学校の普通高校に進学することを反対したそうな。女の子には学問は要らないのと信じていたのか、はたまた彼女の家が商店を営んでいたからか、僕には分からない。進学校へ行けば、大学に進学し、県外に出て実家に戻ってこなくなると考える家も多いという。知り合いの家でも大学進学自体を反対されたり、進学を認めたとしても、関西圏までの地域限定で、東京などの関東圏への進学は反対されたということを良く聞く。


 商業高校に進学したり、大学に進学しなっかったりすることはもちろん悪いことなどではない。ここで問題になるのは生まれた地域、家で子供のその後は決められてしまう、ということ。本人が主体的に将来を決めたのなら良い。でももし本人以外の何らかの要素がそれを阻害しているとしたら、問題だ、というのが格差社会が提示した問題意識なんだろうけれども…

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