アーティストによって聴講生の層が異なるのは至極当然のことなんだけど、それまでのアーティストの回に比しても超満員の教室。そしてこれまでの聴講生とは毛色の違う人が多い。ファッションも明らかに垢抜けていて、質問者が多いということもあるんだろうが、音楽専門学校生が居たのもこれまでで初めて。幅広い。
Kjがどれほど本気で音楽に取り組んでいるのか、またどれほどそれを大切に思っているのかが伝わってくる最終回でした。ぼくというパーソナリティとKjの生み出す詩世界とのあまりのギャップに怒りをぶちまけてしまったのが恥ずかしいです。でもそれはぼくとしては当然のことのよう。
ロックだろうがフォークだろうがヒップホップだろうがテクノだろうがエレクトロだろうがオルタナだろうが、ぼくが求めるものはKjの世界には無い。影みたいなもの、憂いみたいなものは一切無い。それはKjの信念のようなもののよう。大物バンドとかでも結構あるのにKjの詩世界にはまるで存在しないもの。
Kjのまなざしが全2回の中で一番端的に現れていたのが最後の学生から質問コーナーでした。いつもより多い学生からの質問の中から一部その回答を以下に引用してみたいと思います。○=質問、●=Kj。
○一番好きな曲の歌詞は何ですかという質問に、「ちょっとごめんね」と小さく謝り、少し考えてからKjは答えます。
●「最近配信だけで出してる「CALLIN'」という曲。最近言葉をアートの一部としないというか、伝えてナンボみたいな感覚にちょっと変ってきてて。ちょっとおっさんになっちゃったのかも知んないんだけど。俺ってこんなにまっすぐな言葉で物事言えるんだなって。新鮮だから。ライブでもさ、配信だけだから知らないやつとかもいっぱい居るじゃん。でもやってて、そんなに言葉詰めてないから全部聞き取れたりとかさ、初めてやってんだけど分かるみたいな。その音楽の力の一番シンプルで重要なところを10年以上やってまたそれに打ちのめされてる。「CALLIN'」は結構いいかな。」
○花の百合が、Lilyという英語名でも、歌詞で頻出するがその意味・意図はどういうところにあるのかと問われて、言葉を選びながらKj。
●「自分は音楽を通して、嫌な思いも良い思いも凄くたくさんしてるし、音楽をやっているって言うだけではなくて、音楽ビジネスの中に居るじゃん。だからさ、そんなに胸張って言えないこととかもさぁ、あるし。実際セールスが無かったら、食っていけないわけじゃない?俺らの職業ってさ。だけど、音楽を作っている時とライブに来ている人たちへの接し方とか、音楽に対する気持ちだけは絶対にピュアでなきゃ、アーティストは駄目だと思うし、それが後で人に伝わった時に評価されるものだから、自分はそれが正しい、好きなことだって思ってないとおかしいと思うのね。職業作家じゃないしさ、自分でバンドやってるわけだから。だから花言葉が凄い清らかなもの、純白な、純粋なものっていう花言葉だから、百合は。音楽に対する気持ちとか姿勢って言うのは白百合のようなものでありたいな。っていうことです。」
○ラテンミュージックとのミクスチャー以降のDragon Ashに影響を受けて、ラテン語を専攻し、ついにはスペインへの留学を予定しているという外大生の報告にうれしそうだったKj。その学生からのラテンミュージックミクスチャーやラテン語の詩を使うようになった契機を訊かれて。
●「まずラテンっぽいものを取り入れたきっかけは、音楽的なことになっちゃうけど、俺は作る上でビートとか体感リズムって言うのを一番大事にするのね?リズムを突き詰めてゆくとラテンのリズムとかがアチィー!な、みたいな。フラメンコギターとかさ、いわゆるガットギターどリズムセクションだけでダイブさせる曲、みたいなものを模索してて。そっから言葉は連なってきちゃってるって言うか、リズムがこうだからやっぱりそういう言葉のほうが合うじゃん。日本語をこうやっておいていくより。」
○22歳にもなる大学生から大人になる僕たちに望むこととアドバイスをと求められると、Kjは「痛いロックバンドのヴォーカルの話だと受け止めて欲しい」とエクスキューズをつけた上で率直な言葉でストレートにアドバイスを投げかけます。
●「”しょうがない”と言う言葉が大嫌いで。それはいくつになってもそうで、日本語の嫌なとこっていうかさぁ、侘び錆で上手く片付けちゃう、みたいな。なんていうのかなぁ、言葉のマジックなんだけど、単純に諦めているだけなのに”しょうがない”とか言ってみる、みたいな。いやいや色々制約があって…しょうがないから、みたいな。”しょうがない”とか言っちゃたら何でも済んじゃうから。そんな餓鬼の頃とか若い頃からとか、”しょうがない”とか絶対使わないほうが言い。何だって。”しよう”があるから。」
……っと、もっと一杯引用しようと思ったけど、書き起こすのが辛い。楽しくない。何度も聴いていてストレス。すんごいストレートなポジティブ。もうちょっとひねててその表現が歪曲してればと、歪んでるぼくは思うのです。たとえばKjが聴いていたという甲本ヒロトさんの表現するストレートとは似て非なるストレートさ加減。Kjの詩は熱は帯びているが、ぼくのような人間が感情を乗せられる隙間はどこにも無い。
そしてとにかく熱い。ブラックカルチャーに通じるような地元愛、仲間、絆みたいな体育会的なメンタリティーというか。ドラマ版『ごくせん』や『ルーキーズ』などのヤンキーカルチャーの世界観というか暑くて、厚くてストレート。おいらの大嫌いな価値観とその表現の仕方だ。そして質問者もまたKjと同様のパッションをその質問内容に称えていたし。ある質問者は起立中、腕を後ろに組んでいた。
結論としてはすごいんだろうけど、ぼくには理解できてそれを心から楽しめるものではないということ。すべてに可能性を開けることはすばらしいが、ぼくにはそれは出来ないし無理して聴いたらストレスになる。がんばってポジティブに読み取ろうと思ったけれど、暗くて重い部分がそれを許さないというか。頑張っても偽れない。詩の上にある言葉しかない。音を聴かせるバンドならそれで十分だけどさ。
―「佐野元春のザ・ソングライターズ」(NHK)
さぁ、「佐野元春のザ・ソングライターズ」は最終回でした。
「僕はポピュラーソングのソングライターこそが現代の詩人だと思います。」
「ポップソングは時代の表現であり時代を超えたポエトリー、僕はそう思っています。」
毎回のはじめに差し挟まれるこの佐野さんの言葉。今シーズン(次のシーズンの有無はアナウンスされていませんが)は「時代を超えたポエトリー」の部分が「現代の詩人」という部分を上回っていたように思います。今回の6人中4人はキャリア30年以上の大ベテラン。残りの2人にしても10年以上のキャリアの人たちです。もっと若い人が居ても良いのではとも思いました。
ただそんなことを思いながらも現在売れている楽曲はどうなのだろうと思う部分も。多くの人に支持されている、共感されているということを端的に表すのはやはりチャートです。CD売り上げチャートや着うたダウンロードチャートが今の感性を最も反映していると言えると思います。言えるんですが、やっぱりそれだけで良いのか、とも思うんです。チャートが必ずしも質を担保しているわけではないし。
ポップミュージックは現代の詩人という割りに6人中4人がキャリア30年以上の超ベテラン。残りの2人にしてもキャリア10年以上という21世紀以降の新人の不在は佐野さんは提示した概念とはいささかかけ離れているような。ある程度評価が定まった人が出たほうが面白いですが、それにしても現在のカッティングエッジな人が独りくらい居てもいいんじゃないかとは思います。
とは言いつつも、もはや最近の若いミュージシャンに心惹かれるものが沸かないという見事なおっさんなので、どういう人たちがそこに位置するかも見当も付きませんが、大御所・中堅・若手くらいの幅は期待してみたいです。女性が矢野顕子さんだけだったのも寂しい。中島みゆきさんや椎名林檎さんくらい出るのかとも思いましたが、やはり難しいようで。
個人的には電気グルーヴのピエール瀧さんやthe birthdayのチバユウスケさん、ザ・クロマニヨンズの甲本ヒロトさんあたりが観てみたいですが、矢野さんであれだと難しいやも知れません。一番観たいのはハンバートハンバートのお二人なのですが、すでに評価が定まった著名なミュージシャンが出る傾向が非常に強い番組なのでクオリティはともかく知名度的には厳しそうです。
「国語」―ハンバートハンバート(Youtube)
それはともかく詩に焦点を合わせるというのはありそうでなかった面白い視点の番組でした。続編があることを期待して。
Kjがどれほど本気で音楽に取り組んでいるのか、またどれほどそれを大切に思っているのかが伝わってくる最終回でした。ぼくというパーソナリティとKjの生み出す詩世界とのあまりのギャップに怒りをぶちまけてしまったのが恥ずかしいです。でもそれはぼくとしては当然のことのよう。
ロックだろうがフォークだろうがヒップホップだろうがテクノだろうがエレクトロだろうがオルタナだろうが、ぼくが求めるものはKjの世界には無い。影みたいなもの、憂いみたいなものは一切無い。それはKjの信念のようなもののよう。大物バンドとかでも結構あるのにKjの詩世界にはまるで存在しないもの。
Kjのまなざしが全2回の中で一番端的に現れていたのが最後の学生から質問コーナーでした。いつもより多い学生からの質問の中から一部その回答を以下に引用してみたいと思います。○=質問、●=Kj。
○一番好きな曲の歌詞は何ですかという質問に、「ちょっとごめんね」と小さく謝り、少し考えてからKjは答えます。
●「最近配信だけで出してる「CALLIN'」という曲。最近言葉をアートの一部としないというか、伝えてナンボみたいな感覚にちょっと変ってきてて。ちょっとおっさんになっちゃったのかも知んないんだけど。俺ってこんなにまっすぐな言葉で物事言えるんだなって。新鮮だから。ライブでもさ、配信だけだから知らないやつとかもいっぱい居るじゃん。でもやってて、そんなに言葉詰めてないから全部聞き取れたりとかさ、初めてやってんだけど分かるみたいな。その音楽の力の一番シンプルで重要なところを10年以上やってまたそれに打ちのめされてる。「CALLIN'」は結構いいかな。」
○花の百合が、Lilyという英語名でも、歌詞で頻出するがその意味・意図はどういうところにあるのかと問われて、言葉を選びながらKj。
●「自分は音楽を通して、嫌な思いも良い思いも凄くたくさんしてるし、音楽をやっているって言うだけではなくて、音楽ビジネスの中に居るじゃん。だからさ、そんなに胸張って言えないこととかもさぁ、あるし。実際セールスが無かったら、食っていけないわけじゃない?俺らの職業ってさ。だけど、音楽を作っている時とライブに来ている人たちへの接し方とか、音楽に対する気持ちだけは絶対にピュアでなきゃ、アーティストは駄目だと思うし、それが後で人に伝わった時に評価されるものだから、自分はそれが正しい、好きなことだって思ってないとおかしいと思うのね。職業作家じゃないしさ、自分でバンドやってるわけだから。だから花言葉が凄い清らかなもの、純白な、純粋なものっていう花言葉だから、百合は。音楽に対する気持ちとか姿勢って言うのは白百合のようなものでありたいな。っていうことです。」
○ラテンミュージックとのミクスチャー以降のDragon Ashに影響を受けて、ラテン語を専攻し、ついにはスペインへの留学を予定しているという外大生の報告にうれしそうだったKj。その学生からのラテンミュージックミクスチャーやラテン語の詩を使うようになった契機を訊かれて。
●「まずラテンっぽいものを取り入れたきっかけは、音楽的なことになっちゃうけど、俺は作る上でビートとか体感リズムって言うのを一番大事にするのね?リズムを突き詰めてゆくとラテンのリズムとかがアチィー!な、みたいな。フラメンコギターとかさ、いわゆるガットギターどリズムセクションだけでダイブさせる曲、みたいなものを模索してて。そっから言葉は連なってきちゃってるって言うか、リズムがこうだからやっぱりそういう言葉のほうが合うじゃん。日本語をこうやっておいていくより。」
○22歳にもなる大学生から大人になる僕たちに望むこととアドバイスをと求められると、Kjは「痛いロックバンドのヴォーカルの話だと受け止めて欲しい」とエクスキューズをつけた上で率直な言葉でストレートにアドバイスを投げかけます。
●「”しょうがない”と言う言葉が大嫌いで。それはいくつになってもそうで、日本語の嫌なとこっていうかさぁ、侘び錆で上手く片付けちゃう、みたいな。なんていうのかなぁ、言葉のマジックなんだけど、単純に諦めているだけなのに”しょうがない”とか言ってみる、みたいな。いやいや色々制約があって…しょうがないから、みたいな。”しょうがない”とか言っちゃたら何でも済んじゃうから。そんな餓鬼の頃とか若い頃からとか、”しょうがない”とか絶対使わないほうが言い。何だって。”しよう”があるから。」
……っと、もっと一杯引用しようと思ったけど、書き起こすのが辛い。楽しくない。何度も聴いていてストレス。すんごいストレートなポジティブ。もうちょっとひねててその表現が歪曲してればと、歪んでるぼくは思うのです。たとえばKjが聴いていたという甲本ヒロトさんの表現するストレートとは似て非なるストレートさ加減。Kjの詩は熱は帯びているが、ぼくのような人間が感情を乗せられる隙間はどこにも無い。
そしてとにかく熱い。ブラックカルチャーに通じるような地元愛、仲間、絆みたいな体育会的なメンタリティーというか。ドラマ版『ごくせん』や『ルーキーズ』などのヤンキーカルチャーの世界観というか暑くて、厚くてストレート。おいらの大嫌いな価値観とその表現の仕方だ。そして質問者もまたKjと同様のパッションをその質問内容に称えていたし。ある質問者は起立中、腕を後ろに組んでいた。
結論としてはすごいんだろうけど、ぼくには理解できてそれを心から楽しめるものではないということ。すべてに可能性を開けることはすばらしいが、ぼくにはそれは出来ないし無理して聴いたらストレスになる。がんばってポジティブに読み取ろうと思ったけれど、暗くて重い部分がそれを許さないというか。頑張っても偽れない。詩の上にある言葉しかない。音を聴かせるバンドならそれで十分だけどさ。
―「佐野元春のザ・ソングライターズ」(NHK)
さぁ、「佐野元春のザ・ソングライターズ」は最終回でした。
「僕はポピュラーソングのソングライターこそが現代の詩人だと思います。」
「ポップソングは時代の表現であり時代を超えたポエトリー、僕はそう思っています。」
毎回のはじめに差し挟まれるこの佐野さんの言葉。今シーズン(次のシーズンの有無はアナウンスされていませんが)は「時代を超えたポエトリー」の部分が「現代の詩人」という部分を上回っていたように思います。今回の6人中4人はキャリア30年以上の大ベテラン。残りの2人にしても10年以上のキャリアの人たちです。もっと若い人が居ても良いのではとも思いました。
ただそんなことを思いながらも現在売れている楽曲はどうなのだろうと思う部分も。多くの人に支持されている、共感されているということを端的に表すのはやはりチャートです。CD売り上げチャートや着うたダウンロードチャートが今の感性を最も反映していると言えると思います。言えるんですが、やっぱりそれだけで良いのか、とも思うんです。チャートが必ずしも質を担保しているわけではないし。
ポップミュージックは現代の詩人という割りに6人中4人がキャリア30年以上の超ベテラン。残りの2人にしてもキャリア10年以上という21世紀以降の新人の不在は佐野さんは提示した概念とはいささかかけ離れているような。ある程度評価が定まった人が出たほうが面白いですが、それにしても現在のカッティングエッジな人が独りくらい居てもいいんじゃないかとは思います。
とは言いつつも、もはや最近の若いミュージシャンに心惹かれるものが沸かないという見事なおっさんなので、どういう人たちがそこに位置するかも見当も付きませんが、大御所・中堅・若手くらいの幅は期待してみたいです。女性が矢野顕子さんだけだったのも寂しい。中島みゆきさんや椎名林檎さんくらい出るのかとも思いましたが、やはり難しいようで。
個人的には電気グルーヴのピエール瀧さんやthe birthdayのチバユウスケさん、ザ・クロマニヨンズの甲本ヒロトさんあたりが観てみたいですが、矢野さんであれだと難しいやも知れません。一番観たいのはハンバートハンバートのお二人なのですが、すでに評価が定まった著名なミュージシャンが出る傾向が非常に強い番組なのでクオリティはともかく知名度的には厳しそうです。
「国語」―ハンバートハンバート(Youtube)
それはともかく詩に焦点を合わせるというのはありそうでなかった面白い視点の番組でした。続編があることを期待して。