NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02007年005月027日(日)思いつき、思いつき

2007-05-27 | 休み
「しゃべれども しゃべれども」
を読んで殊に感じたのが
小説のスタイルの違い。
文学部出身でもないし
ましてや大した本読みではないけれど
何か思ってみる。
考えてみる。


例えば最近読んだ
「イン・ザ・プール」の奥田英朗との比較。
奥田英朗は酷く読みやすい。
携帯小説並みにレトリックが少ない。
正確に云うと、(そんな物があるのか解らないけれど)
小説内空間と云えそうなものが
X軸しか無いように感じられる。
最低限の登場人物しか出なくて
それもあんまり掘り下げなくて
情景描写は極僅か。
必要な部分以外にはレトリックが
施されなくて
例いレトリックがあっても
極めて簡潔に施されてる。
しかも短文、短文で小刻み良く繋いでる。


「博士の愛した数式」の小川洋子
「夜のピクニック」の恩田陸
この佐藤多佳子とかは
その逆で昔ながらの小説という印象。
フィクションでしかない小説の空間の
充実に心を砕いている(と思う)。
本筋に直接関係の無いところも
レトリックを駆使して丁寧に
描写している。
その分文章も長い。
句点で、繋いで、繋いで作者のイメージを
忠実に伝えようとしてる。
脇の登場人物も奥田の、少なくとも
「伊良部」シリーズよりも
大分掘り下げている。
だからこそ佐藤さんの作品は
多分十人が十人誤解無く
登場人物の心理状態や行動の
原因、要因を理解できる(と思う)。


奥田の作品は
センター試験で絶対出題されない
それよりも出題できないけれど
小川や恩田、佐藤の作品は
センター試験でも出題できる。
現実に恩田の作品は模試か何かで
読んだ覚えがある。