最近まともに夕焼けを見ていないことに気が付く。
それもここ2年ほど。つまりは東京に来てからだ。
向こうに居る時はこれでもかというほど
夕焼けを見たような気がする。
当たり障りの無い夕焼けから
誰かに知らせたくなるような夕焼け。
そしてこの世の終わりなのではないかという夕焼け。
オレンジ色とも紫色とも形容し難いそれは
夕方の出雲平野をすっぽり包んでいって
昔どこかで聞いた
「一日は朝焼けに生まれて、夕焼けに死ぬ。
毎日はそれの繰り返しだ」という何とも臭い立つ
話を思い出させた。
臭い立つと思いながらも、それを思い出したのは
その説明があながち間違っていないと思ったからだろう。
秋口にもかかわらず、7時近くまで
明日は来ないと云わんばかりに
暗くなるのを拒んで、平野を照らし続けていた。
それをいじらしいと思ったのかも知れない。
何とも不気味な色味ではあるけれど、どこかで懐かしいような
優しいような気もかすかに思わせるそれを見ていたら
家も車も、畑も北山もそれに染まっていた。
それもここ2年ほど。つまりは東京に来てからだ。
向こうに居る時はこれでもかというほど
夕焼けを見たような気がする。
当たり障りの無い夕焼けから
誰かに知らせたくなるような夕焼け。
そしてこの世の終わりなのではないかという夕焼け。
オレンジ色とも紫色とも形容し難いそれは
夕方の出雲平野をすっぽり包んでいって
昔どこかで聞いた
「一日は朝焼けに生まれて、夕焼けに死ぬ。
毎日はそれの繰り返しだ」という何とも臭い立つ
話を思い出させた。
臭い立つと思いながらも、それを思い出したのは
その説明があながち間違っていないと思ったからだろう。
秋口にもかかわらず、7時近くまで
明日は来ないと云わんばかりに
暗くなるのを拒んで、平野を照らし続けていた。
それをいじらしいと思ったのかも知れない。
何とも不気味な色味ではあるけれど、どこかで懐かしいような
優しいような気もかすかに思わせるそれを見ていたら
家も車も、畑も北山もそれに染まっていた。