礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

いよいよ来るものが来ましたね(鈴木貫太郎)

2020-04-07 00:21:38 | コラムと名言

◎いよいよ来るものが来ましたね(鈴木貫太郎)

 雑誌『自由国民』第一九巻二号(一九四六年二月)から、迫水久常(さこみず・ひさつね)の「降伏時の真相」を紹介している。本日は、その五回目。

 一体大東亜戦争の敗因の最も大きなものは、我方が余りにも連合国側の戦力を過小評価したことにあつたのではなからうか。我国の戦力を予想外に弱化したものの一つは連合国側の我が海上交通破壊能力であるが、我方の船舶の損耗は常に我方の予想とは懸け離れた数字に上つてゐた。それにまた我が生産設備の拡張は本土が空襲に曝されることは殆どないといふ前提の下に進められてゐた。現に私が企画院にゐた頃、列席した都市防空の会議に於て「こんな会議は時間潰しだ。我が国が空襲されることになつたらお仕舞でそんなことには絶対にならない」と放言した軍人があつた。それがサイパン失陥以来あの空襲である。工場を疎開しようにも物資がない、輸送力が足らない、気ばかり焦つても実績は挙らない、生産は急速に減退せざるを得ないのに、これを補ふべき対策は立たないのである。
 そこに原子爆弾の出現である。この傾向に一層の拍車をかけ、本土壊滅の速度を一層短縮したのみならず、最後の頼みとする本土決戦が、果して予定通り行ひ得るや否や、重大なる疑問に逢着せざるを得なくなつたのである。しかしなほこれが真に原子爆弾であるや否やについては疑問を持つたので、これを研究するの必要を感じ、陸海軍は科学陣を総動員して実地検証した結果、翌八日にはそれが真に原子爆弾なることが判明し、今更の様に我が科学力が敗れたことを感じたのである。しかしその当時の状況においては軍側の意向は、原子爆弾の威力をありのまゝ報道することは国民の士気を害するからといふので、原子爆弾の惨害を隠蔽し、これが威力を小さく報道せんとするの意図を有し、政府側と極めて深刻なる争ひをしたのであつた。
 この重大なる事実に直面し、政府として至急対策を講ぜざるを得ざるを感ぜしめつゝあつた矢先、翌八月九日午後四時ごろ同盟通信社はソ連邦が対日宣戦をなした旨のモスクワ放送を報告して来た。八月八日の午後十二時(モスクワ時間において八月八日午後五時)にはかねてモロトフ外相と我が佐藤〔尚武〕大使との会見が行はるゝ旨、佐藤大使より予告があつたから、ソ連邦の我が方の申入れに対する回答のあるべきことを期待してをつたのであるが、其回答が、意外にも宣戦となつて現れたのであつた。
 こゝに至つて事態は遷延を許されない。関東軍の当時の兵力は、既に本土決戦のために、その重要部分を内地に移してゐた関係上、極めて微弱であつて 二箇月ぐらゐの後には全員玉砕を覚悟せざるを得ない情勢であつた。私〔迫水久常〕は書類を取纏めて急遽〔鈴木貫太郎〕総理大臣を訪問して、このことを逐一報告をした。総理大臣はこれに対して、いよいよ来るものが来ましたね、と極めて冷然としていはれた。【以下、次回】

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