◎『敵国日本』(1942)における「宮中」勢力の分析
昨日の続きである。『世界』創刊号から、ヒュー・バイアスの『敵国日本』の内容を紹介する。
本日紹介するのは、昨日紹介した部分の少しあとで(同じく第四章)、「宮中」という勢力について分析である。
日本の政治を考察する時は、天皇と共に「宮中」と呼ばれる勢力を知ることが必要である。これは極めて慎重に選ばれた少数の高官であつて、政治上の行事に当つて、天皇を補佐する共同の責任を負つた人達である。時の総理大臣が選定するのであるが、その後は総理大臣とは独立の地位にあり、天皇によつてのみ罷免〈ヒメン〉される。宮中勢力の最も重要なものは、内大臣・宮内大臣・侍従長・式部長官の四者である。その中、最も重要なのが内大臣である。内大臣の地位が重要なのは一つには多年に亘つて極めて優れた人がこの地位に坐つたからでもあるが、本質的には天皇が過去の武家政治時代に於ける如き無力な存在とならない為には、側近に忠実で独立した機能を持つた大人物を置くことが必要だからである。天皇は殆ど孤独ともいへるほどあらゆるものから懸絶した神聖尊厳の裡に在まし、最高の高位高官にのみ、偶に〈タマニ〉しかも儀礼を尽した謁を賜ふのである。大臣といヘども、その全部に面識あるとは限らない。かくの如く外界とは接触が少いが、しかも世界の情勢は知らねばならぬ。その為には広き接触面を持ち、信頼するに足る判断力をもつた側近の臣が必要といふことになるのである。
この側近の中には、英国その他に大使だつた人もあり、所謂「親英派」と見られ、外交上極めてはつきりとした考へを有する人もあつた。愛国陣営がよく「君則の奸」〈クンソクノカン〉といひ、屡々これら側近を暗殺の対象とするのは、なかなか意味深長な事実である。満洲事変以後、日本が今日のやうな空気となつてからは、愛国陣営や青年将校は公然と宮中を敵視して来たのであるが、この興味ある事実の中に、我々は天皇を取囲く〈トリマク〉雰囲気が如何なるものであるかの示唆を与へられるのである。
宮中の高官の地位は内閣の更迭〈コウテツ〉とは無関係である。彼等を通じて又は彼等侍立〈ジリツ〉の下に上奏が行はれる。政策決定の上に彼等の隠れた影響力を見逃してはならないのである。近年に於いて最も有名な内大臣は牧野伸顕である。彼が如何なる思想傾向の人であるかは、彼ほど現存する日本人で反動主義者や青年将校に生命を狙はれた人はないといふ事実によつて、その一端を窺ひ知られよう。現在の内大臣は木戸〔幸一〕侯爵である。近衛〔文麿〕内閣時代の任命であり、近衛と同じ派の政治家であるといふ以外、その思想に関して多く知られてゐない。宮内大臣は松平恒雄、嘗て華府〔ワシントン〕・倫敦〈ロンドン〉に大使として名を成し、ファッショでないことは確かである。
宮中の空気は、従来保守的であり平和的であつた。内閣や統帥部が提唱する政策が、必ず日本帝国全体としての広い恒久的見地から充分検討を重ねられたものとなるのは、彼等宮中勢力の隠れた力に懸つてゐるのである。彼等の力は天皇と同様、間接的・消極的であつて、直接的・積極的ではない。過去十年間彼等は毎日暗殺の危機の中を歩いて来たのである。表面には目立たないが、彼等は軍部抑制の長い闘〈タタカイ〉を戦つて来たのである。が国内における反乱か、それとも外に向つての侵略かの岐路に立つ毎に彼等は後者を選んで来た。如何に神聖にして侵すことはできなくとも所謂傀儡〈カイライ〉に過ぎない元首の補佐役は、武力と実力を背景にした反対し終ふせる立場ではないのである。
これまた、非常に冷静で、かつ具体的で、説得力にある分析というべきであろう。
ヒュー・バイアスの『敵国日本』の紹介は、このあとも続けるが、とりあえず明日は、ほかの話題に振る。
今日のクイズ 2013・2・2
◎近代日本における「内大臣」について正しいのはどれでしょうか。
1 内府とも呼ばれた。
2 内務大臣の略称。
3 宮内大臣の略称。
【昨日のクイズの正解】 2 大阪府と京都府の境に実在する峠。■1582年の山崎の戦において、ここで武将の筒井順慶が「日和見」をしたと伝えられる。「金子」様、正解です。
今日のクイズ 2013・2・2
◎禁じ手を 使ってしまい 指導うけ
横浜市の野村碧海さんの川柳。本日の東京新聞「時事川柳」欄より。世界に誇る日本柔道における指導方法が「体罰」だったとは。この際、精神力、根性、気合ばかりを強調し、体罰やハラスメントを黙認してきた日本のスポーツ界は、一から出直すべきであろう。「物理的な指導」などの言葉によって、体罰を黙認してきた文部科学省にも、猛省が求められる。
尚、これに関しては、明治以前も内府と呼ばれていましたよね?