◎内郷村の村落調査の終了と柳田國男の談話
郷土会による内郷村の村落調査は、一九一八年八月二五日に無事終了した。これを受けて、同月二七日の『東京日日新聞』には、次のような記事が掲載された。この記事もまた、『相模湖町史 民俗編』(相模原市、二〇〇七)の四二七ページに影印の形で載っている。
十余名の学者に試みられし
内郷村の村落調査
◇……日本では最初の試み=柳田貴族院書記官長の談
柳田貴族院書記官長の一行は既記の如く本日十五日より本県津久井郡内郷村に出張して村落調査を始め十日間研究し去る二十五日帰京したり一行は柳田〔國男〕氏及び
小田内通敏、第三中学校教諭正木助次郎、下谷〈シタヤ〉東盛小学校長牧口常三郎、早稲田大学文科教授中桐確太郎、同工科教授佐藤功一、同講師今和次郎〈コン・ワジロウ〉、農科大学教授理学博士草野俊介、農商務省書記官石黒忠篤、同省技師中村留治、鉄道院参事田中信良
の諸氏にして
◇研究題目は 確定せざれども主として柳田氏は住民に就いて、佐藤、今の両氏は建築方面より、草野、正木両氏は地形上より、小田内氏は食物及び衣類に就て、石黒、中村両氏は産業方面の事項に就て、其他の諸氏も夫々〈ソレゾレ〉専門的方面に就て要するに同村に関する一切の事項を研究したるものにて是等〈コレラ〉の研究の結果は取纏めて
◇一報告書を して追つて世に公にせらるる筈なり尚柳田氏は語る『村落調査は外国には往々あるが日本では全く新しい試みであるから最初は気遣はれた〈キヅカワレタ〉が同村の押田〔未知太郎〕村長と長谷川〔一郎〕校長とが吾々の仕事を理解して大に歓迎された為に多大の便宜を得、村民から隔意〈カクイ〉なく調査の材料を提供して貰ふ事が出来た、これは同村に対して
◇深く感謝す る次第である。内郷村は三百七十戸程の小村で相模川と道志川とで三方を囲まれ一方は高い山に境〈サカイ〉されて明瞭に一区画をなし総てが一村で纏つて〈マトマッテ〉居るから研究には頗る都合がよいこれが此の村を選択した一理由であるそして同村は若柳、寸沢嵐〈スワラシ〉の両大字〈オオアザ〉から成立って居るが
◇成立の違ふ は大凡〈オオヨソ〉此の中で十余を算へる事が出来る、住民の血統は主なるものが凡そ〈オヨソ〉十位あるが古い処は永禄の小田原役帳〔小田原衆所領役帳〕に記録されてある位のものでズツト古くなると石器時代の遺物が頗る多い、其の中間の事は全く分からぬ、一行は何れも頗る熱心なもので正覚寺と云ふ寺に宿つて朝早くから各自目的の方面に出掛け夕方ヘトヘトになつて帰るから
◇研究の打合〈ウチアワセ〉 なども向ふでは出来なかつた、最初の試みの事であるから標準なども全然立てて居らぬ、唯〈タダ〉村全体を研究したと云ふ丈け〈ダケ〉の事である、元より十日間では不足であるから東京で出来る様な研究は成るべく避けた、来年の夏まで今一回別の処をやって見たいと思ふ』云々
柳田國男の談話を中心とした記事であり、その意味においても興味深いものがある。この談話で、「最初の試みの事であるから標準なども全然立てて居らぬ、唯村全体を研究したと云ふ丈けの事である」と言っているのは、柳田が、この村落調査の結果に満足していなかったことを物語っている。
この村落調査に参加したメンバーを、『相模湖町史 民俗編』によって確認しておこう。以下は、同書四二八~四二九ページからの引用。
調査終了後の新聞記事にある村落調査参加者をあげてみると、『東京日々新聞』は柳田國男、小田内通敏、正木助次郎、牧口常三郎(下谷東盛小学校長)、中桐確太郎、佐藤功一(早早稲田大学工科教授)、今和次郎(同講師)、草野俊助(農科大学教授)、石黒忠篤、中村留二(農商務省技官)、田中信良としている。また『横浜貿易新報』〔八月三一日〕は草野俊助、柳田國男、石黒忠篤、田中信良、中桐確太郎、正木助次郎、牧口常三郎、小田内通敏、佐藤功一、今和次郎、中村留二としている。両紙があげている参加者は一致しており、また、長谷川一郎氏の回想(「内郷村共同調査の思い出」)でもこれら一一名があげられ、一一人による調査であったといえる。
ただし、小田内通敏によれば、予定通りに参加したのは柳田、草野、正木、小田内、牧口、中桐、田中、佐藤、今の九名であり(「内郷村踏査記」『都会及農村』第四巻一一号)、石黒と中村は全日程の参加ではなかった。
参加を予定し、柳田とともに内郷村に打合わせに出向いたこともある小野武夫は、母の急病で帰省していた(『農村研究講話』)と述べており、共同調査には参加していない。事前の報道にあった新渡戸稲造、三宅駿一、小平権一、田村鎮〈ヤスシ〉も参加できず、他の郷土会会員では木村修三、那須晧、中山太郎、小此木忠七郎なども不参加だったようである。
上記引用のうち、「牧口常三郎(下谷東盛小学校長)」とあるのは、「牧口常三郎(東京市立大正尋常小学校校長)」とすべきであろう。さて、このあとさらに、この村落調査が「失敗」に終わったとされる理由について述べたいところだが、同じような話を続けるのもどうかと思うので、続きは数日後に。
今日の名言 2012・9・17
◎話し合いが必要なのは私たちなのに
青木和雄さんが執筆した児童書『ハッピーバースデー』の主人公、小学生の女の子あすかの言葉。あすかのいる六年二組でいじめがあり、緊急保護者会が開かれる。そのとき、あすかはこう言う。「…父母会で何を話し合うんだろ。話し合いが必要なのは私たちなのに…」。本日の東京新聞「私説 論説室から」(大西隆執筆)より。
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