ジジイのたわごと

ジジイが適当に思いついたことを書いてみます

ライトアップの白川卿

2011-01-26 06:28:08 | トピック

白川郷 雪に浮かぶ合掌造り ライトアップ始まる
毎日新聞 1月22日(土)21時43分配信
ライトアップが始まり、幻想的に浮かび上がった合掌集落=岐阜県白川村で2011年1月22日午後5時41分、大竹禎之撮影



2009年9月ゴルフ仲間との旅行会での白川卿


 ※ジジイのたわごと
 余計な事は書かない方が良さそうだ。

ゴッホ展(九州国立博物館)

2011-01-25 05:00:53 | トピック


左右に「梅が枝餅」や「土産物」を売ってる参道は、人の波


太宰府天満宮も大勢の参拝客で「お賽銭箱」へ到着するのに我慢の要あり

  1月23日(日)、九州国立博物館での「ゴッホ展」を午後から見に行った。日曜だから、人が多いのを覚悟して出かけたものの、受験シーズンと重なり、人の波は太宰府天満宮行きと博物館行きとに分かれたようである。
  博物館の入り口付近で、下の写真を見つけた。
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  なんと展示会場へ辿り着くまで、50分かかるらしい。仕方なく最後尾に並んで、何とか45分で到着。展示会場の中は、人だかりで、絵を見てる人の頭しか見えない。場内係員が「前の方へお進みください」と言ってるが、絵を見てる一団は簡単に動く気配がない。殆どの人は、入場料1500円払っての観賞だと思われるから、一枚の絵でも見逃さずといった所であろう。私は身体障害者手帳を呈示するだけで無料で入場できるから有難い。そもそも、私は絵について、詳しくは分からない。テレビで「ゴッホ展」をPRしてたのを見てやって来たのであって、ゴッホは有名な画家だという程度の知識しかない。そのせいもあってか、絵をじっくり見る事もなく会場を後にした。

  いつもの場所で「猿回し」をやってた。この日は、稼ぎ時とばかり、オジサンも気合が入ってた。孫の土産に、いつも行列をなす「梅が枝餅」を買うことにした。ここでも最後尾に並んで、買うまで約20分。どうも、この日は、待つのに我慢の日だったみたいだ。

節分準備の櫛田神社

2011-01-24 07:11:15 | トピック

節分 巫女さんたちの縁起物作り始まる 福岡・櫛田神社

  福寄せなどの節分縁起物をつくる巫女さんら=福岡市博多区の櫛田神社で2011年1月19日、金澤稔撮影

※ジジイのたわごと 
 巫女さんの笑顔が福を呼んできそう!!「笑う門に福来たる」


寛平、奥さんと抱き合う

2011-01-23 05:29:08 | トピック

テレビでは、司会役の明石屋さんまの後押しで寛平夫婦が抱き合うシーンが見れた。奥さんの目はウルウル涙目だったのが印象的だった。しかし、この後、
寛平、ゴール後朝まで美酒に酔いしれる
デイリースポーツ 1月22日(土)21時20分配信

 「アースマラソン」で21日夜に最終ゴールしたタレント・間寛平が、ゴール後に同マラソンスタッフらと午前5時まで痛飲していたことが22日、分かった。約2年かけて、4万1000キロを超える総移動距離をクリアした直後だけに、改めて鉄人ぶりを見せつけた。

 寛平はゴール後、大阪市内で打ち上げパーティーに参加。その後、親しいスタッフらと二次会を開催し、明け方まで美酒に酔いしれたという。22日昼ごろ更新のツイッターで「昨日は本当にありがとうございました、1月21日は忘れられない記念日になりました、アーメーマー」と感謝の言葉をつぶやいた。

※ジジイのたわごと
 寛平については、これからも話題となってインターネットやテレビ等で、報道されるかも知れないが、心配をかけた奥さんとの再会についても、映画、「僕と妻の1778の物語」にならって、「僕と妻の766日ぶりの再会と抱擁の物語」みたいなタイトルで本を出版したり、映画化したり、テレビドラマ化したりすれば、どうだろうか?生きてる人間の体験談だけに、ヒット間違いないと思う!!

寛平ゴール

2011-01-22 05:43:40 | トピック

「アースマラソン」ゴールの大阪城音楽堂に到着し、ファンの歓声に応える間寛平=大阪城野外音楽堂


サンプラザ中野と握手する寛平


大阪市長から花束を贈られた寛平

寛平、走った4万キロ!ついにゴール アースマラソン

 マラソンとヨットで地球を1周する「アースマラソン」に挑戦していたタレント、間寛平(61)が、21日夜、大阪市中央区の大阪城音楽堂でついにゴールした。寛平は「ありがとう!ただいま帰って来ました!俺は本当に幸せモンや!アーメマー!」と叫び、集まったファンらと喜びを分かち合った。出発から2年1カ月余り、4万1000キロ超に及んだ壮大な旅が、ついにフィナーレを迎えた。


 寛平は、2008年12月17日に同市の「なんばグランド花月」をスタート。吉本興業など3社で作るアースマラソン製作委員会によると、そのルートは日本を含め世界18カ国に及び、ほぼ半分が陸路、残る半分が海路だった。

 ゴールまでの道のりは平坦ではなかった。10年1月、トルコで前立腺がんが見つかったことを公表。同年4月にはマラソンを一時中断して放射線治療を受け、約2カ月後にトルクメニスタンからマラソンを再開した。寛平自身「がんは治った。完璧じゃないけど、数値はよくなった」というものの、「他の人に『やれ』といったら、その人が亡くなる可能性がある」と振り返るほど過酷な挑戦だった。

 寛平は沿道に大勢集まったファンの一人一人と握手やハイタッチをし、『寛平コール』に包まれながらゴールした。

※ジジイのたわごと
  21日夜のテレビでも、寛平のゴール風景を放送してた。そもそも、今回の企画は、何がキッカケでスタートしたのか知らないが、寛平自身よくぞ地球一周したもんだ。関口宏のサンデイモーニングだと、アッパレとなるだろう。
  お笑い芸人の根性を一段と世間に認めてもらったと言わざるを得ない。「命がけで取り組む」とは、政治家が好んで口にするが、「命がけで取り組む」を実践した寛平を見習ってもらいたいものだ。
なお、「間寛平=はざま かんぺい」で検索すると、今回の事についての詳細が分かる。