ジジイのたわごと

ジジイが適当に思いついたことを書いてみます

日本一遅いサクラ

2010-06-23 10:37:46 | 日記
                 
                日本一遅いサクラ見ごろ 北海道・旭岳
                  狭い日本でも、桜に関しては、広い日本を感じる。

ツバメとスズメと食用蛙

2010-06-20 11:31:09 | 日記


  日本映画「孤高のメス」を見た。題名の通り、一人の医者が、人の命を救う為に、孤軍奮闘する映画である。
映画の中で、映画の内容とどんな関係があるのか分からないが、ツバメの巣が出てきた。私が子供の頃、ツバメがやって来て家の軒下に巣を作り、親ツバメが子ツバメの為、せっせと餌を運んでた光景を思い出した。何年になるか分からないが、私の家の近くで、ツバメの姿やツバメの巣を見たことが無い。木造平屋、木造2階建ての家が無くなり、コンクリート製のマンション、事務所だらけになったので、ツバメの巣を作るスペースが無くなったのかも知れない。それに緑が無くなり、ツバメの餌となるべき虫類の減少もツバメを見れなくなった一因かも知れない。

ツバメだけでなく、毎朝、睡眠妨害となるほど囀っていたスズメの姿も見かけなくなった。ツバメとスズメについては、子供のころ、「ツバメは、畑の虫などを食べてくれるから、人間にとって益鳥だが、スズメは実った米を食べるから害鳥である」という話を聞かされたことがある。
益鳥だろうと、害鳥だろうと、今まで見れた鳥が見れなくなったのは、やはり淋しい思いがする。

私が良く行く和白ゴルフ場には、小さな池が数か所あり、今の様な梅雨時になると、食用蛙(正式名称は知らない)が牛の鳴き声とよく似た声で鳴き出す。私が20才代の頃、近所の焼き鳥店で、食用蛙を食べさせてくれる店があった。
肉は、白身の魚と鶏との中間の硬さで、塩焼にして食べさせてくれた。そしてスズメも食べさせてくれたのである。スズメは頭から丸かじりで食べるのである。
ゴルフ場の食用蛙は捕獲される心配がないのか、安心して鳴いてるようである。

福岡空襲

2010-06-19 09:23:55 | 日記
  6月19日は、1945年(昭和20年)、福岡市が、米軍により空襲を受けた日である。私が10才の時である。
夜、何時ごろだったかは覚えてないが、突然大きな爆発音と同時に、部屋の中が真っ赤な光で一杯となり、2階建て木造の我が家は地震のように揺れたのだった。その当時、疎開のため空き地となってた我が家の隣に焼夷弾が落ちたのである。その距離、我が家とは10メートルぐらいだった。

同じ部屋の中で、私の父、弟、妹の3人で就寝してたが、もちろん3人共一瞬にして目を覚まし、父の指示にしたがって、私は弟の手を握り、父は幼い妹を抱きかかえ、裸足で家の外へ飛び出したのである。
母は、末っ子の妹を、まだお腹に抱え、里帰りしてて不在であった。

那珂川の西方(現在の中央区柳橋、春吉)は、すでに火の海となってて、家屋が燃え盛ってた。東方の博多駅、住吉神社方面は燃えてないようであった。

住吉神社へ向かって走り出しながら、空を見上げると花火のように焼夷弾が落ちてくるのが見えた。その内、細長いライトが、米軍の飛行機一機を捉えた。地上から米軍機目がけて高射砲を撃つが、米軍機の下の方で砲弾が炸裂する白煙が見えるだけで、米軍機までは砲弾が届かなかった。そして悠々とライトが届かない彼方へ飛んで行ってしまった。

その当時の新聞では、米軍機が日本へやってきても、日本の高射砲で、すぐさま撃墜すると書いてあったのに、現実は違うことについて、その当時は不思議だとの思いは無かった。

   当時、木造だった柳橋の数か所には、焼夷弾が落ちて、大きな穴が空いてた。穴は修復され、終戦後数年間は使われていたが、大雨で那珂川の増水により、橋の全ては濁流で押し流されてしまい、現在のような橋に生まれ変わったのである。

  
※焼夷弾=地上の物を焼く為に、飛行機から落とされる爆弾。
     爆風により地上の物を破壊する爆弾とは区別される。