ジジイのたわごと

ジジイが適当に思いついたことを書いてみます

丸い月

2014-10-08 10:06:08 | 日記

昨夜の丸い月


 「丸い月が出てるよ」カミサンの声だった。すぐカメラしたのが上記の通り。
私のカメラでは、月の大きさは最大である。

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監督退任セレモニーでファンの声援に応える星野監督

2014-10-08 05:32:06 | スポーツ

星野監督「イーグルスの監督になってよかった」 退任セレモニーでファンに別れ

デイリースポーツ 10月7日(火)21時50分配信


監督退任セレモニーでファンの声援に応える星野監督


 楽天は7日、コボスタ宮城でのオリックス戦の試合後、星野仙一監督の退任セレモニーを行った。

「夢、ありがとう」と題したセレモニーは、大学時代からの盟友・田淵幸一氏、山本浩二氏、親交のあるシンガーソングライター・小田和正、お笑いタレントの明石家さんまからのビデオメッセージで幕開け。楽天の監督に就任してからの4年間をビデオで振り返った後、松井稼ら選手から花束を受け取り、退任のあいさつを行った。

 あいさつの言葉は次の通り。

 「すばらしいセレモニー。昨年を思い出します。重苦しい、苦しい、悲しいシーズンでした。でも最後まで見届けてくれまして、感謝します。思い起こせば4年前、大震災から私が就任しました。どうなるのやらと。本当に…何というか悲しいスタートでした。

 でも選手たちとともに、東北の人たちを何とか喜ばせよう、少しでもなごまそう。そういう思いでスタートした1年でした。勝負というのは本当に残酷です。昨年の何度も何度も宙を舞ったあのシーンを思い出します。あのまま本当に時計が止まってほしいと思ったぐらい、うれしい瞬間でした。

 まさに今年と昨年は天国と地獄です。歓喜の後には悪魔が常に寄り添っている。人生ってそんなもんかなあと、そんな思いでこの1年間を過ごしました。最大の責任は私が長期にわたり皆さんの前から消えたことです。痛切に責任を感じております。

 このままでは皆さんを喜ばせられない。そいう思いで、今日限り、ユニホームを脱がせていただきます。本当に4年間、短いようで私にとっては非常に長く感じました。特に1年目は皆さんとともに苦しみ、励まし合い、何とか生き抜こう、そういう思いで東北の皆さんとともに戦ってまいりました。

 皆さんも忘れちゃいけません。あの悲しさ、悔しさ。我々もいつまでも勝負の世界というのは悲しさや喜びや、そういうものが入り交じってきます。

 ただ今年こういう結果になりまして、選手たちがまた皆さんとともに夢を追いかける。目標に向かって前に進む。こういうことができました。中途半端に4位、5位じゃおもしろくない。思い切って最下位からまた皆さんを喜ばせようと。そんな選手になってもらいたい。

 ようやくスタンドの皆さんから激しいヤジが飛び出しました。私はこれが一番うれしい。やはり皆さんが選手を育てる。チームを強くする。その責任は皆さんにもありますよ。大いに悪いことは悪い、いいプレーをしたらほめてやる。そういう思いで選手を見つめてやってください。

 最後に選手諸君、コーチの皆さん、本当にこの4年間ありがとう。裏方さんにも、本当にありがとう。社員のみなさん、こんなすばらしい最後のセレモニーを催してくださいまして、本当にありがとうございました。

 イーグルスの監督になって本当によかった。最高に幸せな野球人生を送らせていただきました。また遠くから皆さんとともに、彼らの目標をしっかりと応援してやりましょう。

 本当に皆さん、ありがとう!

 さようなら!」

 あいさつを終えると、手を振りながら笑顔で場内を一周。ファンに別れを告げた。

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 星野監督、長い間ご苦労様でした。私の母校、明治大学から、プロ野球界に身を投じ、投手として、監督としての活躍は見事でした。

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ノーベル物理学賞に決まった3氏

2014-10-08 04:50:06 | トピック


ノーベル物理学賞に決まった3氏

時事通信 10月7日(火)19時56分配信



ノーベル物理学賞の受賞が決まり、記者会見場のスクリーンに映し出された(右から)中村修二米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授、天野浩名古屋大教授、赤崎勇名城大教授の写真
=時事通信 10月7日(火)19時56分配信より


※ジジイのたわごと
 「ノーベル物理学賞に決まった3氏」・・・昨晩のテレビニュースでも盛んに報道してた。日本人の快挙だ。受賞の内容は青色LEDの発明となっていて、人類にとって、多大な貢献をしたことになるらしい。

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我が社の社員会

2014-10-08 04:48:39 | 日記
 今月上旬、50~60年前頃、我が社に勤務してた社員の社員会に参加した。場所は、今宿の八仙閣で参加者総数15名。因みに我が社は、私の父が個人営業として、1927年創業し、その後私が社長となり、現在は、私の長男が社長を務めてる小さな女性向け雑貨販売会社だ。本日まで我が社が継続出来たのも、今回集まった社員の貢献度も大きかったと思う。
 
 メンバーの顔を見て4~5名は名前を思い出したが、その他の人は、顔は思い出すが、名前までは思い出せなかった。参加者の老いは隠せないが、すこぶる元気な様子。それでも、あまりの懐かしさに感動した。この頃が、我が社の絶頂期だったように思う。この頃は、私の父が社長、私は専務で、今回参加した社員が中心となって業績向上に励んでくれた時期だったように思う。彼等の口からは「あの頃は、何でも良く売れましたなあ」・・・当時の我が社の状況にも話が弾んだ。
 
 世話役が、名前・住所を確認しての社員会となったわけで、世話役には、大変なお世話をかけたようである。最後に参加者全員のこれからの健康を誓って散会した。

我が社の社員会


※本日最後のブログです