静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

休憩

2009-12-17 21:59:32 | Weblog
昨日の続きを書きたかったのですが、年末は皆様そうであるように忙しく、まとまったことを書くには時間が足りないので、続きはまたの機会とさせていただきます。

物理学がどうのこうのという話も、詰まるところ、因果の道理を明らかにせんがためのことです。
経典の中には、因縁の尊さ、あるいは恐ろしさを教えた滋味深いお話がたくさんあり、昔は寺などでも教えられていたはずです。それが今日、そのような話は「非科学的」との理由で、片隅に追いやられてしまった感があります。恐らくは、教説よりも理性を主とし、科学という刀で聖典を切り刻んできた結果なのでしょう。シンプルで分かりやすい、因縁を説く訓話など、子供だましと馬鹿にして耳を貸さない。大衆の救いなどそっちのけで、相手の知らないような、難解な聖教の御文をひっぱってきては「どうだ」と言わんばかりの知識のお披露目。学者らがそういうことを好んでやってきた結果が、今日の真宗の惨状です。まさに因果の必然。真宗がどんどん大衆から遊離し、目も当てられない衰退を招いてしまいました。

決して科学的態度というものを軽視するわけではありませんが、科学も突き詰めれば、これまで見てきたように、私たちの常識的世界観を揺るがすものです。中途半端な科学的思考で、仏説をゆがめてはならないと思います。

因果の道理を説かない。善を勧めない。そんなことを言ってきたその結果は、言った本人に返ってきます。誰の目にも明らかな形ですでに現れているではありませんか。それは誰のせいでもありません。