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釈迦一代記(3) 有無同然

2019-01-08 11:45:28 | Weblog
釈迦一代記(3) 有無同然

シッタルタ太子は、お金、財産、地位、名誉、妻子、家など、私たちが「あったらなあ……」と思うもの全てに恵まれていました。しかし、いつか肉体が衰え、病で寝たきりとなると、いずれも虚しいものになっていきます。ましてや死が来たら何の心の明かりともならず、絶望しかありません。
太子は「四門出遊」といわれる出来事を通して、人生には老・病・死という避けられない苦しみがあり、それによってどんな幸せも崩されてしまうことに悩んでいたのです。

どこかに、年をとっても、病で動けなくなっても、そして死がきても崩れない幸せはないだろうか。太子は、お城を出て、まことの幸福を求めたいという思いが日に日に強くなっていきました。

王様はそんな太子を心配し、少しでも太子を喜ばせようと、四季の御殿を建てたといわれます。四季の御殿とは、春、夏、秋、冬の4つの御殿で、そこにはあらゆる美味しいもの、珍しいものが集められ、500の美女がいつももてなしてくれる、まるでこの世の楽園でした。

ところが、それらを与えられても、太子の心は少しも晴れませんでした。

そしてある日、こんなことがありました。
太子が真夜中、ふと寝室から外へ出てみると、昼間ははきれいに着飾り、立ち居振る舞いも上品な女性たちが、大広間で皆、だらしない姿で寝ていたのです。鼾をかいたり、寝言を言う人もいたのかもしれません。それを見て太子は、普段とのあまりのギャップに愕然としたといわれます。
そこで太子はこれを機に、城を飛び出す決意をしました。そのまま、白い馬に乗ってどこか遠くへ旅立ったのです、まことの幸せを見つけるまでは、二度とこの城には戻らないという固い決心をされてのことです。太子29歳の時のことでした。

常識的に考えれば、このままお城に残ることが、いちばんの楽で幸福な道なのですが、シッタルタ太子が選んだのは最も険しい、茨の道でした。その覚悟がいかなるものであったか、私たちに推し量れるものではありません。
(つづく)
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