■ある人の質問からです。
なぜ生きるか?を知ることが、いちばん大事と言われますが、生きるのは人間の本能だから、いちいち目的とか、意味とか、難しく考えず「生きたいから生きる」。それでいいんじゃないですか?
こういう疑問を時々聞きます。
以前見たTVドラマでも、主人公がそういうことを言っていました。ある女性が仕事で致命的なミスをして、会社からも白い目で見られ、「もう私なんか、生きている意味がない」と言って自殺しようとします。
そこへ主人公がやって来て、
「生きることに意味がないとだめなんですか?生きたいから生きる。それで十分じゃないですか。人から何と思われようと、あなたはあなたの人生を生きればいいんですよ!」
そのようなセリフを言って、女性が自殺を思いとどまる、そういうシーンでした。
自殺を止めたんですから、それはそれで結構なのですが、そのセリフに、本当に説得される内容があったのか、それは少し考えものです。
「生きたいから生きる。それで十分じゃないか」。ドラマの主人公はそう言っていましたが、本当にそれで十分でしょうか?
「生きたい」とは、言葉を換えれば「死にたくない」ということです。
★生きたい=死にたくない
誰だって死にたくありません。しかし、どんなに「死にたくない」と頑張ってみても、人は死ななければなりません。
★死にたくない⇒ これが私たちの思いです。
★死なねばならない⇒ そしてこれが現実です。
これが何を意味するか考えてみましょう。 例えば大学に進学したい人がいるとします。でも親の反対で進学できない。そうなると、大学へ行きたいと思うほど、行けない現実が苦しくなります。あるいは、どうしても結婚したい人がいるとします。でも、その人は他に好きな人がいて、結婚できる見込みはない。こうなると、結婚したいと思うほど、できない現実が苦しみになります。
同じことで、人は絶対死にたくありません。しかし絶対死なねばなりません。人間とはこういう矛盾した存在であって、ここに万人の抱える「人間存在そのものの苦しみ」があると仏教では教えられます。
大学や結婚なら、努力次第で現実が変わる望みはありますが、死ぬことばかりは100パーセント望みはありません。となると、「生きたいから生きる。それでいいじゃないか」というわけにもいかないのです。
どんなに生きたくても死ぬに決まっているのですから、「生きたいから生きる」では、「絶対負ける戦い」を挑むようなもので、それは絶望への道です。それでは苦しむために生きるようなものですから、生きるには、死を超える、何か希望なり明かりが必要です。
なぜ生きるか?を知ることが、いちばん大事と言われますが、生きるのは人間の本能だから、いちいち目的とか、意味とか、難しく考えず「生きたいから生きる」。それでいいんじゃないですか?
こういう疑問を時々聞きます。
以前見たTVドラマでも、主人公がそういうことを言っていました。ある女性が仕事で致命的なミスをして、会社からも白い目で見られ、「もう私なんか、生きている意味がない」と言って自殺しようとします。
そこへ主人公がやって来て、
「生きることに意味がないとだめなんですか?生きたいから生きる。それで十分じゃないですか。人から何と思われようと、あなたはあなたの人生を生きればいいんですよ!」
そのようなセリフを言って、女性が自殺を思いとどまる、そういうシーンでした。
自殺を止めたんですから、それはそれで結構なのですが、そのセリフに、本当に説得される内容があったのか、それは少し考えものです。
「生きたいから生きる。それで十分じゃないか」。ドラマの主人公はそう言っていましたが、本当にそれで十分でしょうか?
「生きたい」とは、言葉を換えれば「死にたくない」ということです。
★生きたい=死にたくない
誰だって死にたくありません。しかし、どんなに「死にたくない」と頑張ってみても、人は死ななければなりません。
★死にたくない⇒ これが私たちの思いです。
★死なねばならない⇒ そしてこれが現実です。
これが何を意味するか考えてみましょう。 例えば大学に進学したい人がいるとします。でも親の反対で進学できない。そうなると、大学へ行きたいと思うほど、行けない現実が苦しくなります。あるいは、どうしても結婚したい人がいるとします。でも、その人は他に好きな人がいて、結婚できる見込みはない。こうなると、結婚したいと思うほど、できない現実が苦しみになります。
同じことで、人は絶対死にたくありません。しかし絶対死なねばなりません。人間とはこういう矛盾した存在であって、ここに万人の抱える「人間存在そのものの苦しみ」があると仏教では教えられます。
大学や結婚なら、努力次第で現実が変わる望みはありますが、死ぬことばかりは100パーセント望みはありません。となると、「生きたいから生きる。それでいいじゃないか」というわけにもいかないのです。
どんなに生きたくても死ぬに決まっているのですから、「生きたいから生きる」では、「絶対負ける戦い」を挑むようなもので、それは絶望への道です。それでは苦しむために生きるようなものですから、生きるには、死を超える、何か希望なり明かりが必要です。