静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

釈迦一代記(4)人生は苦なり

2019-01-30 13:29:29 | Weblog
シッタルタ太子は、のちにさとりをひらかれて、こう仰っています。
「人生は苦なり」。そして「有無同然」と。

どういうことかと言いますと、人生は苦しみである。それは、有る人も無い人も同じである。ということです。
ここで「有る」といわれているのは、私たちが求めているお金や財産、名誉や地位、結婚、マイホームなどに恵まれている人のことです。
反対に「無い」といわれるのは、これらがない人です。

私たちは「人生は苦なり」といわれても、それは無い人のことで、ある人のことではないと思いがちです。
ところが釈迦は、有る者も無い者も皆同じ、「人生は苦なり」なのだよと教えられているのです。

どういうことかと言いますと、
例えばお金でいうと、お金がない苦しみというとは分かりやすいです。
お金がないと、欲しいものがあっても買えませんから我慢しなければなりません。だから、いつも不満です。
また明日からの生活どうしようか、老後の生活どうなるんだろうかと、つねに不安です。

ではお金が有れば、こうした「不満」や「不安」がなくなるかというとそうではありません。

たとえば、お金のない人が車をもらったら、軽四の車でも大喜びだと思います。
でも、億万長者は同じ軽四の車をもらっても喜ばないと思います。そもそも車だと思ってないかもしれません。
ポルシェやベンツのような高級車をもらっても、すでに持っていますからそんなに喜ばないと思います。
そんな人を満足させるのは大変です。欲しいものが私たちとケタが違いますから、よほどのものでないと満足しません。

つまり人というのは、お金や物を手に入れるほど、欲望も大きくなるのです。象は象のフンをノミはノミのフンをするといわれるように、億万長者は億万長者の欲を持ちます。だから1億円の豪邸を建ててもまだ足りず、別荘を買ったり、クルーザーを買ったりするわけです。しかし、それでもこの欲は収まらないので、心はいつも渇いています。満ち足りるということがないのです。


また、お金がないと先々の生活が心配ですが、お金持ちには生活の不安はありません。しかし、今度はそのお金を盗られはしまいか、騙されはしまいか、襲われはしまいかという不安が出てきます。お金持ちの高級マンションほどセキュリティーが厳重なのも、襲われることが心配だからでしょう。
その点、貧乏長屋にセキュリティーは入りません。襲っても、取れるものがないですから、誰も襲ってこないのです。

振り込め詐欺というのも、許しがたい話ですが、あれは持っているから騙されるのです。お金がなければ騙されようがありません。
例え「おばあちゃん、あ、オレオレ。頼むからさ、明日までに500万振り込んでくれない」という電話がかかってきても、「そうかい、でもそんなお金ないよ」と言うしかありませんから、「ああ、そう」で終わります。
でもお金があると、まんまと引っかかるかもしれません。だから、有る人は他人の言うことをいちいち疑ってかからなければいけません。

このようにお金が無ければもちろん、不安で不満ですが、有れば有ったで、また別の不安、不満が起きてくるのです。

名誉とか地位もそうです。これがないと、人から軽んじられたり無視されますから、寂しい気持ちになります。
かといって名誉や地位を得ると、無視されることはありませんが、反対に、みんなが私の一挙手一投足に注目するようになります。そうなると何かおかしなことがあると、すぐ見つかって大騒ぎになり、記者会見で謝罪しなければならなくなります。だから失敗しないよう、不祥事がバレないよう、戦々恐々としています。昔から「楽は下にあり」といわれる通りです。

これを無い人の苦しみは鉄の鎖で縛られているようなもの。有る人の苦しみは、金の鎖で縛られているようなもの。といわれます。
金と鉄。縛っているものはまるで違いますが、縛られて苦しんでいる姿は変わりません。

では、話をシッタルタ太子に戻しますが、太子はいわゆる「有る」人でした。それもトップクラスの有る人です。だから金の鎖の縛られていました。人はそれが金であるのを見て、うらやましいと言いますが、当の本人はそれにしばられて苦しんでいたのです。

この人生の苦しみの根本を解決し、まことの幸せになりたいと、城を抜け出したシッタルタ太子は、そのあとどうなったのか。次回、お話したいと思います。

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