静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

「考える葦」として考えること

2018-05-24 16:24:06 | Weblog
【後生の一大事】ということについて。

後生(ごしょう)とは、死後のことです。

ここで大半の人は、これ以上読むことを嫌悪します。

一体、この無関心さはどうしたものでしょう?

理由の一つとしては、そんなのまだまだ遠い先の話じゃ

ないか、ということなのでしょう。

なるほど、平均寿命が80歳を超える今日においては、

それも一理ありますが、本当は遠い先の話ではないので

す。仏教に、「出息入息 不待命終」という言葉があり

今、吐いた息、当然、次の瞬間には吸っていると思い

がちですが、死は、その吸う息の前に来るということ

です。

そんな馬鹿なあ……と思うかもしれませんが、それが

「本当だった」と知らされた時には、命が終わってい

ます。死は、老後の問題と違い、何十年か先の未来に

待っているものではなく、今のひと呼吸ひと呼吸と触れ

合った、緊密な問題なのですよ、ということです。

明日の試験よりも、ある意味もっと近い未来なのです。

高校時代に級友が亡くなりました。彼女は、私と同様、

大学受験の願書を出しておりましたが、彼女にそんな

未来は、実はなかったのです。

死は100パーセント訪れ、しかも、ある日、突然、

という性質をもっています。


死とか後生と聞いて、読む気がしなくなるもう一つの

理由としては、嫌なことは考えたくないという、我々の

生理的な拒否感によるものでしょう。

それは生物としての人間ならば無理からぬことと思い

ますが、「考える葦」としての人間ならば、賢明とは

いえません。

「人間は考える葦」と言ったのはパスカルです。

そして彼は、人間すべてにこう問いかけるのです。

「人があと一週間の命となった時、やるべきこと。それ

こそが一生かけてもやるべきことである」(パンセ)

あと一週間の命となったら、皆さん何をしますか?

おそらくあなたにとって一番大事なことをするでしょう。

では、それは何か?

これはあなたの人生で最も重要な問いではありません

か?

だから、そういうことを考えてこそ「考える葦」で

あります。どうしたら彼女をゲットできるか、どうした

らカッコよく思われるか、そういったことにいくら頭を

巡らしても、それでは「考える葦」とはいわれないと、

パスカルは言います。

死は、あなたにとって一番大事なことは何か?という

切羽詰った問いを突きつけます。

あと一週間の命となった時、株や投機などマネーゲーム

に狂奔するだろうか?マイホームを建築するだろうか?

本を読むだろうか?旅行に行くだろうか?お料理教室に

通うだろうか?英会話を習いにいくだろうか?

それどころではないだろう。

そんなことやって何になる、と思うであろう。

では、何をやるのか?


分からない。分からないけれど、日頃、大事と考えていた

ものが、いっぺんに吹き飛んでしまうことを痛感するはず

です。

そう。日頃、我々のやっていることなど、実はどうでも

いい、後回しにしてもほとんど問題ないことなのに、他人

と争い、先を競ってまでやっているのである。それがむな

しい馬鹿騒ぎであり、巧妙な自己騙しであることが暴露

されてしまうのです。

死は、人生で最大の問題が、今自分に欠落していることを

気づかせます。

それは、今まで味わったことのない当惑、困惑です。

この当惑、困惑の抜けた、世間的には成功したエライさん

方の死生観には、まったく興味ありません。

それは死の実体と、かなりずれた所で思索された産物です。

「死が来ようといつもと変わらない。生きていることに

感謝、感謝」などと言っている人は、かわいそうだが、

臨終に泣く。

その時がくるまで悟らないだろうが、生きている今、大変

だと気づいてほしい。感じてほしい。もし感ずる人がある

なら幸いである。