静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

「死ぬことなんか怖くない」は本心か?

2019-12-02 11:48:15 | Weblog
「私は死ぬことなんか何とも思っていないよ。死んだら死んだ時だ」と言われる方があります。
 しかし、よく考えてみて下さい。例えば今、十万円入った財布を取られたとします。皆さん血相変えないでしょうか。「大変だ、大変だ」と大騒ぎしたり、ショックで何も手につかないかもしれません。
 しかし、いくら大事な財布とはいえ、それは私というものの一部です。その一部を失ってさえ大変なショックです。ましていわんや、死というのは「命を取られる」のですから、財布を取られるどころの騒ぎではありません。財産も仕事も地位も、家族もマイホームも、死ぬときは全部失います。

 財布一つなくしてさえ、大騒ぎをする人が、もっと大事な命を失う時、平然としておれるものでしょうか。
 死なんて怖くないとか、何ともないと言っている人は、本当にそうなのではなく、これまで死についてあまり真面目に考えてこなかったということだと思います。
 今は「死は恐くない」と思っていても、想像した死と、現実にやって来る死との間には、大きな隔たりがあることをよく知らないといけません。

 どういうことかと言いますと、例えば、トラという動物を知っていますかと聞けば、皆さん、知っていると答えると思います。しかし、皆さんの知っているトラは、TVや動物園で見たトラのことで、それは襲ってくることはないので怖くなかったはずです。
 しかし、皆さんがジャングルを歩いていた時、突然トラが現れたとします。その時は、恐怖で腰を抜かすと思います。TVや動物園で見たのもトラ、ジャングルで出くわしたのもトラなのですが、受ける印象はまるで違います。

 死も同じです。他人が死ぬのなら、毎日起きている出来事の一つで、自分は傍観者でいられます。それはTVや動物園のトラを見ているようなもので怖くありません。
 しかし、実際に自分の身に起きる死は全く違います。それはジャングルで襲ってくるトラです。今度は傍観者ではなく、当時者になります。死はすさまじい破壊力で、私の何もかも奪っていきます。そしてそれを体験した時には、全てが終わっています。

 今世間を騒がせている問題、例えば、
★戦争やテロ事件
★核実験やミサイル
★原子力発電の再稼動問題
★新型ウイルス
★南海トラフなどの大震災
★温暖化などの環境破壊
 こうした問題を世界中の人が恐れ、「何とかしなければ」と大騒ぎしております。
 ではなぜ、大騒ぎするのでしょうか。皆さん、もうお気づきだと思います。それはこれらの問題の根底に、「死」があるからです。

 つまり、戦争や、爆弾テロの何が問題かというと、人が死ぬということです。もし誰も死なないなら、戦争が始まっても、テロリストがやって来ても怖くないと思います。ということは、本当に怖いのは、」戦争やテロというよりも、その先にある「死」なのです。

 また毎度お騒がせのお隣の国が、やたらと核実験やミサイルを発射しております。世界中がそれを止めさせようとしていますが、それはなぜかといえば、あの国が核兵器が使うようになったら、たくさんの人が死ぬことになるからです。

 原発もそうです。再び稼働させると反対運動が起きますが、それは何かあった時、福島原発のように放射能が漏れるからです。なぜ放射能を恐れるかと言えば、それを浴びると私たちは死ぬからです。つまり、放射能が怖いというより、「死」が怖いのです。

 新型ウイルスも、大震災も、あるいは大気汚染や地球温暖化なども、そのこと自体が恐ろしいというより、それによって死ぬことが恐ろしいのです。根本に恐れているのは、この「死」なのです。

「死」が大した問題でないのなら、これらの問題が起きても、大騒ぎすることはないはずです。しかし実際には大騒ぎが始まるのは、全ての人が「死」を恐れているからです

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