以下、「読売新聞」(5月23日)の記事からです。
「他力本願」を巡っては、東日本大震災後、真宗門徒の間で災害ボランティアは自力で善根を積む行為で、この教えに反するとの意見が出た。京都・東本願寺の学寮を源流とする大谷大学の木越康学長は、学生らと被災地へ向かった時、「ボランティアが自力作善であれば、他力の教えに反しないか」との学生の悩みに接したという。
この点について、木越学長は『ボランティアは親鸞の教えに反するのか』(法蔵館)を著し(後略)」――。
これまで「親鸞聖人の教えに善のすすめはない」と言ってきた手前、いざ、震災のような事態に直面すると、ボランティアという善をすすめていいのか悪いのか、自分たちの言葉に縛られて身動き取れなくなってしまうのでしょう。まったくお気の毒なことです。
苦しんでいる人を助けるのは仏法者として当然のことでしょう。
そんなことで「自力か他力か」いちいち悩まず、さっさと助けに行けばいいのに……そう思うのは、私だけではないと思います。
困っている人を助けに行くことと、「善のすすめはない」と教えてきたこととに〃整合性〃を持たせるため、本まで書いていたとは知りませんでした。
大いに善をすすめ、善いことをなさったらいいと思います。
ただ、忘れてはならないのは、こういう時、親鸞聖人はどうなされたかです。
親鸞聖人の時代にも、やはり飢饉や災害はありました。
聖人42歳の御年、大飢饉があり、バタバタと多くの人が亡くなりました。あまりに悲惨な状況を悲しまれた聖人は、何とかそれらの人々を救済できないかと、浄土三部経を千回読もうとなされたのです。しかしその途中、善導大師の「大悲伝普化 真成報仏恩」の聖語に思い至り、「私は誤っていた!」と仰って、決然と常陸へ布教に旅立たれました。
これは『恵信尼文書』に書かれてあることです。
飢饉などの非常時に直面した時、どう行動すべきか、聖人でも一時迷われたのです。
ただしそれは、ボランティアのような、一部の地域で、当面の生活上の危機を救うのが先か、弥陀の本願を布教するという、全人類の後生の危機を救うのが先か、という判断に迷われたのであって、自力になるか他力になるかと、そんなことで迷われたわけではありません。
布教最優先とはいえ、災害があまりに深刻だった場合、当面の危機を救うのが優先される場面もあるでしょう。それは、その時その時で判断するしかありません。
ただ、「この世は老少不定のならいなり」(御文章)。
東日本や熊本で震災に遭った方々ばかりが、危機的状況にあるのではないというのが、仏法の教えです。
厚生労働省の人口動態統計(平成27年)によると、日本での年間死亡者数は、およそ130万2千人。単純に計算すると1日に3500人以上の人が、日本のどこかで、何らかの原因で命を落としていることになります。
1日3500人という数字は、1週間にすれば2万4千500人。あの〃未曾有〃といわれた東日本大震災の死者が、行方不明者も含め2万3千571人といわれていますから、その1週間後にはそれ以上の人が、日本のどこかで死んでいるという事実が浮かび上がってきます。
災害で死んでも、布団で死んでも、人が死ぬこと自体に変わりありません。
だとすれば、1週間ごとに「東日本」級の悲劇が起きている。それが「平穏な日常」と呼ばれるものの実態なのです。
「難度の海を度する大船」の厳存を知らぬまま、毎日、毎日、雨が降るように、人は後生へ旅立っています。大船の存在を、いち早く、多くの人に伝えるか、これ以上の急務はないことが分かると思います。
親鸞聖人が飢饉で瀕死の状態の人々を視野におさめられながらもなお、弥陀の本願宣布に徹し抜かれた浄土の大慈悲心を、私たちは分からぬなりにも分からせていただかねばなりません。
「他力本願」を巡っては、東日本大震災後、真宗門徒の間で災害ボランティアは自力で善根を積む行為で、この教えに反するとの意見が出た。京都・東本願寺の学寮を源流とする大谷大学の木越康学長は、学生らと被災地へ向かった時、「ボランティアが自力作善であれば、他力の教えに反しないか」との学生の悩みに接したという。
この点について、木越学長は『ボランティアは親鸞の教えに反するのか』(法蔵館)を著し(後略)」――。
これまで「親鸞聖人の教えに善のすすめはない」と言ってきた手前、いざ、震災のような事態に直面すると、ボランティアという善をすすめていいのか悪いのか、自分たちの言葉に縛られて身動き取れなくなってしまうのでしょう。まったくお気の毒なことです。
苦しんでいる人を助けるのは仏法者として当然のことでしょう。
そんなことで「自力か他力か」いちいち悩まず、さっさと助けに行けばいいのに……そう思うのは、私だけではないと思います。
困っている人を助けに行くことと、「善のすすめはない」と教えてきたこととに〃整合性〃を持たせるため、本まで書いていたとは知りませんでした。
大いに善をすすめ、善いことをなさったらいいと思います。
ただ、忘れてはならないのは、こういう時、親鸞聖人はどうなされたかです。
親鸞聖人の時代にも、やはり飢饉や災害はありました。
聖人42歳の御年、大飢饉があり、バタバタと多くの人が亡くなりました。あまりに悲惨な状況を悲しまれた聖人は、何とかそれらの人々を救済できないかと、浄土三部経を千回読もうとなされたのです。しかしその途中、善導大師の「大悲伝普化 真成報仏恩」の聖語に思い至り、「私は誤っていた!」と仰って、決然と常陸へ布教に旅立たれました。
これは『恵信尼文書』に書かれてあることです。
飢饉などの非常時に直面した時、どう行動すべきか、聖人でも一時迷われたのです。
ただしそれは、ボランティアのような、一部の地域で、当面の生活上の危機を救うのが先か、弥陀の本願を布教するという、全人類の後生の危機を救うのが先か、という判断に迷われたのであって、自力になるか他力になるかと、そんなことで迷われたわけではありません。
布教最優先とはいえ、災害があまりに深刻だった場合、当面の危機を救うのが優先される場面もあるでしょう。それは、その時その時で判断するしかありません。
ただ、「この世は老少不定のならいなり」(御文章)。
東日本や熊本で震災に遭った方々ばかりが、危機的状況にあるのではないというのが、仏法の教えです。
厚生労働省の人口動態統計(平成27年)によると、日本での年間死亡者数は、およそ130万2千人。単純に計算すると1日に3500人以上の人が、日本のどこかで、何らかの原因で命を落としていることになります。
1日3500人という数字は、1週間にすれば2万4千500人。あの〃未曾有〃といわれた東日本大震災の死者が、行方不明者も含め2万3千571人といわれていますから、その1週間後にはそれ以上の人が、日本のどこかで死んでいるという事実が浮かび上がってきます。
災害で死んでも、布団で死んでも、人が死ぬこと自体に変わりありません。
だとすれば、1週間ごとに「東日本」級の悲劇が起きている。それが「平穏な日常」と呼ばれるものの実態なのです。
「難度の海を度する大船」の厳存を知らぬまま、毎日、毎日、雨が降るように、人は後生へ旅立っています。大船の存在を、いち早く、多くの人に伝えるか、これ以上の急務はないことが分かると思います。
親鸞聖人が飢饉で瀕死の状態の人々を視野におさめられながらもなお、弥陀の本願宣布に徹し抜かれた浄土の大慈悲心を、私たちは分からぬなりにも分からせていただかねばなりません。