こんばんわ。
心静かに、因果の道理ということについて書き始めたいと思います。
宗教というと、何か不思議さや、奇跡をもったものだという感じを人に与える。
何ごとか分からぬが、有難さのあるものを宗教と思わせる仕組みが、儀式とか、形式となり、そういったものに心を向けることを宗教を信ずることだと考えている。
世界には一応、三大宗教として、仏教、キりスト教、イスラム教がある。個々の宗教の内容が異なるのはもちろんだが、宗教とは何かということにすら多くの考え方があって、思い思いの考えで「宗教とはこういうものだ」といわれるので、心の由りどころを求める人達はかえって迷わされ、あれやこれやと宗教遍歴をする羽目になる。
宗教には礼拝対象があり、教義があって、信者があるものだとし、これだけの形式がととのっていれば日本では宗教法人として認められる。
このため日本には、新旧多数のいわゆる宗教があり、それぞれ自らの教義を世にひろめようとしている。宗教を信ずることは自由であると、憲法で保障されているので、どんな宗教を信じようと国は干渉できない。だからそのうちのどれを選ぶか、あるいは選ばないのか、それは全く各自の意思にゆだねられてしまっている。
それなのに、いざ、宗教とは何か?というと実は何が何だかハッキリしない人ばかりなのである。少しものを考える人であっても、「宗教とは、人の心を安らかにし、生き甲斐を与えるものだ」と答えるぐらいであろう。
そのような、この世の悩みを解消し、心を安らかにして生き甲斐を感じさせるものが宗教なら、政治、経済、科学、芸術などの目的と違わないことになる。
人の心を安らかにし、生き甲斐を感じさせない政治なら、無意味であるし、人々の求めるものを流通させて満足させるのが経済の目的だし、天地自然の法則をつきとめて、合理化、効率化を社会にもたらすのが科学だし、人の心に美を示し、安らいを与えるのが芸術ともいえよう。
宗教を芸術なりなどというならば、もはや宗教の立場を失わせているわけだ。
宗教とは何か、これを明らかにせずして、宗教を選び取ることはできない。
真の宗教とは、単に人の心のなぐさめや、心の安らいをだけを、目的とするのではない。真の宗教を知り、それを信仰すれば、結果において、心が安らかになり、生き甲斐を感ずることにはなるが、はじめから、信じたら御利益があるとか、心が安らかになるというような上すべりのものは、真の宗教ではない。
宗教とは文字通り「宗」となる「教」えで、肝心要を示す教えであり、根本道理を説くものである。
肝心要に二つはない。
真の宗教は根本道理を説くものである故に、あれやこれやとあるべきでない。さらにいえば真の宗教は、政治、経済、科学、芸術などすべての営みを、人類の幸福へと善導するものである。
では宗教で明らかにされるべき根本道理とは何か。
それは分かりやすく言えば、運命のしくみである。
仏教でそれは因果の道理と教えられる。因果応報とは、よく耳にする言葉だと思うが、そのことである。
心静かに、因果の道理ということについて書き始めたいと思います。
宗教というと、何か不思議さや、奇跡をもったものだという感じを人に与える。
何ごとか分からぬが、有難さのあるものを宗教と思わせる仕組みが、儀式とか、形式となり、そういったものに心を向けることを宗教を信ずることだと考えている。
世界には一応、三大宗教として、仏教、キりスト教、イスラム教がある。個々の宗教の内容が異なるのはもちろんだが、宗教とは何かということにすら多くの考え方があって、思い思いの考えで「宗教とはこういうものだ」といわれるので、心の由りどころを求める人達はかえって迷わされ、あれやこれやと宗教遍歴をする羽目になる。
宗教には礼拝対象があり、教義があって、信者があるものだとし、これだけの形式がととのっていれば日本では宗教法人として認められる。
このため日本には、新旧多数のいわゆる宗教があり、それぞれ自らの教義を世にひろめようとしている。宗教を信ずることは自由であると、憲法で保障されているので、どんな宗教を信じようと国は干渉できない。だからそのうちのどれを選ぶか、あるいは選ばないのか、それは全く各自の意思にゆだねられてしまっている。
それなのに、いざ、宗教とは何か?というと実は何が何だかハッキリしない人ばかりなのである。少しものを考える人であっても、「宗教とは、人の心を安らかにし、生き甲斐を与えるものだ」と答えるぐらいであろう。
そのような、この世の悩みを解消し、心を安らかにして生き甲斐を感じさせるものが宗教なら、政治、経済、科学、芸術などの目的と違わないことになる。
人の心を安らかにし、生き甲斐を感じさせない政治なら、無意味であるし、人々の求めるものを流通させて満足させるのが経済の目的だし、天地自然の法則をつきとめて、合理化、効率化を社会にもたらすのが科学だし、人の心に美を示し、安らいを与えるのが芸術ともいえよう。
宗教を芸術なりなどというならば、もはや宗教の立場を失わせているわけだ。
宗教とは何か、これを明らかにせずして、宗教を選び取ることはできない。
真の宗教とは、単に人の心のなぐさめや、心の安らいをだけを、目的とするのではない。真の宗教を知り、それを信仰すれば、結果において、心が安らかになり、生き甲斐を感ずることにはなるが、はじめから、信じたら御利益があるとか、心が安らかになるというような上すべりのものは、真の宗教ではない。
宗教とは文字通り「宗」となる「教」えで、肝心要を示す教えであり、根本道理を説くものである。
肝心要に二つはない。
真の宗教は根本道理を説くものである故に、あれやこれやとあるべきでない。さらにいえば真の宗教は、政治、経済、科学、芸術などすべての営みを、人類の幸福へと善導するものである。
では宗教で明らかにされるべき根本道理とは何か。
それは分かりやすく言えば、運命のしくみである。
仏教でそれは因果の道理と教えられる。因果応報とは、よく耳にする言葉だと思うが、そのことである。