静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

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ありえない現象

2009-12-13 22:09:12 | Weblog
今まで見てきたように、私たちの生きている〃現実〃が、なぜ、今、ここに、このようなものとしてあるのか、それは大きな謎で、きちんと説明するのは大変難しいのです。ただ、説明できなくても、明日からの生活に困るわけでもなく、考えたところで一銭の得になるわけでもありませんから、皆さんスルーしておられるのでしょう。

因果の道理を聞いて、素直にそれを受け入れ、順境に奢らず、逆境に人を恨まず、日々、努力精進していけるなら、今まで書いてきたようなことは別段、分かる必要もないのだと思います。
ただ、因果の道理を信じられないという理由で、攻撃してくる人もあるので、それらに迷わされないためにも、一応、知っているに越したことはない内容とは思うのです。

その上で、因果の道理を非難攻撃する人に出会い、詰問され、返事に窮するようなことがあれば、では本当のこととは何なのか、その人によくよく聞いてみたらいいでしょう。
因果の道理が真理ではないと言うのなら、あなたは何が正しいと考えているのですか?その人自身の見解、立場を尋ねてみることです。とことん「なぜそれが正しいと言えるんですか?」「あなたは本当にそう信じているんですか?」と尋ねてみたらいいと思います。「語るに落ちる」というもので、中途半端なところに妥協点を見出していることが暴露されることでしょう。

「いや、この世に絶対的な真理なんてないんだよ」というようなことを言ってきたとしても、その主張自体が、すでに自己撞着を起こしているではありませんか。絶対的な真理がないのなら、「絶対的な真理などない」というのも真理でなくなってしまうからです。

いかに難解な言説で迷彩をかけてきても、人である限り、その奥に必ず何か信じているものがあるのです。相手の話を聞きながら、その人の信じているその核が何かをじっと見つめることだと思います。それが見えた時、相手がいかに高圧的な出方をしても、ああ、大したことないな、と気づくはずです。

さて、

三世因果の道理を信じていないとするならば、その人の核にあるものは、おそらく唯物論的なものか、霊魂説に近いものでしょう。両者とも仏教では外道といわれます。しかし、今まで書いてきたようなことを言っても、相手が仏説を認めようとしない場合もあるでしょう。それなら、これから書くようなことを言ってみてはどうでしょう。

唯物論にせよ、霊魂説にせよ、〃世界〃はこのようなものとして最初から私たちの前に実在しているのだという常識が前提にあります。しかし、その常識が、現代物理学の先端では崩れてしまったのです。

どういうことかといえば、物理学が、いわゆる肉眼で観察できる対象のみを扱っていた時代は、ニュートン力学ですべての現象が整合性をもって説明できたので、ニュートン力学的な世界観が私たちの「常識」となりました。ところが20世紀に入り、肉眼では観察不能なミクロの世界にまで対象が広がってくると、従来の物理法則からはありえない現象が出てきたのです。(つづく)

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