静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

法楽寄席 あげれば尊し

2010-11-03 19:01:11 | Weblog
世の中には随分ケチな方がございまして、とにかく出すとなったら舌出すのも嫌、袖から手を出すのも嫌。扇子を開いても、あおぐと傷むからというんで、首のほうを振ってたりします。でもそんなケチな方にこそ、布施の尊さを伝えたいものでございます。

熊「ああ旦那、今度、うちの町内で、仏法の先生をお招きすることになりまして」

旦那「ほう、仏法のお話。結構じゃないか。大いにおやり」

熊「そうじゃないんですよ。いろいろとかかるから、皆で懇志を出し合おうと」

旦那「私に出せってのかい?」

熊「ちょっと、そういう言い方はよしとくれませんか。仏さまのお話ですからね。出せじゃない。出させていただくものですよ。うーん、何と言うかなあ、大根の種をまけば大根、西瓜の種をまけば西瓜が出てくるでしょ」

旦那「そりゃそうだ」

熊「善い種まけば善い結果。幸せの種まけば、幸せになれるということですよ」

旦那「ほう結構だね。何だい、その幸せの種ってのは」

熊「そりゃ旦那、善い行為でさあ。お釈迦さまの説かれた六つの善の筆頭が布施、施しです。施せば施すほど善い結果、旦那の幸せになりますよ」

旦那「フン、施せば周りが幸せになるってのは分かるよ。でもそれがなんで私の幸せなんだ?話が変じゃないか。こっちはお金が減るんだよ」

熊「いやいや旦那、一時減るように見えるけど、後で倍になって返ってくるんですよ」

旦那「またまた、からかっちゃいけないよ。減ったものがどうして増える?」

熊「じゃあ旦那、お百姓さんが畑に種をまいてるのを見て、ああ勿体ない、畑なんかに種をやって……と思いますか?」

旦那「そりゃ思わないさ。畑にまいても作物が実れば、全部お百姓さんのものになるじゃないか」

熊「そう、そのとおり。施しの功徳は、全部施した人のものになるんですよ」

旦那「うまいこと言って、私に出させる魂胆だろう」

熊「だからそうじゃねえって。旦那のためを思って言ってんだい。幾ら貯め込んだって、死んでく時は手ぬぐい一本持って行けねえんですよ」

旦那「何だよ脅かす気かい。金を出さねば助からない。そういうことなんだな。そんな教えならゴメンだ」

熊「ちょっと待った。いつそんなこと言ったい、このわからず屋!よく聞きやがれ!因果の道理は宇宙の真理だ。善い種まく気のない奴に、幸せなんてくるもんか!旦那みたいなしみったれはね、貯めるだけ貯めて、だれからも愛されませんよ、不幸の見本みてえな人だ。先だっても奥さん病気だってのに、治療代惜しんで医者にもかからせねえ。奥さん泣いてたよ。あれでは行く末が心配だって」

旦那「行く末?ああ結構。地獄でもどこでも行ってやるわ。だけどこの金は渡せねえ」

熊「フン、そんな啖呵は閻魔に向かって切りやがれ!」

隠居「おいおい何ですか、大声張り上げて。表まで筒抜けじゃないか」

熊「あ、ご隠居さん、この旦那のケチぶりったらねえ」

隠居「まあまあ。売り言葉に買い言葉ということもある。落ち着きなさい……。ねえ旦那。布施をインドの言葉でダーナーと言ってな、旦那とはそのダーナーから来てるんだ。だからな、旦那とは快く施す人のことで、あんたもそうなりゃあ、奥さん泣いて喜ぶよ。情けは人のためならず。巡り巡って施した人がいちばん幸せになれるんだ」

旦那「うーん、ご隠居に言われるとそんな気もしてきたなあ。じゃあわずかだけどさせてもらおうか」

熊「なんだよ、それならそうと。あ、紙入れからいちばんよれたの出しやがって……」

隠居「これ、どんなお金だろうと、如来からのお預かりものだ。大切に受け取らせていただくんだよ」

熊「へい。でもあのケチな旦那がねえ、よく出来たねえ」

旦那「ん?欲で汚ねえだと?」