2017年8月27日 説教要旨
エペソ人への手紙4章5節~13節
「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。」
イエス・キリストを信じ救われた者に同じ聖霊がおられます。そして誰一人例外なく、神からの賜物が与えられています。賜物は①実際的な賜物②霊的な賜物があります。賜物は最初から顕著に現れる人もいますが、多くは訓練を通して明確に現わされてきます。神のために忠実に用いることが重要です(マタイ25章)。また、神は私たちの長所を用いられますが、短所、欠点をも通して栄光を現わされます。欠点を忌み嫌うことなく、それを感謝し、主に捧げて行きましょう。欠点をも与えられた主が働かれます。
そこで、こう言われています。「高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。」──この「上られた」ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです──こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
教会は五職の働きによって成長し、発展し、完成へと導かれています。この形が本来の教会の働きです。しかし、使徒の働きの時代以降、途絶えていましたが1906年のアズサリバイバルを始めとして後の雨の時代が始まり、1950年頃からは使徒団の働きが始まってきました。レストレーション(回復の教会)と言いますが、主の十
字架CCの教会もこの流れの中にあり、聖書が書いている本来の教会の働きへと向かっています。
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