説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2017年7月30日 説教箇所

2017-08-15 22:35:39 | 説教要旨
2017年7月30日 説教箇所 
エペソ人への手紙3章1~11節

こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロが言います。あなたがたのためにと私がいただいた、神の恵みによる私の務めについて、あなたがたはすでに聞いたことでしょう。先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現が何であるかを、明らかにするためです。これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた神の永遠のご計画によることです。

十字架

2017-08-12 10:44:03 | 聖書の言葉
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

ガラテヤ人への手紙 2:20

2017年7月30日 説教要旨

2017-08-08 08:09:57 | 説教要旨
2017年7月30日 説教要旨 
ヘブル人への手紙11章8~9、16、24~26節

白馬キャンプで語られたみことばについて共に分かち合っていきましょう。
(16)「しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。
事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」パトモスチームを通して黙示録は永遠の門ということが語られました。黙示録は患難時代の凄まじい状況が書かれていますが、中心はそれを超えた永遠のことを語っています。私たちは地上の生涯を終えると御霊の身体が与えられ、主と共に永遠に生きる者となります。私たちにとって死は終わりではなく、そこから発展・進展していくのです。旧約の信仰者たちは死んでからではなく、今、生きている時にすでに永遠の者としての意識をもち、地上では寄留者であり、永遠の者としての選択をしていきました。これからのリバイバルと終末の時代に生きる私たちにとって、この地上を永遠の者としての意識を持って生きるかどうかというのは、人生の歩みや選択において大きな違いになってくることを覚え、天国人として歩みを求めていきしょう。
(24~26)「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。
彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。」モーセは地上においてはエジプトの王子としての生活が保障されていましたが、彼は天の報いから目を離さなかったのです。クリスチャンには2つの報いがあります。①水一杯でも飲ませるなら~とあるように、神のために奉仕したこと、捧げたもの。②みこころを行ったかどうかということ(Ⅰコリント3:12)であり、特に②が重要なポイントです。
(8~9)「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。」アブラハムは寄留者としての歩みをあえて選んで生きました。自分に語られたみことばを信じ、永遠の報いを信じていたからです。神と神のことばは永遠に変わりません。私たちは神のことばを聞き、信じ、従う歩み、天国人としての歩みを恵みによって全うさせて頂きましょう。