説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2017年7月30日 説教要旨

2017-08-08 08:09:57 | 説教要旨
2017年7月30日 説教要旨 
ヘブル人への手紙11章8~9、16、24~26節

白馬キャンプで語られたみことばについて共に分かち合っていきましょう。
(16)「しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。
事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」パトモスチームを通して黙示録は永遠の門ということが語られました。黙示録は患難時代の凄まじい状況が書かれていますが、中心はそれを超えた永遠のことを語っています。私たちは地上の生涯を終えると御霊の身体が与えられ、主と共に永遠に生きる者となります。私たちにとって死は終わりではなく、そこから発展・進展していくのです。旧約の信仰者たちは死んでからではなく、今、生きている時にすでに永遠の者としての意識をもち、地上では寄留者であり、永遠の者としての選択をしていきました。これからのリバイバルと終末の時代に生きる私たちにとって、この地上を永遠の者としての意識を持って生きるかどうかというのは、人生の歩みや選択において大きな違いになってくることを覚え、天国人として歩みを求めていきしょう。
(24~26)「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。
彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。」モーセは地上においてはエジプトの王子としての生活が保障されていましたが、彼は天の報いから目を離さなかったのです。クリスチャンには2つの報いがあります。①水一杯でも飲ませるなら~とあるように、神のために奉仕したこと、捧げたもの。②みこころを行ったかどうかということ(Ⅰコリント3:12)であり、特に②が重要なポイントです。
(8~9)「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。」アブラハムは寄留者としての歩みをあえて選んで生きました。自分に語られたみことばを信じ、永遠の報いを信じていたからです。神と神のことばは永遠に変わりません。私たちは神のことばを聞き、信じ、従う歩み、天国人としての歩みを恵みによって全うさせて頂きましょう。