説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

証明

2016-03-26 11:39:14 | 聖書の言葉
それでも、ふたりは長らく滞在し、主によって大胆に語った。主は、彼らの手にしるしと不思議なわざを行わせ、御恵みのことばの証明をされた。

使徒の働き14:3

2016年2月21日 説教要旨

2016-03-25 21:17:03 | 説教要旨
2016年2月21日 説教要旨 
ヨハネの手紙第一、5章4~5節

なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。


クリスチャンはみな世に勝利すると書かれていますが、勝利を見る人とそうでない人がいます。また同じ人でも勝利する時とそうでない時があります。これは「私たちの信仰」がカギになっています。信仰をも用いる時勝利を見るのです。旧約時代は律法を守る時に祝福をされるという契約の中にありました。しかし、律法は私たちが律法を行えない、罪人であることがわかるためでした。いま、新約時代に生きる私たちはイエス・キリストの十字架の贖いを信じることによって、罪が赦され、永遠の命が与えられるようになりました。
つまり、神さまのあわれみと恵みによって導かれているのです。ですから行いによって神に近づこうとするとき、私たちはつまずいてしまいます。ペテロもユダもイエス様を裏切ってしまいましたが、ペテロは悔い改めて神の恵みにすがったのです。そのとき彼は神の器として用いられていき、神の栄光を現わす人生を歩んでいくことができました。しかし、ユダは自分で責任をとろうとし、自殺してしまいました。神の恵みに頼らなかったのです。私たちは自分の何かや、目に見える状況に立つのではなく、神のことばに立ち、信頼し、従う時、神の栄光を見る者となります。
また、小さな事で信仰を用い、解決を見る人は大きい事にも解決を見ていきます。小さいことも大きいことも神の原則は同じだからです。問題があるときこそ信仰を働かせ、祈りましょう。感謝し、神さまにより頼み従っていきましょう。


1月31日 説教要旨

2016-03-22 20:21:03 | 説教要旨
1月31日 説教要旨
使徒の働き23章12~35節

(12~15)ユダヤ人によるパウロを暗殺する陰謀が立てられます。彼は厳しい迫害の中にありました。パウロは「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(第2テモテへの手紙3:1)と言っています。私たちは主に従う時、十字架を負うということをはっきり捉えて歩んでいく必要があります。しかし、私たちはその時こそ、真に受けるべき祝福を受けるのだということを覚えておいてください。
(16~21)パウロの甥が暗殺計画を知り、パウロに知らせ、千人隊長に伝わり、パウロは軍隊に守られてローマに向かっていきます。神がパウロを不思議な形で守られたことがわかります。また、このときは青年が用いられました。神は私たちの全てを用いられます。私は学生だから、私は年寄りだから、私は主婦だからダメだということはありません。
(20~35)当時世界最強だったローマ軍470名に守られて護送されていくことができました。迫害や問題が神の計画を進めていくことになったのです。神は「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、すべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」とある通り、神は今も生きて働いておられます。すべてのこと、特にマイナスと思うことを感謝していきましょう。また、ローマに行く(11節)と語られた神のことばは成就していきました。どんなに不可能に見えても神のことばを離してはなりません。神のことばに立ち、信頼し、従っていきましょう。素晴らしい神の栄光を見ます。

いやし

2016-03-21 18:04:08 | 聖書の言葉
彼はそこで、八年の間も床に着いているアイネヤという人に出会った。彼は中風であった。
ペテロは彼にこう言った。「アイネヤ。イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」すると彼はただちに立ち上がった。

使徒の働き9:33~34