2016年1月10日 説教要旨
使徒の働き22章1~16節
パウロはエルサレムで縛られると示されていた通り、騒乱が起こり、殺されそうになりますが、ローマ軍が介入して保護されます。その時に集まった群衆に対して話し始めました。(1~2)パウロは今まさに自分を殺そうとした群衆にメッセージを語っていきます。そしてこのメッセージは証しでした。証しは力強い神の働きを現わす力をもっています。人々の心に直接ひびき、語りかけを与えます。私たちも神が与えた素晴らしい体験を他の人に証ししていきましょう。救いのことを中心に、いやしや祈りの答えや様々な証しを人々に語っていきましょう。(3~4)パウロはユダヤ教のエリートで、ガマリエルの門下で最も厳格に律法を守るユダヤ教徒でした。そしてクリスチャンを神に反する者と思い、迫害し、自分は熱心に神に仕えていると思っていました。人は神に仕えていると思っても、神に触れていない、神のことばの真意を理解して信仰を持って受け取らないとき、神に反することをしてしまいます。自分の力で神に従うことに立っているときのパウロは罪がわかりませんでした。
(5~11)国外のダマスコ(現シリヤの首都)までクリスチャンを迫害に行きましたが、途中でまばゆい光に照らされて倒れ、神の声を聞きます。そして自分が迫害していたのは神の子イエス・キリストであることを知ります。そしてこのとき意外なことばを聞きます。「あなたがするように決められていることはそこで告げられる」パウロにはこのときすでに決められていた神の計画があったのです。迫害者パウロでしたが、彼の人生にすでに神の素晴らしい恵みが用意されていたのでした。私たちも一人一人それぞれに神のご計画があります。それを選び行うことは最も大切なことであり、最善なのです。(12~16)アナニヤを通してパウロは救いを受け、バプテスマを受けました。人生が180度変わります。「なぜためらっていうのか」とあるように自分のような罪人が救いの恵みを受けれるのかとパウロは戸惑いました。しかし、神は恵みによって彼を赦し救ってくださったのです。パウロの人生は自分の力に立ち、自分の義により頼むのではなく、神の恵みの中を歩み、恵みによってどんなことも乗り越えていく歩みの中に入っていきました。