説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2015年12月27日 説教要旨

2016-01-08 18:29:01 | 説教要旨
2015年12月27日 説教要旨
使徒の働き21章1~14節

(1~6)「私たち」とはパウロに同行していたルカたちのこと。第3回伝道旅行が終わりに近づき、パウロはツロでも、エルサレムに困難が待っている事を示されました。
(7~10)ここは使徒の働きの時代の教会の様子がわかる、とても興味深い箇所です。これは教会の形の基本形です。当時は神の語りかけを聞き、また、預言者たちを通しての神の語りかけ(預言は吟味をして)に祈り聞き従って歩んでいました。また、教会を牧会するのは牧師や教師だけでなく、使徒・預言者・伝道者が巡回して教会を強め建てあげる働きをしていました。エペソ4章では、この五職の働きについて述べられています。教会は本来そういう形で牧会されるものであることを神は語っています。ところが現在の教会はそういうものが無くなってしまいました。しかし、賜物の面で言えば、使徒の人、預言者の人、伝道者の人などいろいろおられ、本来はそれぞれの働きに従って総合的に各教会が建て挙げられていく必要があります。牧師一人で全部を負うというのは聖書的ではありません。主の十字架の群れ(教会のグループ)は五職の働きを認め、それに向かいつつあります。(11)パウロの帯を取り、自分の両手両足を縛って「この帯の持ち主は~」と預言しました。この預言者アガボという人は興味深い行動をとって預言しています。これは旧約のイザヤなどにも見られるやり方です。私たちは神の示しに対して型にはめず、受け取っていく必要があります。(12~14)皆がエルサレム行きを止める中でパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えました。パウロは困難が待っている事を示されていましたが、同時にそれが神のみこころであることもはっきりと確信していました。そして神のみこころを行うこと、使命を行う時に神が助けを与えてくださる事、また、使命を全うすることがどんなに素晴らしい祝福かを知っていたのでした。私たちもそれぞれ、人生における使命を全うすることを求めていきましょう。主が来られる時は近づいています。