説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

神のことば

2011-12-19 11:07:52 | 説教要旨
2011年12月11日  説教要旨 第Ⅱ列王記5章10~14節
(1~4)アラムの王の将軍ナアマンは立場のある尊敬されている人でしたが、ツァラアト(らい病)に冒されていました。地位や権力、能力があっても、ツァラアトには勝てなかったのです。しかし、不治の病で弱められているゆえにナアマンは、女奴隷の「サマリヤにいる預言者のところに行けば直る」ということばに耳を傾けることができました。今、不安定な時代に入ってきており人々の心が開かれてきています。本当に真実なものは何かと求め始めているのです。神は私たち一人一人をこの女奴隷のように置かれたところにおいて用いていかれます。(9~12)ナアマンは威儀を整えてエリシャのところに行きましたが、エリシャ本人ではなく使いを送って「」ということばだけを送りました。その態度にナアマンは怒ってしまいました。この時神はあえてエリシャにことばだけを送らせたのです。それは人ではなく神、人の力ではなく神のことばに力があるということをあらわすためでした。(13~14)ナアマンは自分のことを本当に心配している良い部下のことばを聞き、気持ちを切り換えて実際に川に行き、神の人エリシャが言ったとおりに7回ヨルダン川に身を浸しました。その時完全にいやされ、幼子の体のようになるという奇蹟が現されました。
 今私たちも主が群れに語られたとおりに喜び、踊り、賛美の声を上げ始めていきましょう。失望している時、そして追い詰められている時、実際に声を上げるのです。神が語られたとおりに従う時、私たちの周りで、職場や学校、家庭、地域の中で奇蹟が起こります。(ヨシャパテは絶体絶命の戦いの中で賛美隊を最前線に置き、その賛美隊が賛美の声、喜びの声を上げ始めた時、敵は全滅しました。)
ナアマンは生ける神のことばを体験し、神に仕える者となっていきました。
私たちが奇蹟を体験し、またそのことを見た多くの人々が主に立ちかえっていくのをこれから見ていくでしょう。今年、私たちの人生で神は多くの奇蹟を現していかれます。さらに神のことばに聞き従って進んでいきましょう。(文責・木本)