説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2016年8月21日 説教要旨

2016-09-17 20:36:20 | 説教要旨
2016年8月21日 説教要旨 
ローマ人への手紙5章12~15節

12節の「ひとりの人」とはアダムのことです。アダムが神に従わず、善悪の知識の木の実を食べてしまったところから、全人類に罪が入ってきてしまいました。その結果、死が入ってきたのです。そして死というのはふた通りに考えられます。一つは私たちの肉体が死ぬことです。誰一人あまりせん。死は私たちには当たり前のことですが、これは罪の結果もたらされたものであって決して自然のことではないのです。もう一つは霊的に死ぬということです。私たちは霊・魂・体の三重構造になっています。霊は神さまと交わるところですが、ここが死ぬということです。それは神さまとの交わりが断たれるということです。神さまとの関わりが切れた状態を死んだ状況と言います。神さまの恵みを霊において受けることができなくなりますから、むなしさとかいろいろの魂の問題が起こり、人間社会に大きな問題が起こってきます。
13節は律法が与えられる前から罪はあったが、律法が与えられることによって罪が明らかになったとあります。私たちは律法を行おうとするとできないということがわかります。私たちの中に罪があるので、律法を全うできないのです。律法は私たちを、キリストに導くための養育係です。私たちはキリストの十字架の贖い、救いを必要としていることがわかるのです。自分の力で正しいことを行おうとするとき、失敗し失望します。しかし、それが正しいのです。私たちが神に助けを求めることがみこころだからです。14節からはアダムの違反によって多くの人々が死ぬことになったのに対し、一人の人、イエス・キリストを通して恵みが全人類に与えられるようになったと書かれています。私たちは今、恵みの時代に生かされています。どんな罪も悔い改め信じる時、赦され、新しいいのちが与えられ、神により頼む時、素晴らしい恵みを体験する歩みとなります。